夢と現実の狭間で③
五日目。
とうとう記憶は僕と出会う前まで遡ってしまった。しかしながら、僕と居た記憶は残っているようで(何と都合の良いことか……)、僕のことを忘れ去ってしまっている、ということはないらしい。良かった、そこは一安心である。
「……ねえ、いっくん。私、怖いの。どうしてここに居るのか分からなくて……」
「大丈夫、大丈夫だよ、あずさ。僕はずっとここに居る」
それは嘘ではない。
それは感情的ではない。
論理的に、論じて、確実に、話をする。
それが僕にとっての一番のポイントであり、それが僕にとって最大のポイントだった。
僕にとって――なのか、彼女にとって――なのか。
それは分からない。
それは分かりようもない。
分かるはずもない。
分かり合えるはずがない。
「ねえ、いっくん」
あずさは言った。
僕はあずさの言葉に頷いて。
「どうしたの、あずさ」
そう、呟いた。
あずさは僕の表情をじっと見つめたまま何も言わずに俯くと――ただ一言そっと呟いた。
「ううん、何でもない」
それはどういう意味だったのか、僕には分からない。
分からないからこそ、分かり合えないからこそ、分かり合おうとしたのかもしれない。
だとしても。
僕がここで過ごしていく意味は、あるのだと思っている。
ない訳ではないのだ。
絶対に、そう、絶対に。
※
その日の夜、僕は夢を見た。その夢は長い川を下っていく夢だった。川の途中には、あずさやアリスが居る。あずさやアリスはその川を守るべく何かに乗り込もうとしている。……あれは、UFO? UFOに乗り込もうとしているのだ、あずさとアリスが。そんなこと、させるものか――僕はそう思って彼女達の居る場所に手を伸ばそうとする。しかし、川の流れは激し過ぎる。どうしても、手を伸ばしても、届きようがない。届きそうにない。届くはずがない。分かっている。分かっている。分かっているのだが――でも手を伸ばしたくなる。そうしたくなる。そうでありたくなる。そうなりたくなる。そうしようと思いたくなる。だが、手は掠め取られてしまう。何に? 分かりきっていることだ。それは、川の流れだった。川の流れは思ったより激し過ぎて、僕が手を伸ばしてもとても届きそうにないのだ。届かなくたって良い。僕はただ、その手を伸ばしたいだけなんだ――! そう思っても、意味がないのかもしれない。分かっている。分かっているんだ。でも、それが答えではないとしても、僕は生きていく意味がないのかもしれない。それが、意味があることだとしても? そうだ、そうであるべきなのだ。僕は、生きていかねばならない。この激流に、置いて行かれないようにしなければならないのだ。僕は、そういう人間だ。そして、みんなとともに生きていく。あずさとアリスの居る平穏な日常を守っていく。たとえ、それが、世界を滅ぼすことになろうったって。僕は変わらない。生きていく意味には、変わらない。僕はそう思って、手を伸ばそうとして――しかし、それを止めた。僕は何も出来ない。僕はその激流に飲み込まれることしか出来ない。僕はあずさとアリスを守り抜くことは出来ない――。
そして、目が覚めた。
※
六日目。
朝、起きるとあずさが僕の目の前に立っていた。
「あずさ……? いったいどうしたんだ」
「行かなくちゃ……あの場所に、」
あずさは動き出そうとする。
しかし、僕はそれを食い止める。
「何をしているんだ、あずさ! 僕達はずっとここに居て良い。ずっとここに居て問題ないんだ!」
「違う。違う。違う……、私は、行かないといけない場所がある……」
「そんな場所何処にもない!」
「ある……私には、その場所がある……」
「ない! ないってば、絶対に、そんな場所はない!」
あずさの力は思ったより強く、引き留められそうにない。
アリスに助けを求めようとしたが――アリスもただその光景をじっと眺めているだけだった。
畜生! やっぱりアリスはこちらの味方ではないのか……?
だけれど。
だけれど。
だけれど、だ。
僕はそれを止めなくてはならない。
僕はその行動を――止めなくてはいけないのだ。
「あずさ。あずさ。あずさ。僕の話を聞いてよ。頼むから……」
「駄目。たとえいっくんの言葉であっても、私は行かなくちゃいけないの……」
「行くって何処に!?」
「『ブラックボックス』……」
「ブラックボックス……?」
そこまで聞いたところで――僕は意識を失った。
後ろから殴られたのだ、ということに気づいたのは、それからしばらくしてのことだった。
※
「いっちゃんをどうするつもりですか」
家の前には、黒いリムジンが待機していた。
そしてリムジンの前に立っていたのは――桜山だった。
「ご安心ください。彼には、『最後の別れ』を行わせてあげるつもりです。そのために、私達に同行して貰います。……終わったら、七里ヶ浜の家に帰してあげますので、ご安心を」
そう言って。
桜山は、『彼』を担いだ男、そしてあずさとアリスを乗せたのを確認して、リムジンに乗った。
彼の祖父と祖母はそれを見送ることしか出来なかった。
彼の祖父と祖母は――ただ彼の安全を願うことばかりしか出来ないのだった。
※
リムジンの中で、桜山は電話を取った。
「もしもし……。私だ」
『その様子だと、無事「回収」出来たようだね? 桜山くん』
「ええ、兵長、ご安心ください。彼らは無事に『回収』することが出来ました。また、彼女の記憶が元に戻っていることも確認済です」
『そうか……。ならば問題はない。急いで瑞浪基地へ運んできたまえ。話はそれからだ。……「彼」は眠っているのかね?』
「ええ、問題なく。起こしますか?」
『いや、良い。今は起こす必要もあるまい。とにかく、彼らを無事に基地まで運ぶこと。それがお前達の役目なのだ。しっかりと役目を果たしたまえ。では、以上だ』
「かしこまりました。……ちっ、ほんとうに人使いの荒い兵長だこと。あ、これオフレコね。オフレコ」
「……相変わらずあんたは口が悪いなあ。桜山『兵長代理』」
「お互い様でしょう、池下『副兵長』」
二人は、普段使わない敬称をつけて呼び合った。
それが珍しいことでもあるかのように、二人は笑い合う。
「いや、しかし、何だ。この敬称で呼び合うのも久しぶりのような感じがしてならないな」
「そうね。……それにしても、何とか間に合ったわね。彼女が『記憶』を失って早三ヶ月……。まさかこんなにも早く記憶が元に戻るなんて」
「それぐらい、彼が冷酷で残酷な人間だった、ってことだろ。逃がしたつもりだと思っていたのだろうけれど、結局は孤独を生み出しただけに過ぎない。そして、その孤独を癒やしてやることも出来なかった訳だ」
「可哀想な子」
「可哀想、ね……。確かにそうかもしれないけれど、結局悪いのはいっくんだ。いっくんが悪いことをしなければ、何も進まなかった。我々が『救出』することもなかった」
「結局はそう……。彼のせいということになるわね」
車は高速道路に乗っていく。
そのまま高速道路に乗って、南へと向かっていく。
目的地は、江ノ島に程近い場所に存在する自衛隊基地――瑞浪基地。
※
夢を見ていた。
二人がUFOに乗り込んで、敵を倒す夢。
シンプルだったけれど、現実的だった。
どうして現実的だと思ったのか? それは僕にも分からない。
けれど――僕はそれをして欲しくなかった。
「やめろ、やめてくれ!」
僕は叫んだ。
叫んでも、その言葉が二人に届くことはなかった。
そして僕の意識は――ゆっくりと遠のいていった。




