手紙
翌日。
ルミア様から花束が届いた。
オレンジとピンクと赤のポピーで出来た花束。
ポピーの花言葉は色によっても異なるが、最も多いのが「いたわり」や「思いやり」。
その意味で受け取ることにする。
添えられていた手紙を開くと、仄かに薔薇の香りがした。
便箋には、先日の謝罪と感謝、ハンカチは新しい物を贈るという言葉が連なっていた。
在り来りではあるが、5歳児が書くレベルの手紙ではないと思う。
うん。
相手の私4歳児だし。
前世のおかげで普通に読めるけど、普通なら無理だから。
頭いいのはわかったから、気遣いも覚えるといいよ……。
「……あれ、未だなんか入ってる」
封筒をひっくり返してみるとはらりと桃色の影が落ちた。
「……花びら…………?」
淡い桃色の薔薇の花だった。
押し花にされたものを丁寧に剥がしたのだろう。
机に落ちた花を指先で摘み上げながら、ちょっとだけ困る。
前世でも、あの男から手紙なんて貰ったことがなかった。
ましてや贈り物なんて。
異母妹にはドレスやら宝石やらを贈っていたみたいだけれど、結婚も婚約も未だだったのによくもまあそんなことをしたなぁと呆れたものだ。
彼はただの貴族ではない。
王族なのだ。
王子様なのだ。
ルミア様のポケットマネーならまだしも、王族の生活に使われるのは国家予算である。
王族が好き勝手贅沢すれば、国は直ぐに傾くのだ。
……まぁ、国王陛下がそんなこと許さないだろうけど。
純粋に思ったのは、国王陛下が亡くなればこの国は終わっただろうということ。
ルミア様は優秀かもしれないが、異母妹に甘いのと、人の意見に左右されやすい。ついでに詰めが甘い。感情屋でもある。
私以外には国王陛下並の対応をしていたなら話は別だけど。
どちらにせよ首を切られた私には関係ない。
見ることもなければ知ることも無い。
「…………はぁ……。前世でこの十分の一の気遣いでも私にくれたら良かったのに。一体何が気に入らなかったの……?」
思い出すのは、害虫でも見るかのような視線。怒声。優しさの欠けらも無い言葉。
対して異母妹に向けるのは、甘く暖かな視線。猫なで声。優しさに満ち溢れた言葉。
…………私は、甘やかすだけが優しさとは思わないけれど。
甘やかすのは家畜とペットだけでいい。
私はそう思っている。
ルミア様やベルナード伯爵はそうは思っていなかったようだけど。
「……お返事しなきゃなぁ…………」
面倒臭いと思いながらメイドに頼んで便箋を出してもらう。
ペンを手に取ったところで気付いた。
字は習ったけど、一人で手紙書くのは拙いよね?
4歳児ですもん。
「お母様〜!お手紙の書き方教えてください〜!」
なんていうふうに甘えられるのは、幼児の特権よね。
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ベルナード伯爵家の令嬢から手紙が届いた。
薔薇が描かれた便箋にのった文字は拙くもあるが、4歳児とは思えない達筆であった。
手紙と花束に対する感謝。ハンカチと謝罪については気にしていないし、気にしなくて構わないという内容だった。
「……関わりたくないということだろうか?いや、でも…………」
言葉の真意が分からずルミアは頭を抱える。
その実、リーリアは大して何も考えずに聞こえのいい言葉を連ねただけなのだが真面目であるが故、ルミアは頭を抱えていた。
ルミアの頭に浮かぶのは、哀しそうに花を見つめる小さな女の子の姿。
ルミアは浮かれていた。
『初めまして、王太子殿下。ラヴィア・ベルナードですわ。』
初めて会った時、そういってベルナード夫人は私に微笑みかけた。
父上と同じ歳だという彼女は、年齢を全く感じさせなかった。
初めての社交界、公式なお披露目の日。
王太子であるルミアに媚びへつらう者に、幼いルミアはうんざりしていた。
うんざりよりも、恐怖があった。
そんなルミアの傍に居てくれたのが、ベルナード夫人。
幼い少年は、かつて社交界の華と呼ばれた彼女に恋をした。
ベルナード夫人に会える。
娘が一緒だろうが、関係ない。
その一心で、父上の執務室の扉を叩いたのだ。
確かにベルナード夫人はいた。
だがその傍らには、生き写しのような少女がいた。
一目で娘だとわかった。
いると分かっていたのに、当然のことであるのに、微かに胸が傷んだ。
それでも、精一杯社交界用の笑みで乗り越えようとした。
『…………死者に捧げる花…………ですか。…………高尚な趣味をお持ちで…』
少女の言葉の意味が、分からなかった。
動かなくなった身体から花束を奪い取った少女は、哀しげに笑った。
まるで、泣いているようだった。
その後、父上に花束で殴られて何がいけなかったのかを知った。
良かれと思って行ったことが、逆効果だった。
殴られた頬はひりつくし、薔薇の棘で零れ落ちた血に、涙が出そうになった。
そんな私に哀しげな顔をしていた少女はハンカチを差し出した。
傷ついたのは彼女なのに。
父上もベルナード夫人も冷たい目をしている中、彼女だけが手を差し伸べてくれた。
彼女の姿を思い返すと、胸が温かくなる。
「…………それでも、私は、彼女のことをもっと知りたい……」
追いかけた彼女とベルナード夫人は母上に絡まれていた。
私は……助けることも、声をかけることも出来なかった。
従兄弟のレオンハルトと、母上のお気に入りで騎士団長の息子のセシルが二人を上手く逃がすところを見ていただけだ。
私は弱い。
立場だけは偉いが、自分自身には何も無い。
周りはわたしを優秀だと褒め称えるが、お世辞にしか聞こえない。
せめて、レオンハルトのような明るさや気強さが有ればと何度願っただろう。
「……私、わたし、…………おれ……」
言葉を変えれば、一人称を変えれば、少しは何か変われるだろうか。
「……おれ、俺は」
なれない一人称を繰り返しながら、彼女のことを考える。
「リーリア……って、呼びたい」
ハンカチを贈る時に、試してみよう。
新しい一人称も、新しい彼女の呼び方も。
彼女は、名前を呼ぶことを許してくれるだろうか。
そんなことを考えて、ルミアは表情を緩めた。
王太子である彼がそんなことを言えば、リーリアが逆らえないことを失念していることを除けば、5歳児らしい可愛らしいことを考えるルミアであった。
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そしてここにもリーリアからの手紙に浮かれる少年がひとり。
「セーシル!見てよ!リアからの手紙!!!羨ましいだろ!!!」
「…………は…?」
「うわ、目付き悪。声ひっく。」
レオンハルトはリーリアからの手紙を大事に握りながら、セシルから一歩離れた。
浮世離れした美少年の睨みに負けた訳では無い。…………はず。
そんなレオンハルトを横目で見ながらセシルがひとつ溜息を吐いた。
「良かったね。僕も友達のはずなんだけど、如何してかな」
「馬車ん中でなんかやらかしたんじゃない?素だした?出したんでしょ?友達になったなら。セシルの顔でその素はちょっと刺激が強いよね」
けらけら笑いながら言うレオンハルトを睨みながらセシルは「……未だ手加減したんだけど」と呟いた。
「……それでも、君が幸せならいいか」
「ん?セシルなんか言った?」
セシルの横で手紙を読み始めたレオンハルトがセシルに聞き返すが、笑って返しただけだった。
「あ、セシル!リアがお茶会に来ないかって!!やー、楽しみだなあ!!!」
「……行くなら、手土産を考えた方がいいんじゃない?マカロンとか」
お茶会のお誘いに小躍りするレオンハルトを窘めながら、セシルは手土産案を出していく。
「いや、セシルも一緒だからね?」
まるで一緒には行かない言い方をするセシルにレオンハルトがぽかんとした顔をした。
「……は?」
「セシル様と一緒にどうぞ、ってあるし。俺ひとり招待でもセシルは連れてくつもりだったし」
次にぽかんとしたのはセシル。
美少年はそんな顔でも絵になる。
「だから、またリアに会えるね!」
にかっと白い歯を見せながら笑うレオンハルトにセシルはやれやれと首を振った。
セシルが屋敷に戻り、自分宛のリーリアからの手紙を見た瞬間頬を緩めたことは、神のみぞ知ることだ。