プロローグ
人生とは実に下らない。
「国王に変わり、ルミア・セヴァ・ラティフォリアムの名のもと極刑に処す」
「待ってください!ミア様、お姉様は本当はお優しい方なのです!どうか、処刑などおやめください!」
冷ややかに私への刑を告げた王位継承権第一位、王太子であり元婚約者の男に異を唱えたのは、王太子の現婚約者である私の異母妹。
何処までもヒロイン体質な女だ。
私が裁かれる原因は、この異母妹を殺そうとしたことにある。
実に、実に滑稽で下らない。
何が悲しくて私は、自分が殺そうとした人間に減刑を求められなければならないのか。
それにいくら婚約者だからといって、公の場で王太子の言葉を遮り、愛称を使い、自分の意見まで述べるなど、貴族に有るまじき姿だ。
つくづくこの異母妹には失望させられる。
「何故こんな女を庇う?!君を平民と罵り、傷つけ、殺めようとした女を……!」
「それでも、私のお姉様ですもの!」
どこの観劇か知らないけど、余所でやって欲しい。
耳を澄ませてみると、態々私への裁きを聞きに来た貴族達がざわついているのが分かった。
「お願いします!お姉様を赦して」
そう言って異母妹は涙を零した。
嗚呼、吐き気がする。
私はこの異母妹が大嫌いだ。
「……ふんっ、マーガレットに謝罪するのならば、減刑してやってもいい」
王太子はアイスブルーの瞳で私を睨みながらそう吐き捨てた。
マーガレット……異母妹は「ミア様……」と瞳に涙を浮かべている。
ここで私が謝れば、私は首を切られることなく、一生牢の中で過ごすのだろう。
「お断り致しますわ」
「なっ?!」
「お姉様……?」
そんなの真っ平御免だ。
「その女とその女の母親、そして私の父親に、私は殺されました。如何して私は同じことをしてはいけないのでしょう?私は当然のことをした迄。謝罪する理由が御座いませんわ。」
私は実父と義母、そして異母妹に殺された。
肉体的な意味ではない。
精神的な意味で、だ。
私の心は三人によって、壊された。
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公爵家出身の母と伯爵家の父の間に私、リーリア・ベルナードは生を受けた。
身分の釣り合わない二人であったが、お互いの父親同士の取り決めで二人は結婚した。
元々は、父の兄と母が結婚する予定であった。父の兄が流行病で死ななければ。
父の兄と愛を育んでいた母だったが、公爵令嬢として、父との結婚生活を受け入れた。
だが、父はそういう訳にはいかなかった。
伯爵家と公爵家。
釣り合わない家柄の結婚ではあったが、美貌と優秀さを備えていた父の兄と、社交界の花と呼ばれた母はお似合いだと囁かれていた。
それなのに、兄は死んでしまった。
父は良くも悪くも平凡な人間であった。
見目はいいものの、兄に比べればどうしても劣る能力。
元々、兄に対して抱いていた劣等感は兄の婚約者であった母に向けられることになる。
父は、母が私を身篭るなり屋敷に帰ってこなくなった。
私は、母と使用人達に育てられた。
幸いだったのは、使用人達が母と私の味方であったこと。
当然といえば当然なのかもしれないが。
そんな母は私が十六歳になってすぐ病で亡くなった。
体が弱いわけではなかったのに、ベッドに伏せがちになっていたのは、十中八九父のせいだと言える。
この国では、近しい者が亡くなれば一年喪にふくすという慣習がある。
三ヶ月目のある日だった。
父が新しい家族だといい、彼女たちを連れてきたのは。
「初めまして、シーラよ」
そう言って、継母は微笑んだ。
「マーガレットです。会いたかったです……お姉様」
そう言って、義妹は涙を浮かべて私の手を握った。
地獄の始まりだった。
貴族ではなく平民であると聞いた時、別段何かを感じた訳では無い。
もとより身分で差別することになんの興味もなかった。
継母と異母妹に出会うまでは。
慣習を破りやってきた無神経な二人と、迎え入れた父に、当然いい感情なんて持たない。
それでも我慢した。
多少歩み寄ろうと、貴族の礼を教えようとしたこともあった。
父はそれを気に食わなかったのか、私を折檻した。
それから、関わらないことを決めた。
無知で理不尽な父の言葉にも、無知で意味の無い継母の言葉にも、無知で無邪気な異母妹の言葉にも……
耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて、
何も言い返さず、笑みを絶やさず、我慢した。
どうせ、あと数年すれば婚約者である王太子と正式に結婚するのだ。
母と国王陛下が決めた…………母が私に遺した、最後の決め事。
家の事なんて我慢すればいい。
そう思っていたのに。
「何か困ったことがあれば言うといい」
「まぁ……、ありがとうございます!」
「王太子じゃなくて、ミアと呼ぶといい。私の愛称なんだ」
「ミア様……?では、私のこともマーガレットではなくメグとお呼びください!」
「ああ……、メグ」
学園で見たのは、仲睦まじい二人の姿だった。
「名前で呼ぶな、不愉快だ。」
「ベルナード伯爵令嬢、父上から手紙だ。まったく、こんなもの態々手渡しする必要など…」
「伯爵令嬢なのだから、人に頼らず、自分でどうにかしたらどうだ」
何故か。
そんなに平民が好きなのか。
幼い頃からの婚約者には、名前を呼ぶことも、呼ばせることもしなかったくせに。
頼ることも許さず、完璧を求めたくせに。
それ以来、私は笑うことも、異母妹に優しくすることもやめた。
平民丸出しの行動や言動から、彼女を罵倒した。
それでも彼女の行動も言動も治ることはなかった。
だから言ったのだ。
「平民如きが、貴族を名乗るなんて烏滸がましい」
確かに八つ当たりの意味も含まれていた。
しかし、私は間違ったことは言っていなかった。
その証拠に、学園の者達は私を止めなかった。
異母妹を庇ったのは、王太子がその場に居合わせた時だけ。
貴族や王族の役目を果たすこともしない低能、無能な王太子は私との婚約破棄を望んだ。
だが、それは国王によって退けられた。
そんな日々も長くは続かない。
国王がひと月程、公務で国を離れているときだった。
王太子は私との婚約を破棄し、異母妹との婚約を強引にした。
もう、どうでもよかった。
死んだ母が結んだ婚約も、どれだけ私が努力しようが無駄なのだ。
諦めてしまえばいい。そう思っていたが、我慢し、耐え続けてきた私の心は壊れていた。
『如何して、私の人生を、心を壊したあの女が生きているの?』
異母妹と王太子の婚約が発表されたその日、私は異母妹を部屋に招き紅茶を進めた。
彼女は嬉しそうにティーカップに口をつけ、紅茶を嚥下した。
毒を混ぜた紅茶を。
そして、床に倒れ込んだ。
そこからは簡単だ。
私は殺人罪で投獄された。
異例の速さで行われた裁判には、予想がついていた。
憎々しげに私を睨みつける王太子と実父。
悲しげに私を見つめる継母と異母妹。
致死量ではなかったうえ、毒を一口しか口にしてなかった異母妹は、私の裁判に当然出席した。
そうして、今の状況に至る。
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「……貴様、とうとう狂ったか。何が殺されただ。殺されかけたのはマーガレットだ!!!」
王太子は怒りを露わにして叫んだ。
本当は、黙って死ぬつもりだった。
この無能な王太子なら、私を極刑に処すはずだと分かっていたから。
けれど、これだけ尊厳を踏み躙られてきたのだ。
伯爵家如きのぼんぼんが、公爵家令嬢を粗野に扱い、娘の私を放置し、家に戻ったと思ったら、平民と家族ごっこの強要。
下らない正義感で、義務も果たさず、女に熱を上げる馬鹿な王太子。
…………最期くらい、私の心の内を吐き出してもいいかもしれない。
「では、貴方様方には何も非は無いのですね?」
私の言葉に王太子は鼻を鳴らして答えた。
「当然だ」
「それでは」
遠慮なく言わせてもらおう。
「慣習を破り、母が死んでたった三ヶ月で愛人と子供を後妻に迎え入れ、放ったらかしにしてきた私に突然父親面を始めた父も、無神経に家族になりましょうという継母も、貴族の学園に通ってるにもかかわらず、平民丸出し、注意もろくに聞けず泣いて男に縋り、挙句の果てに異母姉の婚約者を奪った異母妹も、散々頼ることは恥だと私に言い続け名前を呼ぶことすら許可せず、その異母妹には愛称を呼ばせ自らも鼻の下をデレデレと伸ばし、国王が不在中に権力を振るう王太子殿も……」
そこで一旦言葉を切る。
精一杯の笑みを浮かべて
「何も悪くないのですね?」
静まり返った場に、私の声だけが響く。
辺りを見回してみれば、王太子も父も継母も真っ赤な顔をしている。
異母妹は意味がわかっていないのかぽかんとし、他の貴族達はというと…………声も出さずに嘲笑していた。
「ご立派で御座います。貴方様のような方が国父ならば、この国は素晴らしいものになるでしょう。…………女の言うことを聞き、ころころと言葉を変えるような、素晴らしい王太子様ならば」
これはおまけの嫌味。
「い、今すぐリーリア・ベルナードの首を刎ねよ!!!王族に対する不敬だ!!!早く!早くこの者を!!!」
王太子の言葉に、近衛兵が剣を抜いて私に迫る。
その顔には、哀れみが浮かんでいた。
やっと一矢報えたのだろうか。
「お手数お掛け致します」
近衛兵に笑いかけると、一層彼の顔が歪んだ。
迫り来る刃を見つめながら、後悔を数える。
後悔しかない。
如何して私は黙って耐えてしまったのだろう。
如何して私は今のようにもっと心の内を吐き出して来なかったのだろう。
如何して私はもっと上手くやらなかったのだろう。
そうすれば、こんな馬鹿共、幾らでも復讐出来たはずなのに。
もう一度、人生を初めから行えるとしたら………………。
「もっと、言ってやればよかった」
「もっと、やり返してやればよかった」
「…………もっと、幸せになりたかった」