第2話
確かに、俺の店の名前は、「何でも買います。」である。おしゃれポイントは、店名には句点も入るところだ。この店名、この店が祖父のものであった時のなんとかかんとか骨董店から、俺が店を貰った時に大幅に買えた店名である。古めかしい言葉を使っていては新しい時代に対応できないと考えた末の決定であり、同時に、何でも買うということをアピールしたいが故の思い切ったネーミングだ。我ながらセンスを感じる……ような気がしなくはない。
そして、「何でも買います。」は本当に何でも買う。この世の中に売れないものなどない。誰かにとってはガラクタだとしても、また別の人にとってはそれは宝物かもしれないなんてことはよくある話で、科学が発展し、物が溢れる社会であったとしても、小さな小さなニーズというのはそれを満たそうとする競争相手が少ないというのが魅力なのである。故に、俺は、こと物を買いとるということに対してはとにかく受け皿を広くしていた。
とはいうものの、流石に買い取らないものだってある。まず第一に、大きすぎるものや、取り扱いに特定の免許などが必要なものだ。例えば、身近なところでいけば、自動車なんかは置き場所もない上に手続きもややこしい。こういったものは当然ながら中古車屋に任せるのが吉だろう。大きさ以外で、取り扱いが難しいもの、といえば、ガソリンなんかはどうだろうか? ガソリンをこの店に「買ってください」などと言ってくる輩は今のところいないが、ガソリンの取り扱いは免許なんかも当然いるだろうし、不可能である。まだあるぞ。第二に、ただのゴミだ。いくらなんでも生ごみを持ってきて買い取ってくれ、と言われても、その、なんだ、困る。そんなこんなで、まだ買い取れないものはあるにはある、あるにはあるんだ。
おうおう、お前、何でも買います、といっているくせに何でも買い取らないじゃないか! って?
いや、待って欲しい。
確かに、おっしゃる通り、おっしゃる通りではある、が! がしかし、だ! こんな言葉があるだろう。
「何でもしますから」
じゃあ、君。こう言ってきた相手に対して「じゃあ死ね!」と言うのか!? 言わないだろう? い、言わないよね、言わないと言ってくれ……。と、とにかくだ。何でも買います、というのは一種の煽り文句みたいなもんで、あなたがガラクタだと思っているようなものでも、とりあえず一度持ってきてください、という暗喩なのである。
幸いにも、これまで、俺が
「ああ、困ります、お客様、何卒、ああ、何卒、困ります、お客様……」
というようなものを持ってきた人はいないし、であるからして、俺は今後もこの店名を維持し続けることができると考えていた。楽観的に。今日、この時までは……。
今日、この時、俺の店の門を叩いた女は、言い放ったのだ。
「自分を買い取って」
と。
その言葉には大いに驚かされたが、大丈夫、冷静に対処しろ、こんな訳の分からない人間の相手をする必要などない、という至極冷静な自分が残念ながら発揮できなかったのは、相手の服装にあった。
「あ、えー、と」
俺はしどろもどろになりながら、相手をただただ見つめることしかできない。そうしているうちに、女の子は店内へと入り、扉を閉めてしまう。
女の子は、軍服を着ていた。極々普通の日本に暮らす一般人だとしたらそれだけで驚くべきことだろう。しかし、俺は福見市という少し特殊な環境下に身を置き、十八の時から約一年半、ここで商売を営んできた訳であり、日本人の普通とは結構感性は離れている。加えて、この街には北日本の軍人が結構な頻度で遊びに来る。この店にも、何週間かに一度、決まって顔を出す変わり者の軍人がいるという事実もある。だから、ただの軍人であれば驚かないのだ。
しかし──その女の子の軍服は、何か異様だった。北日本軍人はこちらの土地に来る時には軍服を着用することが義務付けられているらしいのだが、その色は黒を基調としたものである。階級によって装飾があったり、なかったり。それに加えて、軍靴に軍帽、といったキリリとした服装だ。
けれども、その女の子の様子は、よく見る北日本軍人とは明らかに違った。女であることがおかしい? いや、違う。北日本の軍人に女はさほど珍しくない。うん、確かに、軍人にしては身長は低い。俺よりも十センチ、いや、二十センチは低く、小柄だ。だが、俺が感じた違和感はそれではない。
軍服のサイズがおかしい。よれよれだ。明らかに大きく、さらに言えば、男用の軍服である。女用の軍服は下が膝上くらいのスカートでその下にピッチリとしたズボンを着るような形。男用は、少し肌との間に余裕がありそうなズボン……。女の子の着ている服は、明らかに男用で、サイズが大きい。これが異様である点のその一つ。
もう一つは、これが決定的。黒だから目立たない、黒だから目立ちはしないが……良く見ると分かる。血。血が付着している。それも、転んだだとかちょっと切ったとかそういう量の血ではない。体中にべったりついている。気持ち悪くなるようなおびただしい量の血が付着しているのである。
いくらなんでも、これは異様であり、身構えざるを得ない。何事だ、と緊急事態を想定せざるを得ない。救急車でも呼ばなければいけないか? とも考えたが、女の子の表情を見るにどうやらこの軍服少女自身は怪我をしていないらしく、服についている血は他人のものらしいという答えに至る。だが、いくら軍服といえど、血の後がこうもべったりと残るものだろうか? 第一、今は戦時ではない。そして、少なくとも、軍が動いたなんていう話はニュースになっていないはずだ。
では、彼女は一体、何……?
様々なことを考えたが、考えたところで答えにはたどり着かない。俺がどうしたものかと考えていると、知らないうちに、軍服少女はカウンター越しに俺の目の前まで迫っていた。
「自分を買い取って欲しい」
そして、再びこう述べる。表情は全くの無であり、何を考えているのかは分からないが、少なくとも、ふざけて言っているとは到底思えなかった。
近くで見ると、少女はとても綺麗で、軍帽からあふれ出ている恐らくさほど毛量はないであろう黒髪は、今の時代には似つかわしくない前髪がきっちり切りそろえられているといったような髪型であったが、それ故に、目がはっきりと見える。身体つきは、悪くはない。しかし、恐らく、俺よりは年下であろうその身体は華奢で、とても軍人には見えない。
「聞いている? 表に何でも買います、と書いてあった。あれは嘘なの?」
そして、俺は、あまり考えすぎることを止めなければならなかった。考えている場合ではない。目の前の少女に対応しなくてはいけない。さて、どう対応しようか……。下手に返せば、考えたくないが、今、少女が身に纏っている血の模様がもう一つ増えることになるのではないか、そんな恐怖を僅かに抱きつつ、
「あー、何でも、とはいうけれど……」
と、腕を組み、難しい顔をして返す。
「買い取るということは、何かを渡してその対価としてお金を貰うということ。違う?」
「ああ、あってるよ」
「だったら、自分は、自分をあなたに売る」
「悪いけど、現代日本において奴隷制度はないんだ」
「どれい……?」
「あー、奴隷ってのは……まぁ、いいや」
何かがすれ違っている気がする。不思議そうに俺の顔を覗き込む少女を見て、俺は、もうさっさとこいつを追い出してしまおうと思った。
この訳の分からない非日常をさっさと店外に追い出して、後は、この福見市にいるであろう日本の警察の方々にお任せするというのが一番良い選択であろう。俺の日常を侵食されることなく、無事、平和な毎日を取り戻せるベストな選択であろう、と俺の思考はおそらく正解らしい結論に辿り着く。
辿り着けたはずなのだ。俺の頭は、それなりに聡明で、この資本主義社会の中でも何とか生き抜くことができていて、今回も、そして、きっとこれからも、少なくともベストでなくともベターな選択くらいはできる、俺はそう自分を信じていた。信じていたはずだった。
「……ま、まぁ、その、なんだ。でもやっぱり、人を買うってのは……さ」
「一度しっかり売買契約を交わしたはず。守れないというのなら、最初から言わないで欲しい」
俺は、買った。
俺は、この軍服少女を買い取ってしまった。
彼女の名前は、御影アメ。年齢は俺より二つくらい下、らしい。身長は俺よりも一回り小さく、身体つきは至って普通、何故軍服を着ているのか分からないほど華奢だ。
なんで買ったかって?
聞かないで欲しい。……といっても、これは俺の最大の反省点として、今も、そして、これからも、俺の記憶にしっかり刻み込まなければならないであろうから、ここにズバリ理由を記載しておこう。
世の中にはこんな言葉がある。「一時の気の迷い」「若気の至り」。ああ、なんと便利な言葉だろう。
人間とは感情に流されてしまう生き物である。ああ、そうさ、俺は、ピンときてしまったんだ。少女、買い取る、この二つの言葉を足し算してしまったんだ。そして、あろうことか、その綺麗な顔を見ているうちに、ついつい、ちょぉ~っとだけ、ほんのちょっとだけだぞ、それはもう限りなく微小なミドリムシくらいのサイズの煩悩が俺の頭に浮かんでしまったのである。俺だってこれでも健気な十九歳男の子だ、そのくらいあっても仕方ないだろう。仕方ないよな。
何度も言おう。人とは、感情によって流されてしまう生き物なのである。毎日一人で暮らす日常生活に、女の子が取り入れられたらどうなるだろう、そんな好奇心が俺の理性と戦いを初め、そして、数秒後に俺の理性は完全敗北を喫していたのだ。
なんたる不覚、なんたる様。
しかし、もう言ってしまったからには仕方がない。拒否して暴れ出されても困る。俺はこの先のことをなんとか考えようとした。まずは、目の前の危険を避ける必要がある。今、この血のついたサイズの合っていない軍服を着ている少女が店の中にいるというのは明らかに異様な光景である。それを何とかしなければいけない。
「あー、分かった、分かった。よし、じゃあー、そうだ。その服を脱いで、なんか適当に着替えてくれ」
そこまで言って、俺は女ものの服なんて持っていないということに気がつく。けれども、すぐに代替案は思い浮かんだ。個人的に所有していなくても、このごちゃごちゃした店の中に、少しくらいなら服が埋もれている、はず。
「……って! 何やってんの!?」
「?」
俺の叫びに小首を傾げて俺を見つめ返す目は、きょとんとして、何を言っているの、という問いを俺に投げかけてくる。
何故俺は叫び、彼女の肌色の肌が俺の網膜に届くやいなや一瞬で目を伏せる。俺の頭の中で、何人かのすっぽんぽんの小人が小躍りを始め、歌い出す。すっぽんぽん、すっぽんぽん、うきうきしてしまうようなリズムが俺の頭に流れてくるが、俺はなんとか振り払い、両目を両手で覆ったまま、恐らくアメがいるであろう方向を向いて言う。
「脱ぐのは着るのを探してからだし、そもそも、俺の前ですっぽんぽんになるのはおかしいでしょ! 自由過ぎない!?」
「じゆう……?」
「あー、あー、もう、もういいから! ほら、店の中に、多分、どっかに服あると思うから、好きなのを選んで着て! ね!」
俺は何とか今目の前に起きているすっぽんぽんハーレムから脱出するための手段を叫んだ。
しばらく、がさごそ、という店の中を動き回る音が聞こえ、恐らく、ビニール袋から、服を取り出すがさごそ音が聞こえ、アメが服を着ているであろう音が聞こえる。俺は無心に徹し、ただ、ひたすら、目の前にいるであろう生まれたままの姿になっている女の子が服を着て、文明人として恥じない姿になってくれることを祈り続けた。
俺の祈りは半分くらい通じた。達成された半分というのは、アメが服を着ていたということ。達成されなかったもう半分の要因は
「なんでその服を選んだの!?」
彼女の服が、軍服調の少しイカしたオシャレ感溢れる若干コスプレ臭のする服であったということ。頭に被っていた軍帽は外され、着ていた軍服とともに捨て置かれている。軍帽で隠れていた髪の毛は隙間から覗いていたように黒色で、手の込んだ手入れをいている訳ではなさそうだが、ふわりと膨らんでいる。
「え、だって、これが決められた服に似ていたから……少し、違うけれど」
人が着る服であるという点においては問題はない。いわゆる、パンクファッションと呼ばれるところに分類されるであろう服装である。軍服チックな様子を表すことを意識しているが、軍服とは大きくことなる色気がある。少なくとも、北日本の男用のサイズのあっていない軍服を着ているよりは目立たない。幸いなことに、セットになっていたショートパンツと黒のオーバーニーソが、若干の普段着っぽさを醸し出している一方で、これまた同じく服と同色黒のケープが若干の普段着っぽくなさを醸し出している。苦言を呈するとすれば、この街には、このようなオシャレ過ぎる服を着て道を歩いている人を見た事がないという点だろう。東京にでもいけば、ある程度いるのかもしれないが、残念ながら、この街は、国境近くとはいえ地方都市に過ぎない。浮く。