伊万里、大宰府、生まれ故郷に 続き
で、突然だが、福岡って、都市高速が走っている、130万都市だから当然か。高速道路を走っていると、左側から飛行機が福岡空港を目指して降りて来る。着陸態勢に入っている飛行機は車輪が出ている、真下からそれを見て感動。
で、何故公民館にしたのかと云うと、叔母さんの住所分からなくなってしまったから。飯塚市鯰田の三菱炭鉱社宅ははっきりしているので、鯰田公民館を訪ねて見れば分かるだろうと。本当はあまり行く気はなかった。4年程暮らした所だが、年中親父が炭鉱夫仲間と呑んでいた記憶と、大事に育てていた鶏が、ある日鍋になっていた記憶だけで、それと、自衛隊任期中家族で来たとき、友人の家で呑んだ親父が強かに酔って、おぶって戻って来た記憶とか、そう自慢できるものではなかったから。
それでも来た。公民館を訪ねると、50歳前後の女性が丁寧に説明し地図まで。昔のことは義母が知っているとのことで、電話で聞いて、そう間違いなく私が暮らしたところ。道は狭いけど、昔はバスも走っていた。社宅は小高い所にあり、坂を下って、義祖父の家を訪ねれば、不憫に思っている義祖父が柿や鶏を呉れたこと、その鶏に紐をつけて登った坂。しかし、結構長く、こうだったかな、と古い記憶を訪ねれば、そこしかない。
こうして叔母さんの住所を訪ね、表札を見たが、名字はあっているが名前が違う。ちょっと首をかしげたが、家に戻りもう一度整理して見ると、その炭鉱住宅は間違いなく私が住んだ所。
ま、そんなことで飯塚を訪ね、さっぱりしたところで、本来の目的地である太宰府天満宮を目指した。
菅原道真公の霊を慰めるべく家族4人はるばる来た。到着したのは午後3時半、大屋根の形をした太宰府駅を通過し、民家の家の駐車場で誘導するおじさんに誘われて駐車。
宏は行かないと言う、混んでいる所は余り好きではないのだ、だから、3月浅草に行ったときも人が多いからと、車の中で待っていた。
仕方ない、3人で、参道を歩くが、呼び込みの声が賑やかだ、学生も多いが、中国人らしい一行も多い。参道の突き当たりを左に曲がりコンクリートのアーチ橋を3つ渡る、響子ちゃんが、この橋は過去、現在、未来を模したものなのよ、と、時々思うが結構蘊蓄がある、いや、スマホでさっき仕入れた知恵だ、と思う。
口をすすぎ、手を洗い、100円の賽銭を入れ、神妙に祈る。大体が、何処へ行って拝んでも邪な願いだけだから、神様も呆れていることだろう。東風吹かばの梅の木を見、神殿から目を左に向ければ、何と大きな木が見えるではないか、近づいてみれば銀杏の木が、高さ39メートル、根の廻り42メートル、目廻り12メートル、堂々たる風格、そう樹齢1000年とも1500年とも言われる神木だ。
響子ちゃんと哲也はもう少し参道を見て廻るというので、一足早く私は車に戻る、宏はゲームをしている。結構車の出入りはある。駐車場のおじさん汗を拭きながら、懸命に車両を呼び込んでいる。3時間400円、良心的な値段だ、この駐車料金については、3日目の長崎で、響子ちゃんから叱られた。
響子ちゃんから宏に電話、面白いティシャツがあるけど何にする、徳川家康、それとも上杉謙信、宏が謙信と答える。30分程経って戻って来た響子ちゃんは、参道を下って店を見ていたら、熱心に呼び込むおばさんに誘われ入ってみるとティシャツがあったので買ったとのこと。沖縄に行った時も宏ちゃんに買いました。
午後5時に出発、此処からは高速と決め、太宰府ICから嬉野ICまで。途中2か所サービスエリアに寄ったので、午後7時ホテル到着。
フロントで鍵を受け取る際、お食事は今からされますか、と。どうしてと聞くと午後8時から団体のお客様が、実はこの一行中国人、上海空港と佐賀空港は直行便があるので、結構嬉野温泉にも来ている。だから、今日は3部制で時間も1時間。では19時からと早速会場に。
しかし30分後に黄色のティシャツを来た中国人御一行様が流れ込んで来るではないか、私たちが座った所は20時からの予約席、そう、中国人の団体席。仕切られていなかったので座っていたが(私たちの外にも)。
係のおばさんがまだ駄目と身振り手振りで言うが、そんなこと聞き入れる奴らではない、どっとバイキングコーナーに、もうゆっくり食事出来る雰囲気ではない、響子ちゃんは怒っている、仕方ないもう部屋に戻ることにした。
少し気分を害したが、泣く子と何とかはで、では風呂に入ろうと、きっと誰も入っていないだろうからと。案の定、2、3人だけ、哲也も宏も響子ちゃんもゆっくりと。で、部屋に戻って待っていたら、哲也がカラオケにいきませんか、と。
何とメール会員になると1時間無料(利用料金1時間一人540円、だから4人で2080円)。結局、哲也と宏はメール会員で只になったが、響子ちゃんと私は駄目。それでも、歌いたかったので、気分直しに。
順番に曲を入れる、宏ちゃんは筋肉マンの歌ばかりだが、結構盛り上がる。私も得意の、たそがれマイ・ラブ、を、でも今ひとつ上手く歌えない、音程が少し狂っている、とそこに哲也と宏が歌ってくるではないか、これが良く合っている、結構上手い。
響子ちゃんが不思議がると、親父がよく歌っているから覚えたとのこと。そう私、パソコンカラオケで歌っています、2階ですが、1階に響くようです。で、この曲哲也と宏に譲ります。
昨日買った地酒とビールで乾杯、気分も良くなり、さっきの事は忘れ、伊万里や太宰府の話で盛り上がり、カラオケの話で盛り上がり11頃に就寝。
歌の通り、3日目の長崎行きは朝から雨。皆、早くから目覚めている、露天風呂に入れば雨が顔にあたる。朝食は7時から、中国人は7時半出発だから、もう会場は混みあっている。
日本人ならば、時計周りに並んで順序よく取っていくが、彼らは縦横無尽だ、あちらと思えばこちら、動きが不規則なためぶつかりそうになる。ましてや、遠慮なく大量に持っていくので、何もかも一斉に無くなってしまう。それでも、新しく補充されるのを待って、何とか朝食を終える。
今日は長崎のグラバー園だけ見て帰るだけ。8時出発、雨もきつくなってきた。嬉野ICから長崎までは約1時間、しかし県境では猛烈な雨に見舞われ、視界も悪くスピードに注意しながら行く。このまま雨かと思っていたら、何と長崎市内は止んでいるではないか、ラッキー。
グラバー園近くの公営駐車場に駐車しようとしたら、そこに男二人が立って、指で向こうに行けと指示する。行くと、せいぜい5,6台の駐車場に男達が3人ほどいて誘導する。仕方なく降りると、男がチケットを切って、1時間500円とぽつり。
少し気分を害したが、入れ直すのも癪とばかりグラバー園を目指す。何せ長崎は坂の街だから当然グラバー園も坂の上だ。土産物店が並び、おばさんが大声で呼び込む。園の横の大浦天主堂を通り到着。チケット売り場までに、エスカレータに2基乗り、入ればまた2基乗る。園内は朝早いから人影もまばら、皆ゆっくり廻っている。
展望台からは長崎港が一望、豪華客船も停泊している。テレビの画面でしか見たことがない客船はまるでホテルのようだ。グラバー亭の食事は豪華だ、当時庶民がご飯と味噌汁の時代に。
40分程楽しむ、帰りは小学生の一団に会う。私は、一足先に駐車場に、1時間だけ500円払うが、料金を貰うおばさんは不機嫌そう。一方通行なので、直ぐ出て、迎えに廻るが響子ちゃんと哲也はまだ見ているらしい、こうして3度廻ったら、哲也達が待っている。響子ちゃんは少しお怒り気味。ま、兎に角土産物もゲットしたので、佐賀空港に向かうこととする。
佐賀空港には12時頃到着、出発までには2時間半程あるが、車は早めに返してロビーで待つことに。響子ちゃんと哲也は2階の売り場を見に行っている。軽めのリュックも土産物を買ったので、少し重くなった。
機内に持ち込める荷物の重量は一人5キロまで、大丈夫かな。春秋航空のチケット売り場もまだ、その間にも乗客が降りて来て、私たちのようにレンタカーを借りに来る。13時から受付開始、響子ちゃんは上手に荷物を分配し、検査もクリア。
席は8列目に哲也、9列目に響子ちゃん、宏、私。手荷物検査も無事終了、成田のように騒がしくはないが、それでも出発ロビーには200人程いる。アンケートに答え、あとは搭乗するだけ。出発時刻14時40分の20分前から搭乗開始、先ず子供連れや優先を必要とする人を。それから、A席、F席を受け付ける。これは窓側を先に行かせ、通路の混雑を緩和するためだ、発想は良い。
しかし、係は女性一人、彼女はチケットを受け取り、半券を渡し、もう一人の女性は計算機を叩く、そう手動なのだ、だから時間がかかる。200人乗るのに、これでは間に合わない、機内の通路も進まない。案内を聞いてない乗客がいて、それらが通路を塞いでいる。こうして席に着いたのが、15時頃。でもまだ出発しない、結局予定時間より30分遅れで出発。
しかし、思いがけない九州旅行、佐賀空港も知った、この思い出を忘れず心に留めよう、そしてまたいつか佐賀空港を利用しよう、ここから上海は直ぐだ。
海を越えたら 上海!
無事成田空港に到着、USAパーキングでマイカーに乗って出発したのは午後6時、予定より1時間遅れ。また、直ぐ高速に乗り、家路を急ぐ。9時半までヨークベニマルは営業している、買い物をしたいので疲れているだろう哲也に託す。10分前に店に入り、買い物セーフ。
ビールで乾杯。来年は何処へ行こうか、と、もう来年の話も出てくる。良い旅行だった。