男鹿セイコーグランドホテル 続き
いよいよ象潟へ、途中鳥海山のドライブウェィがあるが、震災の年、高速道路が無料だったとき、八郎潟に来た際登ったので、今回は素通り。道の駅象潟に到着、展望台へ。見える、以前は海だったところが隆起し、今は田んぼになっているが、昔島だった面影が小高い丘となって残っている、芭蕉の時代、松島と並び称されたことが分かる。大いに満足し、今日の宿のセイコーグランドホテルへ一直線。男鹿半島に入ってからは響子ちゃんの運転に。
日本海を左手に観ながら、漁村を抜け、丘を登り、また下り、トンネルを潜り、ウミネコやかもめを見、水平線を眺め、行き交う車もまばらな路をひたすら運転。到着予定時間に30分遅れの6時に無事到着、述べ420キロ。
部屋は南館、二部屋続きで約20畳、掛け流しの温泉に早速入浴、食事は7時から。
夕食は個室になっているのでゆったりと、冷たい生ビールで先ずは乾杯、響子ちゃんも宏も美味しそう。
海の幸が一杯の料理に舌鼓を打ちながら、明日の白神や斜陽館に思いを馳せる。この料理だけでも満足だったのを、哲也が男鹿の郷土料理で漁師さん愛用の石焼料理を頼んでくれ、腹一杯になったところに、もうそろそろ如何ですかと仲居さんが。
真っ赤に焼けた大きな石を鍋に放り込み、新鮮な白身の魚を一瞬にして煮、あく、を丁寧に取り除き、味噌とネギを加えたら出来上がり。石は単なるそこら辺の石ではなく、2、3回使用したら終わりの何とかという石。説明聞いたけど覚えられない、ま、いいか。石の温度は700度以上、それを4.5個入れ、鍋を沸騰させ、その強火で一瞬にして魚を処理する、忙しい漁師さんならではのアイディア。
ああ美味しかった、お礼を言って部屋を出たら、仲居さんが和太鼓の演奏が聴けますが如何ですか、と。フロントの男性に尋ねると、歩いて、1、2分、入場料も一人500円、よし行こうと、ほろ酔い加減に外の風は心地良い。スリッパからサンダルに履き替え、緩やかな坂を下れば直ぐ到着。
割と瀟洒な作りの会館に入り、フロントで求めた入場券を箱に、天上高い会場には既に太鼓が5個並べられ、中心には銅鑼も。椅子席で250席ぐらい、すでに50人以上は座っている、皆ホテル客のようで、浴衣を着ている人が多い。
そうこうしている内に、30まではいっていないだろうと思われる女性が一人宴台に、そして直ぐマイクを持った、これも30と見られる青年が一人、どちらも帷子のような衣装を着、露わになった肩から二の腕にかけ、筋肉が盛り上がっている。席もほぼ満席、銅鑼を叩き開演の合図。青年が先ずは一礼して挨拶、活動の名となっている恩荷について、皆さんからの大きな声援、それを恩とし荷物とし精進していく決意を込めた、と。
先ずは一太鼓、ドーンと腹に響く、そして次には目にも止まらぬ、バチ捌きで太鼓を打ち鳴らす、いやはや生の太鼓の音の迫力、圧倒される。興奮気味の所に、なまはげ、が3体登場、狭い会場を恐ろしくも愉快に練り歩く、太鼓の音と、なまはげ、で、嗚呼やっぱり男鹿に居ると実感する。その激しく力強い太鼓で既に二人は顔が紅潮している、汗も凄い。一番前の席はその汗が顔に掛るほどだ。
一曲演奏したところで、先ずは一息。女性と入場者でじゃんけん大会を、一人だけに特製のタオルが貰える。笑いの中に、また3名の男性が。少し太めの男性と、細めの青年二人。皆、腕が太い、高校生が一人入っていると説明があったが、彼かな、と。一息ついたとこで、リーダーがオリジナル曲について説明する、活動の場は海外にも広げベトナムでも演奏し、大いに好評を得た曲だが、皆さんの手拍子が何よりの力強い声援になるので、手拍子が少なければ直ぐ終わって仕舞う曲でもあると。
そう言われちゃ叩かずに居られない、5人が一斉に叩く太鼓で会場は熱狂、老いも若きも、否大半が爺婆だが、皆懸命に手を叩く、小生恥ずかしながら大声を出すが、その声は手拍子と太鼓の音でかき消され、恥ずかしくともなんともないぐらい会場は盛り上がる。手拍子が弱まると、リーダーが撥を振り回し鼓舞する、えいヤケクソよと、痛い手を更に叩く。
皆、草臥れたところで一息。興奮が会場を包む。リーダーからお礼の言葉、これからの活動予定とともに援助の協力も。そして最後の演奏に、今度は独演を中心に、一人一人が技を競う、皆凄い、立ちあがった客がおひねりを、続いて一人、また一人、またまた一人。
そして最後のトリはリーダーが、渾身の力で打ち叩く、息も切れよと。打ち終えたリーダーに仲間が非情にも止めることを許さない合図の太鼓を叩く、止む無くまた太鼓を、それに和して皆手拍子を。しかし、流石のリーダーも降参。こうして、笑いと熱気の演奏は終了。何と40分演奏して呉れました。ああ、楽しかった。