第3話
「えーっと、もうちょっとこう、他のにしたらどうかな?」
「しろ、ということ?」
「いや、しなくてもいいんだけれど、それだと、何というか、ほら、軍服とあまり変わらなくない?」
「しなくてもいい?」
なんだか会話が噛み合わない。
「あー、それは、君の自由だよ」
「じゆう……」
やはりどうにも自由という言葉にしっくり来ていない様子で、俺を見つめ返してくる。よく分からない少女であるが、そう見つめられても困る。
「……まぁ、いいや、それが気に入ったのなら」
「そう。ところで、買い取るということは、お金というものが貰える、と聞いたことがあるのだけど」
アメは俺を真っ直ぐ見つめて問う。若干薄暗い店内。物が多いから照明が行き届いていない場所があるため薄暗い。そんな店内で、再び、俺はアメを買ったのだという事実を突き付けられ、ほんのちょっぴり、いいか、ほんのちょっぴりだけだぞ。ほんのちょっぴり、劣情を抱いたりした。ひとまずそれを振り払うために、俺は一つ提案をする。
「ほら、そこの椅子座ってさ、ちょっと話でも聞かせてくれよ」
先ほど慎二が座っていた椅子へ着席を促したのだ。アメは実に素直に大人しく、誘導されるがままに椅子に座る。この椅子ならば、置かれている向きからして、アメが俺の目をあまりに真っ直ぐに見つめることは出来ないはずだ。……って、なんだか自分で言ってて少し悲しくなってきたぞ。大丈夫か、俺。
「えーっと、で、君は、あ、アメは一体、どこから来たの?」
「自分は、北日本共和国から来た」
「あ、そう、うん、そうだよね、この街は出入り自由だもんね。それで、なんで、軍服に血をつけてたのかな? 親は? 身内は?」
「質問が多い」
むぅ、と椅子の向きなぞお構いなしに体の向きを変え、俺を見つめて返答してくる。どうやら彼女にとってはそれこそが礼儀正しいコミュニケーションの取り方なのだろう。大人しく受け入れるとしようか。
「ごめんごめん。アメは、自分が買われるということがどういうことか分かってる? いやね、言っておくよ、そりゃ、俺は別にそんなことをするつもりはないんだけれど、自由がなくなるってことだよ。自分が誰かに所有されるってことなんだから」
すると、アメは、俺の言葉がまるで異世界の言葉であるかのように大きく首を傾げ、
「誰かに、所有? それなら問題ない自分は元々北日本共和国のために生き、国の所有下にあった。訳あって、その状態ではなくなっていたけれど、自分には、その、自由、というものは元々なかったから」
「そんなものかねぇ」
「そんなもの」
確かに、ここに住んでいては分かりにくいことであるが、日本皇国の外を見れば、自由を奪われている人々は星の数ほどいると俺は考える。その現象はすぐ隣の北日本という国では当たり前に行われていることなのだ。それが、良いことか、悪いことかは置いておくとして。
「そんなことより、自分はいくらなの?」
アメは、ずいと体を乗り出してカウンターに手をつき、覗き込むようにして問う。俺は片手でその迫りくる顔を元の位置まで押し戻す。
「あー……」
そして、考える。
人一人、っていくらなんだ、と。
かつて世界には奴隷制度が存在した。けれど、今の世界にそんなものは存在しない。いやいや、そもそも、他を見たところで、この子の価値というものをお金にすることなど出来るだろうか? いや、できる訳があるまい。法律上の問題がどうだということは今は考える必要がないとして、ど真面目に、この子を買い取るとしていくらだ、ということを俺は不覚にも考えてしまっていた。
そんな問いに答えなどある訳がないのに、もはや職業病だろう。俺たち骨董屋というのは、どうにも物の価値を知りたがる。価値とは相対的なものであり、そこに絶対的な価値基準など存在しない。俺たちは相場の海に溺れないよう、必死に広く世界を見ようとしているのだ。
などと、言ってみたところで、アメの価値を日本円に換算するのはあまりにも難しい。そして、もし仮に、日本円に換算するというのなら、それは俺の貯金を全て切り崩しても払えるような額ではないのではなかろうか。
「はやく答えて」
相変わらず、遠慮ない問いかけを投げかけてくるアメ。近い近い、顔が近い。この子は人との距離感というものを知らないのか。再び俺は迫りくる顔面を押しのける。
「よーし! 分かった! そんなに言うならなぁ、いいだろう、ほら、言ってみろ! 希望額を!」
困ったときは客にぶん投げる、というのも、買い取り業務における一つの手段である。世の中に相場が存在しないものだってある。そういう場合には、ひとまず客の要望を聞いてみるのだ。無論、普段ならば、客に聞く、それ即ち、その値段に近い値段で買い取らなければならないことであり、明らかに主導権を失ってしまう悪手。買い取りのプロとしては、実にふがいない行為ではあるが、今回ばかりは買い取り対象自身が話してくれるのだから例外、ということにでもしておこう。
「日本、円……」
「あー、えっと、分かる? あれ、北日本でもお金ってあるよね?」
何を馬鹿なことを言うんだ、俺は。北日本にも円はある。けれども、反応が鈍いため、俺は、頑張ってお金の価値を伝えた。職業上、物の相場にはそれなりに詳しい。お金の概念を説明などしなくても、あれはいくらくらい、これはいくらくらいと具体例を出して説明すれば、概念を理解できずとも大体の価値は理解できよう。
「それじゃあ、くうどの値段は?」
「俺ぇ? 俺はぁ、そうだなぁ、プライスレス、かな」
「何を言っているの」
なんてことだ、ちょっと格好良く言ってみたつもりだったが、全く通じない。強敵だぜ。
「コホン、いいか、自分の価値ってのは自分で決めるもんだ」
それっぽいことを言って誤魔化そうとすると、どうやらうまくいったようで、アメは難しそうな顔をして考えた後、結論を出す。
「自分は……大体、三万円くらい……」
「お値打ち!?」
「高すぎる?」
「じゃ、じゃあ、さ、三万円、あ、あげ──」
俺は若干そわそわしながら、ちょっと傍から見ると気持ち悪い状態になりながら、レジを開けると一万円札を三枚取り出し、少し常識がなく身体つきもスレンダー過ぎるがそれなりに可愛い少女を買い取ろうとした時である。
俺の店の扉が勢いよく開き、
「やー、お邪魔するぞ~」
と、あまり広くない店内を三往復はしようかというほど元気な女の声が店内に鳴り響く。
「……あ?」
元気な声の主は、そして、目の前で繰り広げられている金銭のやり取りの様子をしっかりその目に焼き付けて、慌てて駆け寄ってきて、俺がレジから取り出した三万円をふんだくる。
「何をやってるんだ、君はぁ!」
今日は訪問者が多い……そんなことを俺は思う。やってきたこの女は、雫石蝶子。北日本共和国所属の本物の軍人だ。軍人であるが故に、その身体つきはとてもしっかりしていて、身長は俺とほとんど変わらない。服装はしっかりとした北日本共和国女性軍人用の軍服である。アメの時と違い、下はスカートの下にズボン、軍靴という露出の無さすぎる格好であり、上半身もまた露出はほとんど無に等しいが、雫石の身体つきの良さを隠しきることは難しい。
「いやいや、誤解、誤解ですって! 誤解が独り歩きしている。この夏、誤解がすごい」
この、俺を殴り飛ばしたら俺が三人は吹っ飛んでいきそうな女を敵に回すのはよろしくない。いや、この女、こんな辺鄙な店に来るほどの訳の分からない人物であり、また、毎回、売っている俺でも価値を理解できない骨董品なんかを買い漁っていったりするような訳の分からない行動を取るような人物であるから、言い訳なんてしなくても何とかなったかもしれない……か?
「誤解!? 誤解だと。何のだ! まだ何も言ってないのに! それが誤解の独り歩きだというのか!? お前は何か、その椅子に座るいたいけな少──あ、ちょっと服装がおかしいけど──少女をどうにかこうにかしてしまおうという魂胆だったとでもいうのか!? 言うのだな!?」
いや、どうやら、そうはいかないらしい。俺は何とかその恐らく誤解であろう誤解を解かなければいけない立場にいるということを悟る。
「なぁ、君、大丈夫か? この男に何かされていないか? いや、いい。最後まで言わずとも……。この金を持ってさっさとこの場を去るがいい」
雫石はそう言うと、俺からぶん取った紙幣三枚をアメの手に握らせ、この店から退店するように言う。
「お、おい、待て待て。大体なんだ、雫石。いいか、俺はだな……ええと、だな」
しまった、何と説明すればいいのか。まさか、
「いきなり血まみれの北日本の軍服を着たその子が迷い込んできて自分を買ってくれなどというものだから俺は快諾してあわよくば、あれや、これや、男の子がしたいことランキング上位に位置することをやろうとしていたんだ、邪魔をするな」
とでも言えばいいというのか。いやいや、それはまずい。いくら、この辺鄙な店に頻繁に買い物に訪れる変な人間だとはいえ、相手は北日本軍人。非常に厄介なことに、北日本軍人はこの福見市において、日本警察と似たような権力を付与されていたりする。そうでなくとも、この軍人女と格闘をするようなことになりでもすれば、きっと俺の体はひしゃげ、崩れ、下手すればこの世界における行動の自由を物理的に、半永久的に奪われかねないような相手なのだ。ここは文明人らしく、毅然たる態度で、相手に反論の余地を与えない完ぺきな立ち回りをしなければなら──
「あなたは何? 自分は今、この人に自分の買い取り査定をしてもらってる。邪魔されるのは困る」
「ひょー! アメさん!?」
俺の華やかな未来計画はアメの唐突な告白により完全に頓挫し、目の前に迫りくるは死の恐怖。どう乗り切る。どう乗り切るんだ、俺! 人間、いざという時には脳の力が極限まで解放されるという。俺は素晴らしい機転を利かせ、雫石がまだこの場の状況をよく理解していないということ、アメが恐らく俺の断言し畳みかければ逆らわないだろうという予想を立て、起死回生の一打を放つ。
「あー、そう、雫石。よく聞いてくれ。ここにいるのは、俺の親戚のアメちゃんだ。いつも利用してもらってるこの店が俺の祖父のものだったというのは知ってるだろ? 俺、結構親戚多いんだよ。で、この子は、俺の母親の弟のいとこの連れ子だ。じゃあ何故ここにいて俺が三万円渡そうとしているのか、ってのが疑問だよな、うんうん、分かる、そりゃあごもっともだ。何せ、俺は若いとはいえもう学生じゃない。そんな人間がこの年端もいかない軍服のコスプレみたいな格好をした子に現金を渡そうって言うんだもんな」
チラ、チラと雫石の表情を伺う。とてもとても怪しいものを見るような目で見ているが、まだ突っ込んでこない。ちなみに、アメはというと、恐らく俺が言っていることが理解できていない。やったぜ。
「あー、北日本に、親戚付き合いが重要という風潮があるかは分からないけどな、皇国じゃとっても重要なことなんだぜ。お盆にはお墓参りをし、正月には親戚一同に挨拶をして回る。そういう風潮は、日本に古くからあるものだ。文化の違いは面白いよな、な? 雫石だって、面白いものがあるから福見市に顔出すんだろ? あ、いいか、そんなことは。それで、だ。俺はこのアメちゃんを親戚から預かっている。何故かって? それはな、不況だよ。不況も不況で、この子の両親は二人とも職を失い明日食べるものにも困っているという状況なんだ。北日本じゃそういうところ、政府が強く面倒見てくれてるのかもしれないけどな、こっちは何せ強い強い資本主義。そんなときに頼れるのは、人一人を養うことができて、さらに時間もある、そういう親戚なのさ。そこで俺が選ばれたってワケ。どうだ、完璧だろ?」
最後の一言は明らかに余計であったが、あまりにもスラスラとそれっぽい言い訳を並べ連ねることができた自分へのご褒美ということでここは一つ。
さぁ、どうだ、雫石。流石に無理があったか? 俺は雫石の反応を待つ。雫石はうーむ、と意味深げに考えた後、
「面白い! よーし、いいだろう、いいだろう。そうかそうか」
と、納得したような発言をし、
「……そこまで必死ならな……いいよ、女に恵まれないお前が、その子をそこまでして手に入れたいという気持ち……。嘘ではあるまい……」
とてもかわいそうなものを見るような目で俺を上から見下ろしてくる。
「ち、ちが、だから」
「皆まで言うな! 私も北日本にいながら、皇国領土で買い物をするいわば異端児。お前のような人間にも手を差し伸べねばなるまい……」
さらに哀れむような視線を向けてくる。なんだか、とっても意味の分からない方向へ話が進んでいってしまっているような気がする……。ちなみに、当事者であるアメは、俺と雫石の会話に紛れ込む気はないらしく、興味深げに、テレビ画面を見ていた。自由である。