貴女は私の侍女ではなく妹だ。
今日はとっても天気が良かったので珍しく学園の庭園でティータイムを取ることにした。
この学園に来て二年。
本来の目的も忘れてうっかり学園生活を謳歌してしまった。
こうやって優雅にお茶を飲むのが本来の私のするべきことだったのだろうけれど、研究室に籠りっきりだった為に学園の庭園を見ても感慨深い気持ちになることはない。
他のご令嬢達が珍しく庭園にいる私のことを気にしている様子。
ここはうっかり忘れていた目的の一つをするには良い現場かもしれない。
「マリー、お茶が温いな。貴女はお茶の入れ方もまだ覚えてないのか?」
私が厳しい声で言うと、侍女のマリーはビクッと怯えたように震えて慌てて謝った。そして新しいお茶を入れようとして思案した後、お湯を貰う為だろう、庭園の近くの建物へと消えて行った。
そうだろうとも。こんな天気の良い日に熱々のお茶を飲む馬鹿がいるわけないもんな。
お茶が温かったのは敢えて熱くしすぎないようにとのマリーの気遣いなのだろう。
けれど、この後私は熱いお湯を持って戻ってきたマリーを「遅い」と叱責しなければならない。
何故なら私は侍女を虐める悪役王女なのだから。
婚約者であるこの国の第二王子との婚姻前の交流を図る目的でこの学園に来たのは二年前。
隣国の第二王女である私は侍女のマリーを引き連れてこの学園に来た。
同じ年の第二王子との婚約は完全なる政略的なものであるとしても、うっかり交流を蔑ろにして研究に没頭してしまった私は未だに婚約者の顔がうろ覚えである。
後少しでこの学園を卒業し、卒業後には顔もうろ覚えな婚約者との結婚があると思うと気が遠くなる。
それにうっかり目的を忘れて学園生活を楽しんだ為に大切なことが成されないままなのは駄目だよな。そうだよな。どうしよう。
最後に令嬢らしいことでもしておこうかと庭園に来てみたけれど、それが正解になるなんて、神は私を見放していなかった!
どこかで見たこのあるような顔の男が怒りの形相でマリーの腕を乱暴に取りこちらの方に歩いてくる。
ちょっと、私のマリーに手荒なことはしないで欲しいな、と私は眉をしかめた。
マリーは涙目で困惑しているじゃないか。
「カトリーヌ王女!貴女の横暴な態度はこれ以上見るに耐えない!貴女のような女性と結婚なんて冗談じゃない。貴女との婚約はなかったことにしてもらいたい」
あ、この金髪の青い目の男は私の婚約者の第二王子だ。金髪で色も白いから太陽の下で見ると更に薄く見える。いつもぼんやりとして見えにくいだよなー、とか思ってたんだ。
このキレイな顔の美男子然としたちょっと偉そうな男は確かに第二王子だ。
今、第二王子は怒りの形相で私のことを睨んできている。
しかも私との婚約を無しにしたいとな。
ぶっちゃけ私もこの男と結婚したくはないが、私達の結婚は政略的なもの。
好き嫌いで判断してもらっては困る。国家間の問題だしな。
ところで王子よ、私のマリーの二の腕を掴んでいる手を離しなさいな。
そもそも紳士たる者が女性の体を不用意に触るものではないだろう。
後、その力が強すぎるな。服が皺になっている。痣になっていたらどうしてくれるつもりだ?貴方が責任取ってくれるのか?
私は二人に近付くとマリーの腕を掴む王子の手を思いっきり叩いた。
王子は驚いた様子だったが、自分がマリーの腕を強く掴みすぎていたのに気付いたようで慌てて手を離した。
マリーを気遣いすぐ謝っていたのでまあ許してやろうか。腕のことは。
さて、ここは庭園である。貸し切りではない。他のご令嬢達も、少ないながらもご令息達もいるのだ。
公開処刑の返しはやはり公開処刑返しかな。
と私はそのまま庭園でこの二人と話をすることにした。
他の人達が耳を澄ましているな。しっかり聞いていてもらおうではないか。
マリーは青冷めて涙目になってはいるが、王子と目配せし合う様子からこの二人が親密な関係であることを私は鋭く感じ取った。
ほうほう、これは良い感じだな。
「王子、私との婚約を無しにしたいとのことだったな。けれど、私達の婚姻は王家と王家の契約である。それをどうするつもりだ」
しまった。いきなり硬い話から入ってしまった。敢えて硬いことは触れずに話を進めるべきだったか。
私が地味に心の中で後悔していると、王子は「それは………」と言葉に詰まり答えが出て来ない。
うん。情けない男だ。
さっきは怒りで目の前が見えていないようだったが、今はマリーを気遣う気持ちが強いのか少し冷静になった様子だ。
だが、敢えて二人の椅子を引っ付けて座らせてみたのだが、その事に気付いてもいないくらいに二人は親密な関係のようだ。
私の婚約者と侍女のマリーがいつの間に親密な関係に………?
なんて私の責任だな?
婚約者との交流が面倒なのと研究の手を止めたくなかったとので私の代わりにマリーを婚約者との交流に行かせていたのは私だ。
「私の侍女ならば私の代わりに婚約者の心を繋ぎ止めてみせろ」
なんて意味の分からない理屈をこねて無理矢理マリーを行かせていたけど、
なんだ、私はちゃんと目的の為に動いていたじゃないか。流石私だな!
私が心の中でニンマリしていると、返答に困っている王子が意を決したのか先程とは違い、しっかりと私のことを見てきた。
「先程は怒りで目の前が見えなくなっていた。すまない。ただ、前から貴女のマリーに対する厳しい態度には見兼ねたものがあり、それがさっき爆発してしまった」
うーん。謝っているつもりでも謝ってないよな?
私がマリーにわざと厳しく接していたのは事実だとしても、何だかすっきりしない。
マリーに対する気持ちが見えるからまだ許せるものの。
「随分とマリーと親しいようだな?マリーは私の大切な侍女だ。遊びで手を出されては困る」
私はわざと厳しい声音で言ったのだが、王子はそれに怯むことなく、しっかりと頷き返してきた。お、ここは好印象だ。
だが、マリーは「大切な」と私に言われて喜んでいるんじゃない。大切なのは本当だが、マリーのそれは困るのだ。
「私はマリーのことを愛している。もちろん遊びなどではない。本気だ。だから愛するマリーに冷たく当たる貴女に対する怒りを抑えることが出来なかった。婚約者である貴女がいながらマリーを愛してしまった私が貴女を責めることなどするべきではないのだが、すまない、貴女とは結婚出来ない。私が愛しているのはマリーだ!」
おおう…。何回愛してると言うんだ。こっちが恥ずかしいわ。そしてマリーの腰に手を回すんじゃない。体を寄せたいならなんで肩じゃ駄目なんだ。
しかも好きでもないとはいえ、私が振られた感じが地味にムカつくな?
でも今はそこは我慢。
今、大切なのはマリーが王子の手を拒否していないということである。
「マリー、王子はこう仰っているけど、貴女の気持ちはどうなんだ?」
私が話を振ると、マリーはビクッと体を震わせた。
王子、私を睨むんじゃない。私だって怯えさせたいのではなく、マリーの本音を知りたいのだから。
「も、申し訳ありません」
涙を流しながら謝るマリーは実に可哀想に見える。けれど、私が欲しいのは謝罪ではなく、マリーの本当の気持ちだ。
「マリー、謝らないで。貴女も王子の事を大切に思ってしまった?私よりも」
私は珍しく優しい声音になるように気を付けてマリーに声をかけた。
貴女は私への忠誠よりも王子への愛を取るのか?
この問いがとても大切なことなのである。
マリーは泣いて俯きながらも確かに頷いた。そして、小さい声ではあるが、確かに「はい」と。
よっっしゃー!
この時私は心の中で盛大にガッツポーズを取っていた。
長かった!もう十年もマリーを侍女として仕えさせていたけれども、それも今日で終わりだ!
周囲が静かに固唾を飲んで見守る中、私は喜びを表現しすぎないように気を付けながら、しかし、ちゃんと皆に聞こえるように、大切なことを言わなければ。
「マリー。貴女に対する権限は全て私が握っている。それは父親である国王よりも、ということだ。だから今から言うことは国王でさえも覆せない。私の侍女マリー、貴女が本来の身分へ戻ることを命じる。今から貴女は私の妹で第三王女、ローズマリーだ」
周囲から驚きの声が上がるのが聞こえるが、まだ話は終わってない。
「王子よ、我が国では貴方の婚約者は第二王女でも第三王女でもどちらでも構わない。だから、婚約を無かったことにするのでなく、婚約者変更でも良いだろうか?」
王子はもちろん、この提案を受け入れた。
妹のローズマリーは理解しきれずに呆然としているが、これだけ証人がいるのだ。もう言い逃れはさせない。
第二王女は身分の低い母親から生まれた第三王女を王妃から守る為に自分の侍女として側に置いていた。
という話が庭園で話を聞いていたご令嬢、ご令息を中心に広まっていって第二王子と妹のローズマリーの婚約は概ね歓迎された。
そして私は学園を卒業するとすぐに自国へと帰る事にした。
ローズマリーのことは大切に思っているし、愛する妹ではあるが、妹の忠誠心が再発されては困るのだ。
「この度はお疲れ様です、カトリーヌ様。お戻りを歓迎致します」
私を迎えに来てくれたのは従兄弟のロランだった。
何故ロランが迎えに…。
ロランは王弟である叔父の養子だ。誰にでも人当たりが良く、養子とはいえその黒い髪から醸し出される色気や整った顔立ち、更に優秀とあってご令嬢達に人気のある好物件だ。
だが私はこの男が苦手だ。何故なら他の人には人当たりが良いのだが、何故だか私には冷たいのだ。
それに婚約者変更による円満解決だったとしても私は婚約者に捨てられた傷物王女。こっそり自国に帰りたかったのにな。
私が内心溜め息を吐いていると、ロランは移動の馬車の中で私を質問攻めにしてきた。
自国までの一週間、ずっと質問責めである。
「本当にマリーはローズマリー王女なのですか?」
ロランの質問に私はうんざりしながら答える。
「ロランは養子になる前だったから王女時代のマリーに会ったことがなかったか。マリーは本当に私の妹だ。父上が使用人に手を出して生まれた王女だから母上の娘ではないが、間違いなく父上の娘だ。何より、マリーだけが父上の特徴である銀髪と紫の瞳を受け継いでいるだろう」
因みに私は完全なる王妃たる母上似。兄と姉ともう一人の妹共にどちらかは受け継いでいても両方の色を受け継いでいるのはマリーだけだ。
マリーは父上が浮気して出来た不義の子。
三人子供を生んで王妃の役目を終えたと思った母上が夜の相手は愛人でも作ってはどうかと父上に提案したところ、父上大激怒。大喧嘩した上に酒を飲んで泥酔。そして気が付いた時には下働きの娘に手を出して妊娠させてしまった。
ということを酔った父から聞かされていた私はついうっかりロランに余計なことを喋りまくっていた。酔っぱらいに妻への愛の言葉を散々聞かされた仕返しだろうか。
ロランも聞き出すのが上手いのだ。
昔はロランも私にも皆と同じように優しかったのだが、いつからか私にだけ冷たい態度になっていた。
まるで昔に戻ったようにロランと話せる状態が嬉しかったらしい。
この際全て喋ってやる、と隠し事なく喋っていた。
ロランは隠していても何故かそこに気付いてつっこんで聞いてくる。
「マリーが二才の時に母親が風邪を拗らせて亡くなってしまった。その後母上が世話を引き継いだが、どう扱って良いのかずっと迷っていたらしい」
二才差と年の近い私と同じように育てようとした末、私が妹に撃沈した。
そう、可愛い妹を溺愛である。子供である私には妹の母親が誰であるかなんてどうでもよかった。
しかし、私が八歳で妹が六歳の頃、私は両親が妹の扱いに困ってさっさとどこかに嫁にやろうとしているという話を聞いてしまった。
八歳の私は妹を雑に扱うことがどれだけ酷いことか両親に理解してもらう為に、提案したのだ。
妹を私の侍女にして欲しいと。
姉が妹を侍女にさせるなどどこの意地悪姉だと両親は渋ったが、母上そっくりの私からのお願いに父上が負けた。
そして私は妹を侍女として仕えさせた。厳しく接していたが、まだ六歳の妹はすんなり受け入れてしまった。
私の厳しく妹に接する様子を見て両親が考えを改めてくれた。
妹の私の侍女として働く期間は一ヶ月で終わるはずだった。
だったのだが、妹が私の侍女を辞めることを泣いて嫌がったのだ。
父上や王妃や使用人達がどう接していいのか迷う中、可愛がる私に懐いていた妹は、侍女として働いた方が妹としてよりも私の側に居れると思ったらしい。
あんまりにも妹が嫌がる為に、妹は私の侍女としてしばらく働く事になった。
しかし、それから十年も私の侍女となり続けることになるなんてな、ハハハ………。
六歳だった妹はそもそも自分が王女であったことを忘れた。
それから何度も王女の身分に戻そうともしたのだ。
王女だともはっきり告げたが、私が冗談でそう言っていると捉えられた末、言い過ぎて信じてもらえなくなった。
病弱な第三王女に代わって舞踏会に出ろ、と言って人前に出したりもした。
わざと酷い主人を演じて「侍女なんてもう嫌だ!」と思わせようともしてきた。
何故かマリーの忠誠心には勝てなかった。
気骨逞しかったと言われた母親に似たのだろう。
マリーはとても我慢強く逞しかった。
マリーの生みの母親は二才になるマリーが池に落ちたのを助けて風邪を引き、風邪を拗らせて肺炎を起こして亡くなってしまったのだが、死ぬ間際まで「今まで風邪なんて引いたことなかったのに」と悔しそうにしていたらしい。
環境を変えようと私の婚約を期に隣国の学園へと連れていったのだが。
結果、作戦は成功!
二年間私は学友との親交を深め興味を持った研究に勤しんでしまい、本来の妹を侍女から王女に戻すという目的と婚約者と仲を深めるという目的両方をうっかり忘れていた訳だけれども、結果両方どうにかなったし良しだろう。
大勢の前で貴女は王女だ、と宣言をした為、マリーももう冗談だと聞き流すことも出来まい。
後は王子よ、任せた。マリーのことは一応説明してきたのでマリーは「本当に王女」をちゃんと身に染ませてやってくれ。
あの王子に妹を任せて大丈夫なのかとか不安がない訳ではない。
けれど、マリーなら大丈夫だろう。
何せ十年も意地悪王女の侍女をしていたのだ。
別れる時にマリーが寂しそうにしていたのは気になったが、うっかりマリーの忠誠心を煽る訳にもいかなかったのでさっさと立ち去ってきた。
帰ったら話を分かりやすくする為に悪役にしてしまった母上にも謝らなければ、と帰ってからの話をしていると、ロランは徐に私の手を取ってきた。
「ところで、今後の貴女のことなのだが、一月後に私と結婚してもらう。貴女も知りすぎた私を側で監視した方がいいでしょう?」
確かに喋り過ぎていたとは思っていたけれども、結婚して監視とはなんだ。
「私は私が好きなように研究時間を取れるようにしてくれるのなら異論はない。けれど、ロラン、貴方もいい加減ひねくれた態度を取っていないで私のことを好ましく思っているのだとはっきり言ってくれたらどうだ?」
ロランの私に対する態度が冷たくなったのは私の婚約が決まった後。
私と妹の婚約者変更の話を聞いた後、直ぐにロランは私との結婚を申し出たことは父上からの手紙で知っているんだ。
ロランは今まで見たことがないような微笑みを浮かべた。
やっぱり私は金髪のあの薄く見える王子よりもこれくらい濃い色の方が好きだな。
ロランは私にぐっと近付いてきた。
「では、分かりやすく態度で示しましょう」
そう言ってロランは………
おっと。これ以上は喋り過ぎてはいけないな。
これ以上は秘密にすることにする。
いつも表情が分かりにくいと言われる私の顔が今は物凄く熱いような気もするが、これ以上は駄目だ。
この先は私とロランの秘密だ。