第6話 週末のバンコク その3
携帯のテキスト・メッセージの着信音がした。
『今晩時間あるよ。酒でも飲もう。』
空港からのタクシーの中で送ったメッセージへの返信だった。
土曜の午後に連絡をして、急にその晩に付き合ってもらえる知り合いは、バンコクにはそういない。結婚している知人は、週末は男も女もだめだ。一人で来ている時は、西洋人の男もだめ。アジア人の女と西洋人の男は、たとえ正式に結婚している夫婦でも、はたから見ると、女は金目当てか商売女に見えてしまう。自分もそんな色眼鏡で見ているにもかかわらず、自分がそう見られるのは我慢できなかった。
土曜の夜に時間を持て余しているのは、単身赴任の駐在員。付き合いの酒の席はたいてい平日の夜だし、付き合いのゴルフは夕食の時間までには終わってしまう。
『バーティゴのバーで7時にお待ちしてます。』
場所も時間も勝手に決めて返信する。だめならだめで、他の提案の返信が来るだけだ。
『7時半までには着けると思う。先に飲んでてくれ。』
また直ぐに返事が来た。
道を渡ってホテルに戻る。ホテルのポーターが手を振ると、直ぐに一台のタクシーが目の前に止まった。
『バンヤンツリー・ホテルまで。』
大通りからバンヤンツリーの玄関前へ行く小道のところで、タクシーはホテルのセキュリティーに止められる。運転手がトランクを空け、ガードマンが中を確かめる。一応後ろの座席にいた私の顔を確認の為に見てから、ガードマンが一斉に右手を額まで上げて敬礼した。それを合図にタクシーが動き出す。
『いらっしゃいませ。ご予約は・・・。』
エレベーターに乗ってバーティゴの階で降りると、すぐに案内係が出迎えて聞く。
『今日は食事はしないので、予約は入れてません。バーに行きたいので、入れますか。』
予約なしでも、バーに入るのに断られたことはない。
案内係について、細い階段を上がっていく。
圧迫されるような壁の間を、階段を踏み外さないように、下を見つめたまま上って行く。急に周りがひらけたかと思うと、夜空と夜景が一面を取り囲み、一瞬自分がどこに立っているのか分からなくなる。
バンコクの夜景はここから見るのが一番だ。
屋根もない高層ビルの屋上。シロッコと違って、建物の幅が狭いから、夜空も夜景ももっと身近に迫ってくる。シロッコと違って、観光客の数も少ない。ここがお気に入りの私にとっては、団体の観光客がみんなシロッコの方へ流れてくれるのは有難い。
シロッコと違って、バーにもゆっくり座れるテーブル席があるのも良かった。
土曜日の夜だから無理かと思っていたが、みんなこの時間は食事をしているのか、バーにはまだいくつか空席があった。
一番レストランから離れたところに空いている席をみつけてから、オーストラリア産の赤ワインをグラスで注文する。七時を十分過ぎていた。