巨大カジノの白兎
日本でカジノ法案が可決されて早5年が経過した。東京でも合法とされるカジノが数件設立されているが、その市場規模はおよそ8000億円。大阪と福岡にも小規模な合法カジノがそれぞれ2件ずつ設立されており、それらも合わせるとおよそ1兆5000億円にも上る。
今や日本は世界でも1、2を争うカジノ大国になり、更なる施設の増設を期待して、世界中から投資がされている程だ。
だが、カジノの合法化はプラスとマイナスの効果を生む。実際に地域経済が活性化した国があれば、治安が悪くなった国もある。日本はその両方を体現してしまったと言えるだろう。
基本的にカジノへやって来る人間はおおよそ決まっている。資金に余裕がある弁護士や医者、大手企業の社員、時に芸能人や政治家等、富裕層が多い。意外にも暴力団等は殆どなく、その手の者達は大体地下の違法カジノに流れている。
そんな違法カジノの調査を終え、巡回に戻っていた時。1人の少女と目が合った。長い金髪に蒼い瞳をした少女は、頭に兎の耳を付けていた。所謂バニーガールと言うヤツだ。
少女はこちらに対して興味有り気に近付いて来て、言った。
「お兄さん!良かったら少し遊んで行きませんか?」
少女は明るく元気な声でそう言うと、自分の手を優しく握った。だが、今は遊んでいる暇はない。
「悪いが、俺は忙しい。誘うなら他の奴にしてくれ。」
そう言って握られた手を解こうとすると、少女の力は更に強くなる。一体どういうつもりなのか、少女の顔を見ると、彼女は真剣な眼差しで言った。
「お兄さんじゃなきゃダメなんです。私は私が選んだ人しか招待しませんから!」
その表情からして、冗談でものを言ってるようには見えない。一体、自分の何を見て選んだのだろう。
ふと周辺を見渡すと、通行人達がこちらを見てざわついている。
「オイオイ、マジかよ。あの兄ちゃん、アリスから招待を受けてるぜ。」
「ウソだろ!?そんな大物なのか、アイツ!」
少し離れた位置で話している男達の会話を読唇術で聞いたところ、この少女はアリスと言う名前らしい。しかも彼女から直々に招待を受けることは非常に名誉なことのようだ。
これだけの通行人がいる中、何故わざわざ自分を選んだのか。彼女の真意が気にならない訳ではない。一応、罠の可能性を考慮して警戒態勢を維持しつつ、自分は彼女・・・アリス=テスタロッサのリードを受け入れた。アリスの背後にはネオン輝く巨大な建物がそびえ立っている。
「ようこそ・・・ミラージュサインへ!」
中に入ると、店内は非常に豪華でどこか荘厳な雰囲気を醸し出している。この東京で最も大きなカジノだけあって、客層も見るからに富裕層以上の者ばかりだ。
カードゲームのテーブルの天井には大型で豪勢なシャンデリアが吊り下がっており、離れた場所からもよく目が留まる。
自分はポーカーのテーブルについた。現金をチップに交換しようとすると、アリスがその手を包み込む。
「あなたのお金は全額私が負担致します。だから、遠慮せずに思う存分遊んで下さい!」
「・・・分かった。なら、俺が勝ったらその金は全額君に返そう。」
アリスは自分の言葉が意外なものだと思ったのか、目を丸くしている。それを尻目に自分はチップを交換した。
「まずは10万から・・・ゲームスタートだ・・・!」
ゲーム開始から30分。
自分が賭けた10万は8000万となり、手元に戻って来た。あまりの出来事にギャラリーは沈黙している。1000万を超えた辺りまでは、まだ騒がしかったが、2000万に差し掛かると、全員固唾を呑んで見守っていた。
「つ、強い・・・。」
「ゲームが始まってから、全く表情を変えてねぇ・・・なんて強靭な精神力の持ち主だ・・・!」
ギャラリー一同は自分に注目し、騒然としている。
相手がいなくなったテーブルを立ち、約束通りチップの山をアリスに渡した。
「それは返す。元々アンタのだ。」
「待って下さい!・・・もし良かったら、二人っきりでお話しませんか?」
カジノ奥のVIPルーム・・・その一角にある個室へ案内された自分は部屋のベッドに腰掛ける。そこは豪華な装飾が施された、高級ラブホテルのような部屋だった。
アリスも自分の隣に腰掛けた。
「ごめんなさい、急に呼び出して。でも・・・もっとよく、あなたのことを知りたいと思ったんです。決して誰にもしてる訳ではなくて・・・。」
「分かってる。でも、何故俺なんだ?」
「・・・初めて見た時、あなたは他の人とは違う何かを内に秘めている・・・そう感じたんです。」
他の人とは違う何か?まさか、自分の正体に気付いて・・・。アリスは続ける。
「でも、その『何か』の正体までは分からなかった。だから、このカジノで確かめさせてもらおうと思ったんです。」
どうやら、正体までは気付いてないようだ。だが、直感的に彼女は自分が裏の世界で生きている人間であることに感づいている。それは確かだ。
自分の正体が知られれば、彼女にも危険が及ぶ可能性が高い。公安部特務課の人間である以上、いつ任務の中で死んでもおかしくないのだから。
彼女はそう思っている自分の手を急に引き、ベッドに仰向けで倒れ込んだ。そのままバニースーツをずり下ろし、豊満な胸を露わにした。
「あなたは私が気になる何か魅力的なものを持っています。そんな特別なあなたになら私は・・・。」
そう言って彼女は自分の上着を脱がせようとする・・・が、自分はそれを黙って制止した。
「どうして・・・?」
「俺は君が思っている程、魅力的な人間じゃない。君を抱く権利もなければ、愛する権利もない。」
アリスの手を優しく解き、服装を正して部屋を後にしようとする。
「待って!私のことは愛さなくても構いません!でも・・・また来て下さいますか?もう一度・・・私にその顔を見せて頂けますか?」
「・・・。」
自分は何も言わず、アリスに背を向けたまま部屋を出て行った。これが今の彼女に対する自分なりの答えなのかも知れない。
後日。
「どうしたんだ、ボーっとして。」
徹男が報告書をまとめながら尋ねて来た。
「別に・・・何でもない。」
「そうには見えないけどなぁ。」
そう言って、こちらの顔を見る。一応、彼なりに心配しているんだろう。自分は少しだけ徹男に喋った。
「アリス=テスタロッサって女を知ってるか?」
「アリス=テスタロッサ!?アリス=テスタロッサって言えば、国内最大手カジノ『ミラージュサイン』のNo.1カクテルガールじゃねぇか!」
徹男は驚嘆の表情で答える。彼の反応を見るに、あの街ではそれなりに有名な人物のようだが・・・。
「有名人なのか?」
「有名も何も、彼女からミラージュサインへの招待を受けた人物は一晩で東京の有名人になると言われている程の影響力を持っているんだ。それ故に、彼女に気に入られようと莫大な資産を投じる奴らが後を絶たないが、実際は殆どが相手にしてもらえないそうだぜ。」
そうか。先日、通行人達がアリスに招待された自分を見てざわついていたのは、そう言う理由があったからか。だが、自分は別に有名になりたくはないし、彼女から特別気に入られたいとも思わない。
正義の為に戦う自分に『名声』や『女』など不要だ。
その夜、再びミラージュサインの近くを訪れる。店の前にアリスの姿はない。
それを見て、少しばかり安心する。このまま彼女の記憶から自分の存在が消えていってくれれば、自分も心置きなく銃を握ることが出来る。
職務上、人の命を奪って生きている我々が誰かを愛するなどと言うことがあってはならない。下らん情が芽生えて引き金を引く指が鈍れば、自分だけでなく仲間の命まで犠牲にしかねない。
それに、こんな血みどろの手で一体誰を抱きしめろと言うのだ。
自分の手を見つめ、そのまま店を立ち去ろうとすると、
「キャアアアッ!!」
店の裏から悲鳴が聞こえた気がした。車の音や話し声で周囲の人間には聞こえていなかったようだが、今の声は間違いなくアリスのものだ。自分は急いで建物の裏側へ回り込んだ。
「やめてっ・・・放してっ・・・!」
「オイオイ、連れないこと言うなよ。こっちはお前の為に幾ら出したと思ってるんだ!?俺ぐらいの大物になれば、お前一人を幸せにすることなんて簡単だぜ!」
やはりアリスはいた。彼女と一緒にいる男は確か、主演ドラマや映画を幾つも持ってる有名俳優・・・だが、暴行事件や薬物所持のスキャンダルで最近はマスコミを騒がせているらしい。それに黒崎会の直系組織とも繋がっている可能性があることから、警察もマークしていると聞いた。
「あなたの器なんて、たかが知れています!あなたでは私を幸せに出来ませんし、私があなたを選ぶこともありません!」
アリスは気丈に振る舞い、男に抵抗する。男も我慢の限界に達したのか、アリスを壁際に押し付け言い放った。
「コイツ・・・!そんじょそこらの奴らじゃ稼げない金を今まで出して来たのに、全額突っぱねやがって!だったらよぉ、力尽くで俺のものにしてやんぜ!」
男がアリスの服を強引に脱がそうとすると、1発の銃声と共に男は彼女の前から吹き飛んだ。実弾ではない、手加減用の弾だから男はその場で気を失う。
未遂とは言え暴行の証拠が上がった以上、彼に有罪判決が下るのは確定だろう。それに彼女の前で殺しはしたくなかった。「怖いものをこれ以上見せたくない」と言う『情』が無意識に働いたのか、自分でも何故手加減したのか分からなかった。
「ありがとう・・・ございます。やっぱり・・・来てくれたんですね。」
アリスは自分に駆け寄り、抱きついた。だが、自分は彼女を抱きしめることは出来ない。自分はアリスをゆっくり離し、静かに言う。
「今ので分かっただろう。改めて言うが、俺に君を抱く権利もなければ、愛する権利もない。闇の住人である俺にはな・・・。」
これで自分のことも忘れてくれるかと思いきや、彼女は笑顔で言い返した。
「あなたがどういう人間であれ、私があなたを想うことは変わりません!私が選んだんです!あなたがまた戻って来るまで、私はずっと待ってますから!」
「・・・勝手にしろ。」
そう言って立ち去ろうとすると、彼女は自分に尋ねて来た。
「そう言えば、まだ名前を聞いてませんでした。・・・あなたの名前は?」
「・・・大・・・妹尾 大。」
名を名乗ると、夜の闇へ再び戻った。
銃を手に取り、引き金を絞る度に思う。もし、この世から悪が根絶され自分のような存在が必要なくなったとしたら・・・自分も誰かを愛して良いのだろうか。
そんな自問自答を繰り返しながら、月が見守る闇の世界を駆け抜ける。答えが見つかるその日まで・・・。
ゲストキャラクターであるアリスの登場回です。
彼女はお金で人を判断しない子で、思慮深く人を見る目があります。
余談ですが、日本でカジノ法案が実際に可決された場合、その市場規模は東京だけで1兆円近くになるそうです。