第5話
ここに記しておこう。アメの好きな食べ物。たまご味のふりかけ。曰く、
「白米にふりかけるだけで味がつくなんて、これはきっと魔法の食べ物。最新の科学技術はここまで発展していた」
らしい。ふりかけの歴史を俺は存じ上げないが、きっと、ふりかけという食べ物自体は今から百年以上前からあっただろうと思われる。北日本ではいいものを食べさせてもらっていなかったのか、という問いを食事中に投げかけてみたところ、
「働かざる者食うべからず。これは、働いていない人間は物を食べるなという意味ではなく、不労所得で生きるものたちを戒めるための言葉なの」
という謎豆知識を披露される。北日本っぽい標語であるが、さて、それと俺の質問はどう関係していたのだろうか。
食事は、店舗の二階、生活部屋にて取られる。これまでは、俺の数少ない友人である慎二が飯でもどうだと誘ってきた時以外は勿論、俺一人で食べていた訳である。それ故に、そこに女の子一人が参入してくるということには少しばかり問題点があった。
一つはスペースがあまり広くないという事。生活スペース自体は、和室一部屋、一階の店部分の上部がそのまま生活スペースになっているため、物が少々おかれているものの、狭苦しいというほどではないが、ちゃぶ台(何故この時代にちゃぶ台かといえば、たまたま買い取りに行って無償でもいいから持っていってくれと言われた末捨てるのももったいないという貧乏性が発動したからである)の広さが少しだけ狭い。一人用のものであるためだ。故に、アメとの距離が少し近い。近すぎる。ま、まぁ、やぶさかでもないのだが……。
それはさておき、もう一つの問題は、食事が質素過ぎるということであろう。俺は、そりゃあたまには外に豪華に食事をしにいくこともない訳ではないが、家で食べる時は、栄養価を最低限取れればいいというとってもミニマムな考え方をしているため、できあいの物を買ってくるか、はたまた、栄養価を投げ捨てて文明の利器であるインスタント食品を食すかなのである。別に食費を切り詰めている訳ではないが、働きたくないという基本的な意思を尊重した結果、さほど豪華な食事を日常的に取る必要はないという結論に行きついたのであり、本日は、なんと残念なことに、その質素な中でも特に質素を極めているふりかけご飯に納豆というシンプル過ぎる食事内容なのである。
とても客人である女の子に出してはいけない食事内容であろう。常軌を逸していると言われても仕方がない。でもな、これだけは聞いてくれ、納豆の栄養価はすごい。
「ふりかけ、そんなおいしいか?」
そんな俺の不安をさておき、可愛らしくちょこんとちゃぶ台の前に座している少女アメは、ふりかけご飯を口に含み、まるでとろけるような表情をしてその味を噛みしめている。
「おいしい。こんなものがこの世界にあっただなんて……いつもは、ブロックみたいなのとかをよく食べている」
一体この子は北日本でどんな生活をしてきたんだと考えると、これ以上詮索するのも何かよろしくないような気もするし、さらに言えば、何かとんでもない地雷を掘り起こしてしまいそうな気がして怖くて聞けない俺を目の前にして、続いてアメは、卓上に並んでいる納豆が入った発泡スチロール製の容器を手に取る。
不思議そうに見た後、俺の方をじっと見てくる。これは何かという問いであろう。本当に何も知らないのだろうか。納豆くらいは北日本にもあるはずだが……。俺は小さい子に教えるかのように、納豆の容器を手に取ると、パリパリと接着を剥がし、容器のふたを開けてちぎる。皇国に住んでいる人ならば一部、納豆大嫌い信者の方々以外は誰もが口にしているであろう日本の伝統的な食品納豆の登場である。すると、
「納豆」
と、アメが口にする。どうやら、納豆の存在は知っているようだ。この容器の中身に入っているのが納豆と確認できるや否や、アメは順調に、調味料を投入、その後の納豆をかき混ぜるという行為まで行きつき、口に含む。
「うん」
リアクションは薄い。納豆自体は食べた事があったのだろう。ふりかけの時のようなリアクションはない。何も知らない謎多き少女だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。北日本で一般的に取り扱われているものについては知っているのだろう。その一方で、北日本の中の軍にいたというのならば、ある程度強い拘束状態にあったのだろうと推測でき、それ故に、この納豆の容器だったりふりかけだったり、テレビだったり、そういったものに珍しさと新鮮さを感じているのかもしれない。
そうして、アメとの質素過ぎる食事を終えた後、俺は一つの悩みに直面する。
「……寝る場所、どうしよう」
当然ながら、アメは俺の家にこれから住んでいくということになろう。いつまでだとか、本当にこの子をこの家においていいのか、だとかとてもとても重要な問題を頭の外に放り出すくらいには俺の頭は混乱していた。
部屋は一部屋しかないのである。
アメが、風呂を要求してきたために、シャワーしかない、と告げてとりあえず風呂に案内したはいいが、その間に、この後の行動についてまとめておかなければならない。
頭の中のささやかな悪魔的俺が、
「いいじゃねぇか、部屋は一つしかねぇんだ、それにー、あー、なんだったけな? そうそう、布団も一つしかねぇだろ? ないよなぁ? あったかなぁ? なかったよなぁ、じゃあ仕方ないじゃねぇか、一緒に寝るしかない。そうそう、これは別にやりたくてやっている訳じゃない、不可抗力なんだ。なぁに、大丈夫だ、アメは北日本のおそらく閉鎖的な世界の中で育てられてきた少女。どうやってここに来たのか、そんなことは知らねぇが、推測するに、男女がどうこうなんてことを考えているとも思えない。そうだろ? え?」
と、とても知的な戦略を俺に授けてくる一方で、天使的な俺は、
「…………」
沈黙を貫き通している。どうした、天使的な俺。いるんだろ、返事をしてくれよ。
そんな壮絶な葛藤を繰り広げている俺の背後から、ぺたぺたと足音が聞こえてくる。恐らく、シャワーを浴び終えて階段を上がるアメの足音だ。
差し迫る足音に、俺は、結論を出せぬまま、部屋の中で探し物でもしているフリをすることにした。まぁ、事実、雫石に頼まれていたものを探さなければいけないわけでもあるし──なんていう状態の俺のいる部屋の引き戸をあけながらアメは、
「くうど、服は?」
なんてことを口にし登場する。えぇ? 服ぅ? 着てるよぉ、と、返事しようとして開けられた引き戸の方を見ると、そこにいたのは、紛れもなく、なんか、見た事がある、そうだな、そう、これは昼間に見た……。
すっぽんぽんのアメさん。
「おぉ、おーー、おう」
俺はすぐにアメのしなやかな体に対して背を向けて、どうしたものかと考える。うん、確かに、そうだな、そう。確かに、あの軍服チックな服で夜の時間を過ごすというのはちょっと気が張るかもしれないな。寝衣にしてはリラックスしにくかろう。かといって、かといってである。そうだといっても、何の躊躇もなく、男の前にその裸体を晒すのはとてもとてもいかがわし、いや、いかがなものかと思うが、その辺りはどのようにお考えでしょう、アメさん、という余裕などある訳もなく、俺は、適当にそれらしい服が入っていそうな押入れを指さし、
「あー、あれあれ、その辺に、きっとあるから、きっとね」
と、すぐさま衣服を着て、文明人に近い外見になってもらいたいと願う。いや、別にね、いいんだよ、裸を見ても。俺だってもう十九歳だ。学生でもない。だから見たっていいんだ、というか、相手がそれを許可しているようなものだし。
でも、タイミングが悪いね。だってさ、俺は、この夜の布団が何枚になるかという勘定をしていた訳で、もっと言うなら、もっと言わないけど、そういう訳なんだ。そんなタイミングですっぽんぽんの女の子がいきなり目の前に現れるというのはどうにも心臓に悪いじゃないか。分かるだろう?
俺があたふたしていると、
「着た」
という声がかかる。俺が振り向くと、アメは白のカッターシャツに短パンという奇妙な服装になっていた。それでは寝づらくなかろうか、と考えるが、まぁ、彼女がそれを選んだのならばそれ以上口は出すまい。少なくとも、全裸よりはとっても文化的な姿になってくれて俺は一安心する。
「……で、だ。えーっと、布団が一つしかない」
「そう……」
「そうなんだ」
アメはけれど、そんなことには全く動じずに答えた。
「じゃあ自分は床でいい」
結局、お涙頂戴な謙虚さの前に屈した俺は、夜も遅くから埋もれている荷物をかきだしかきだし何とかもう一組布団を見つけ出すことに成功し、無事、一部屋で二つの布団を敷くことによって、アメと共に一夜を過ごした。とても紛らわしいので訂正しよう。アメと別々の布団で無事、何事もなく寝た。
眠りにつくまでの時間に、俺は、さて、どうやってアメと過ごしていくべきなのかということを考えた。眠気からあまり先のことまで頭は回らなかったが、まずは、共に過ごすということならば、仕事でもしてもらおうという結論に辿り着く。
問題は、アメが仕事をこなすことができるかという点だ。彼女が賢い、賢くないは置いといて、事実として、北日本にて生きてきた彼女が、皇国での生活に順応できるだろうかということには疑問が残り、そして、今、まさに、その疑問の答えが判明しようとしている。
「あー! ちょっと! 何やってるの!」
俺がお願いしたいのは店内の掃除だ。店内には無数の商品が所狭しと棚と言う棚に詰め込まれ、もとい、並んでおり、店の奥ともなるとなかなか足を運ぶ人もおらず、埃という強敵が商品の上につもりかさなっていたり、つもりかさなっていなかったり。はたまた、蜘蛛の巣なんていうものまでかかっていたり、かかっていなかったり……。いやいや、決して誤解しないで頂きたいのだが、これは、俺がさぼっているという訳ではないのだ。店の掃除をするまで手が回らないのだ。うん、うん、仕方がない、仕方がない。
と言う訳で、アメに、
「今日は、店の中を掃除してくれ」
と、ぞうきん数枚にハタキ、箒、塵取り、それらに加えて、商品によっては汚れを取っておいて欲しいので、ガラスクリーナーとティッシュ等々といったような掃除道具一式を手渡して掃除をお願いした。はずなのだが。
目の前に繰り広げられていた光景は、アメが年代物の切手をガラスクリーナーでごしごし拭く様子であった。
「? この紙には値札が貼ってある。汚かったので綺麗にしている」
どう、仕事デキるでしょ? という顔で、ガラスクリーナーを片手に俺の方を見てくるので、俺は、うーん、と唸りつつ、彼女に手元を見るように言う。
「どうだ?」
「? どう、とは」
「切手、見てみろ」
「綺麗になっている」
「そうだ。とても綺麗になっている。問題は、綺麗になり過ぎて切手の絵柄の印刷まで落ちてしまっていることだな」
「おぉ……」
全く意味の理解できていないアメに、実に三十分に渡り、切手とはどういうものなのか、この切手にはいかなる価値があるのか、そして、切手の絵柄を消してしまうことによって切手の価値はどのように下がってしまうのかという事を怒らないように怒らないように懇切丁寧に教えたところ、
「こんな紙切れに価値があるのは理解ができない……」
と、全国の切手マニアを敵に回さんとするような堂々とした返事が返ってくる。納得いかないらしい。捕捉しよう。俺はきちんとこの古い切手たちの価値を知っている。知っているからこそ、店の一角に置いているのである。ちなみに、店頭販売で売れたことは一度もない。
もしかしたら、俺は、とんでもない子を家に招き入れてしまったのかもしれない、と頭を抱えつつ、アメには、
「よし、ひとまず、アメには、今すぐにその作業を中止してもらって、椅子に座ってテレビから情報収集をするという仕事を頼もうかな」
という現段階においては完璧で的確な、適材適所な指示をして、この場を切り抜けることにした。
さて、今日はやるべきことがある。そう、キャプテンアルテマのプラモデルを発掘しなければいけないのだ。大仕事だ、俺にとっては。
アメがテレビの前でとても大人しくしてくれていることを確認しつつ、俺はするべき仕事に取り掛かった。