第6話
俺の朝は遅い。とても。
どれくらい遅いかというと、店の開店時間は基本未定、十時から十一時の間に開店ということにしているくらいだ。
いや、何も、これは決して俺が商売をさぼっているという訳ではないのである。何故ならば、俺は夜遅くまで、世の中に出回る新しい商品、特に俺が興味のある玩具関係の商品についてそれはもう熱心に情報収集をしているからなのだ。
ちなみに、昨日は、アメが寝た後一人でパソコンを用いてネットサーフィンをしたりなんかしていた。同室に女の子が寝ているというとてもとても日常とは思えない状況下であったとしても、俺の身体は決して日常を忘れることはできず、寝る前のネットサーフィン等々をなくしては生活することは不可能であった。
そんな訳なので、俺の起床時間は遅い。早くて九時、気分が乗らないと十時頃。とはいっても、勤務場所は自宅な訳だから、ギリギリに起きようがあまり支障はないのだ。いいだろう、いいだろう。
そんな余裕の思いで今日も悠長に起床、顔を洗ってあくびをしながら階段を降りる。むむ、何か、忘れている気がする……。
「あー……あれ?」
ここでようやく、俺は寝ぼけた頭が覚醒していく感覚と共に、昨日、この家に起きた大きな変化を思い出した。そうだ、そういえば、昨日から、我が家には女の子が一人住み着いていたではないか。
夜は布団二つで何事もなく、本当に何事もなく平和な夜を過ごし、それが故に、その存在を寝て起きてすっかり忘れ去ってしまっていようだ。それもそのはず、起きた時、部屋にアメの姿はなかったからだ。
覚醒してきた脳に疑問が浮かぶ。
さて、どこに行ったのか? ええ? あれ? もしかして、あれらは全て夢だったのか? 独身ニ十歳彼女なしの俺の身に訪れた女の子関係のイベントは神の手によってなかったことにされてしまたのだろうか?
しかし、その心配は俺が店先に出ようとしたところで杞憂であったという事が分かる。店先から聞こえるのは、聞き覚えのある声と、もう一つ、昨日聞いたばかりの女の子の声。会話している。その二人の正体は、慎二とアメで間違いないだろう。アメめ、俺を起こさなかったという点については評価したいが、無断で店を開けてしまうのはちょっと勝手過ぎやしないか。そのまま、おはよう、と陽気に店に顔を出し、慎二の前に姿を現しても良かったのだが、さて、一体全体、何を話しているのかということが気になって仕方がなかった俺は、盗み聞きなんていうちょっと楽しい真似をしてみようと思いつく。耳をすませば、二人の会話は十分に聞き取れる。
「いやだからなぁ? ドールっていうのはな、ほら見てみろ、もちろん遠くから見てかわいいなぁ~って言うのも大切だが、その一方で近くで見ても全く動じないこの完成度を。ドール一つを作るにもな、沢山の技師の人がかかわってるんだ。すごい完成度だろ?」
「うぅん……」
一体何を言ってるんだ。慎二の奴は。いや、何を教え込んでいるんだ。
「ドールの魅力は一言では語れない。ドールと一言で言っても沢山種類はあるけど、やはり、マニアが多く、完成度も一つ飛びぬけているのはこのスーパードールシリーズだろうな。メーカーごとにそれぞれ強みはあるが、何と言っても、人間をそのまま小さくしたのではとても追いつけない美しさがそこにはある。その昔あったお人形さんという世界は子供たちの世界だったが、ドールは違う。ドールとはその言葉自体は人形を意味するものではあるが、今の日本でドールといえば、これみたいに精巧な造りをした大人たちだけが楽しめる少しお高いお人形さんを指すことが多いな」
「へぇ……」
多分、会話から聞くに、俺の店に飾ってあるドールを指して説明でもしているんだろうが、それにしても、色々と趣味趣向の偏りが垣間見える
アメよ、逃げてもいいぞ、慎二のドール好きはなかなかのものであり、動画投稿やなんやらの収入のうち、ドールにかけているお金は相当なものである。そして、付け加えれば、慎二のこういうところが日本の女性の方々にはウケが非常に悪いのであり、彼がわりとイケメンでありながら全くもって結婚する気配のない理由でもあろう。まぁ、彼が俺に「こういうドールのパーツ入ったらとり置いといてくれ」と注文をくれるという点については店として大助かりなのだが。
「ドールの魅力といえば服なんかもその一つだね。中には自分で服をつくったりする人もいるくらいだ。……あー、そうか、分かったぞ」
いきなり慎二の声のトーンが代わり、
「……そうか、そうか、我が友、空土よ。あいつ、ついにドールを手に入れたくてこんな小さな女の子をつれてきてしまったのか……」
「そう、だったの」
いやいや、待て。待つんだ。お前が買い取ってくれとかなんとか言い出したんだろ、アメ。なんで慎二のドールトークの流れで同意してるんだ。
「そうだったのだ。だから、御影さん。君はもう空土のお人形さんなんだよ……」
おいおい、と泣き真似をする慎二。
「大丈夫、自分の身はもう昨日、くうどに買われたのだもの」
「そうか、買われたのか、御影さん。買われたからには、空土の言うことは絶対。何を言われても逆らってはいけないのだよ」
「絶対、服従、ってやつね」
いよいよ辛抱することは難しくなり、俺は
「はーい! おはようー! グッモーニーン!」
と大きな声を上げて乗り込む。
「なっ、欧米かぶれ……!」
何故か英語挨拶にむっとするアメと、
「よう……ドールマスター……」
何故か俺のことを同志と勘違いしている慎二。どこから突っ込めばいいのか悩みどころである。突っ込み放題である。しかし、俺は関西人ではなくとても真面目な男なので、ここは全てに対して突っ込むことを諦めることにする。
「さて、慎二くん」
「なんだ、ドールマスター」
ドールマスターではない、と言ったら負けだ。
「今日は一体何の用事だね」
ふふ、と小さく笑う慎二。
「今日はな、動画撮影に来たんだ。というか、そうさっき決めたんだ」
「……は?」
話を聞くと、どうやら、彼は、今日はこの店の仕事風景を撮影するのだという。それを撮って何がどう面白いのか具体的に説明してくれと問うと、
「何が面白いかって? いやいや、考えても見てくれ。この小さな小さな古臭い骨董屋に昨日来た謎多き少女がコスプレして店にいるっていうことが面白くなくて何になる?!」
とのことである。いや待て、おい、お前、昨日逃げただろ、と喉から手が出るほどいいたかったところだが、さて、よく考えれば、これは店にとって良いことではなかろうか?
この慎二という男。こんなふざけたことばかり言ってはいるが、ネットで飯を食う男。彼の書いた記事や彼が投稿した動画の閲覧数は一般人にはとても及ばないくらいに数が増える。日本中の誰もが知る、とまではいかないが、街の人一万人に聞いたら大体一人くらいは彼のことを知っているくらいには知名度がある、多分。ということは、この店に来る人が増えるかもしれない。特に労力を使うことなく、収入を増やせるというのならば、それを利用しない手はないだろう。
「はい、というわけでね! 今日は骨董屋『なんでも買います。』の店長の仕事にね、密着したいと思います! 店長、今日のお仕事は!?」
「俺の今日の仕事はただ一つ、例のものは探すことだ」
「例のものとは?」
しまった、動画だからといってちょっと格好良く言ってみたのが仇となった。
「キャ、キャプテンアルテマのプラモデルだ」
「……おー! すっげー! ぶぅーん!」
てな感じで雑な今日の仕事の紹介から始まったものの、後は俺が探す様子を撮ったり、撮らなかったり。たまにどこかへ行ったかと思えば、テレビを見て情報収集を担当しているアメを撮影しにいっていたりするなど、慎二の動画撮影の様子はとても自由気ままであった。
「それ、本当にネットにアップロードするのか? それ、面白いか?」
と聞いてみたところ、
「俺くらいになるとどんなクソみたいな動画だろうが編集でそれなりに面白いものにできるからな」
なんていう、まるで俺の仕事風景はクソであるかのような言い方をされてしまった。
そして、そのなんともクソなことに、何時間か家の中を大捜索したにも関わらず、ついに、キャプテンアルテマのプラモデルが見つかることはなかったのである。
「おかしいなぁー」
とはいえ、買い取りをした記憶もおぼろげながら、もしかしたら、もうすでにネットで売り払ってしまっているかもしれない訳で、それらの記憶も遠い昔のもので定かではない。日々、いろんなものが入ってくるだけに、それらを全て覚えているかと言われたら自信はない。探せるところはほとんど探した上で発見できなかったということは、所持していない可能性がとても高いだろう……。
「それで、どうするんです!? 先生!」
慎二が撮影機器を手にしながら煽るように聞いてくる。うーん、と悩んだが、
「買い取りで募集かけるしかないなぁ……」
という結論に行きつく。ネットから購入しようにも、通販においそれと出てくるような代物ではない。出るとしたらネットオークションなどだろうが、それを悠長に待っていては出てくるかどうかも分からない。
「あ、それなら、いいよ、ホレ、この動画で買い取り募集してもええぞよ。この店のホームページの百倍はアクセス出るだろうしな」
軽く馬鹿にされているような気もするが、それは間違いのない真実である。百倍どころか、千倍、一万倍くらいはあるであろう。
俺は慎二の言葉に甘え、動画にてその視聴者になるであろう方々に向け、キャプテンアルテマの買い取り募集のプラモデルを告げる。
「今なら、一万円で買い取ります!」
「えぇっ!? マジ!? こんなしょーもな──いやいや、こんな、えーっと、あの、趣がありすぎるものが!?」
慎二のリアクショントークも終わり、動画撮影は終了する。それにしても、見つからなかったというのは少し面倒なことになってしまった。
未だ飽きずにテレビを見ているアメにちらりと目をやると、アメもその視線に気づいて何故かガッツポーズをしてくる。テレビで余計なことを覚えたのだろうか。残念ながら、ガッツポーズはいつ何時でも使える便利ジェスチャーではないということを今度教えてあげなければならない。
「……撮れ高はこれくらいでオーケーかなぁ~」
慎二が撮影機器の電源を切る。これで生活の糧を得ているというのだから、こいつの腕は確かなものなのだろう。俺、何もしてないし。
「もう夕方か」
「もうそんな時間かぁ」
外を見れば日が沈みかけている。家中探し回って、目的のものを見つけられなかったのはなかなかに痛い。
「じゃ、俺は帰るわ!」
颯爽ときて、アメに変なことを吹き込んだ後、これまた颯爽と帰っていく彼の後ろ姿には清々しいものがあったが、この時の動画撮影の利益はなんと翌日すぐに俺の元へもたらされることなった。
それを知ったのは慎二からの電話だ。
「──マジか」
寝ぼけ眼で電話に出た俺に、慎二はこう告げた。
「キャプテンアルテマのプラモデルが家の倉庫に埋まってるかもっていう人が買取依頼出してきたぞ」
これにより、俺の頭はフル覚醒する。仕事だ。買い取り業務だ。
「ちょっと福見市から距離はあるが、一日で行って帰ってくることはできるだろ」
慎二から買い取り先の住所や相手の連絡先を聞きだし、携帯デバイスにメモを取る。お礼を言って電話を切ろうとしたとき、慎二がちょっと待て、と言った。
「なんだ?」
「今、そばに御影さんいるか?」
奇妙な問いであったが、今、アメは店先で飽きもせずテレビを見ているので、いや、と答えると、慎二は急に声のトーンを下げて言った。
「あれな、結局何者なんだ? 昨日、俺は適当に接して雑談もしてみたが、あれは、何か隠しているように見えるぞ。お前、ただでさえ福見市に住んでるんだ。アレ、北日本と何か関係あるんだろ?」
「うーん……」
どう答えてよいものやら悩む。そりゃあ、まぁ、確かに、今すぐにアメを追い出すのが俺の安全のためではあるのだろうが……。
「わからん!」
言い放つ俺。電話越しにため息をつく慎二。
「いいか? 俺はこれでも半分くらいはジャーナリストみたいなもんだ。今は平和に見える二国間だけどさ、そもそものところ、あっちに住む人間と俺たちとじゃ、価値観ってのが全然違う。それだけは頭に入れておけよ」
「? ああ、そうだな」
いまいちピンと来ず、俺は、生返事で返した。