第8話 工藤の話 その1
このまま、階下のホテルの部屋に流れる。そういう成り行きも、あるかもしれないと思いなが轣Aグスを重ねるのは、少し後ろめたい気持ちがする。そして、その後ろめたさが、なんとなく色っぽい空気を作り出す。
でも、絶対にそうはならないし、そうするつもりもない。お互いにそれが分かっているから、夜は尚いっそう色っぽく見える。
昔の男と会うのは、こういうところが良かった。
『ドイツに転勤が決まった・・・。』
視線をグラスから工藤のあごの辺りへ動かす。
『いつから・・・。』
『辞令は4月付けだが、来月中には引っ越す。』
『今回も単身赴任?』
確かバンコクには単身赴任でもう三年になるはずだった。
『とりあえずは、そういうことになるかな。今度は五年以上になるかもしれない。できれば家族連れで行きたかったんだけどな。』
工藤が手を上げて、ワインの追加を頼む仕草をした。
『今、調停を立てて話し合い中だ。』
『・・・。』
『別れることになるのかなぁ・・・。』
一瞬他人の噂話でもしているのかと思った。
『別れたいの?』
『いや、できれば修復したいと思ってる。後は向こう次第だ。』
『奥さんが別れたがってるんだ・・・。』
何となく意外な気がした。工藤の奥さんが別れたがっている・・・ということにではない。奥さんが別れたがっているのに、工藤が簡単にうんと言わないでいる様だ・・・ということに。
去るものは追わず・・・。工藤はいつもそういう雰囲気を身につけていたから。
『何でそんなに別れたいのかなあ・・・。』
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そうなんだ、何でそんなに別れたいんだ。何だっていうんだ、一体全体。
どうせ今だって単身赴任で別居中なんだ。このままでも何の問題もないじゃないか・・・。
俺が自分のことを愛してないからだ・・・。そうカウンセラーに言っていた。調停を立てて話し合いを進めるのと同時に、二人で何度かカウンセリングを受けた時のことだ。
愛してないっだって?どういうことだ。愛してるじゃないか、浮気だってしていない。
みんな俺がバンコクに単身赴任になって、さぞかし楽しい思いをしているだろうと噂しているらしいが、冗談じゃない。
一時の楽しみについてまとってくる面倒なことを考えたら、そんなことに手を出したいと思うような年はもう過ぎてしまった。
愛してないって、いったい何だ?浮気もしていない、ちゃんと仕事もして、生活費も入れている。金の管理だって、全部任せてるじゃないか。俺が金の管理を全部任せるなんて、信用しているからこその証だろう。そこまで信用しているのは、あいつしかいないんだ。この俺のどこが、あいつを愛してないっていうんだ・・・。
夫婦の会話が全然ない・・・。次にあいつがカウンセラーに言った言葉だ。
結婚してもう十四年だ。そうそう話すことなんてあるものか。話しかけられたら、ちゃんと無視しないで答えているじゃないか。
自分のことも、二人のことも、もう大抵のことは話つくしてしまった。たまに会う友人じゃないんだ、そんなに新しい話題ばっかり見つかるわけがない。
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『それで・・・。それで、奥さんはどうして別れたいって言ってるの?』