第11話
「これを見る」
アメが指さした動物はクジャク。確かに綺麗ではあろう、綺麗では。しかし、動物園に来て最初に見たいのがクジャクというのはいかがなものであろうか。
「クジャク……鳥の? なんで?」
「服を着てるから」
「なるほど」
見たい理由を突き詰める必要もないと感じ、俺は鳥類が固まっているエリアへと足を向ける。幸いにも、鳥類エリアは入り口からすぐ近くにあったため、ここからグルリと一周していけば、おおよそ園内を渡り歩けることに気がつく。都合が良い。
足を運ぶまでは、鉄製の檻の中にクジャクが一羽いるだけだと勝手に考えていたが、なんと、鳥類エリアにいる一部の鳥たちは、一つの建物の中で開放的に飼育されているらしい。
「おぉ、すごいな! 自由に動いてる鳥たちが見えるのか!」
「へぇ?」
早速その家屋へと足を踏み入れると、そこには多少の仕切りはあるものの、広い建物内ほぼ全域を使って鳥類が放し飼いにされていた。通路以外のところなら鳥たちは自由に歩き回り、飛び回れるという寸法だ。
「おお、いっぱい鳥いるな」
そこにはクジャクだけでなく、様々な種類の鳥たちがいた。鳥について詳しい訳では全くないが、建物の壁に貼ってある紹介ボードを見ればどのような鳥類がいるのかは一目瞭然である。
「……?」
どこか不思議そうな顔で鳥たちを見つめるアメ。どうやら、目的のクジャクがいないことに疑問を持っているようだ。もう少し奥へ行けばいるだろうと考え、歩みを進めようとしたその時、
「あぁ!」
「おぉ!」
と、歓声が聞こえてくる。何事かと思い、アメと共に急いで歩みを進めると、そこには、なんと、驚くべきことに、一羽のクジャクが羽を大きく広げている姿があった。
その姿、美しく、羽の模様はクジャク自身が意図して描いたかのように整っていて、規則的に並ぶ目玉のような模様がより一層美しさを際立たせる。クジャク人の体もまた、鮮やかな青色であり、空を宝石にしたかのような輝きは、きっとそこにいた人たちの心を虜にしただろう。
俺自身、クジャクにさほど熱心に興味を持っていた訳でもなく、そもそも、動物園に来てクジャクを真っ先に見たいと思ったアメの気持ちは全く理解出来なかったが、この光景を目の当たりにした今、そんなことを考えた自分は見る目無しであったと反省しなければならなかった。何せ、すぐ目の前で、柵もなく、クジャクが羽を広げている様を見れる訳だ。時折、クジャクが体を震わせそれに伴ってガサガサという音と共に広げられた羽が揺れる。目にしてしまえば何でもないものだと考えていたが、それはどうやら違うらしい。ずっと見ていたい、そんな気持ちが俺の頭を包み込んでいた。
そして、どうやら、それは、アメも同じらしかった。彼女に至っては、きっと、北日本でクジャクの存在さえ知らずにここに来たのであるからして、その感動は人一倍と言えるだろう。ああ、ああ、なんていう感動の声まで漏れ出ている。いつもは余程の事がないと大きく開けない目を、全開に広げて、クジャクが羽を広げている様子をこれでもかと目に焼き付けているようだった。
「すごい」
思わず漏れだしたアメの一言に、ひとしきりすごさを感じ終えた俺が反応する。
「あれは雄だ。雄のクジャクはああやって羽を広げて雌に自分の存在をアピールするのさ」
「……」
俺の説明が耳に入らない程感動しているらしい。無理もないかもしれない、俺だって、実物を生でこうして見てみて、過去に見た事がない訳でもないにも関わらず、一定のすごさを感じたのだから、そんなものまるで目にしてこなかったアメからしたら衝撃の光景なのだろう。
「きれいだよなー」
「……きれい。持って帰りたい」
「いや、それは無理だ」
アメの願望を叶えてやることは難しい。
「こう開放的な空間だから、羽広げるんだろうな? 詳しくは分からんけどさ」
「開放的?」
「ほら、広いだろ、普通、動物園の動物って檻とかに入れられてることも多いからさ」
「え、そうなの?」
「そうだぞ、ま、鳥は人を襲うことがないだろうから、こうやって近くで見られるようにしてるんだろうな。肉食獣とかだと、こんなに近くでは見れないなぁ、動物園では」
もっとも、そうはいっても、実物を見られることには変わりないのだ。アメのためだけに来ているつもりではあったが、案外、俺も楽しんでいるのかもしれない。いやいや、楽しんでいる。動物園、楽しいじゃないか。
「へぇ……?」
檻がどういうものなのかいまいちピンと来ていないらしいが、回ればすぐに明らかになることなので、ここで敢えてしっかり説明することはやめておいた。
しばらくすると、クジャクは羽をわさわさと羽ばたかせて、徐々にその広がりを閉じ、鮮やかな羽は折りたたまれてしまった。クジャクとしても、そもそも人間に見せるためにやっている訳ではないので、そこに文句を言うのはおかしな話であるが、周りの客からも、アメからもちょっとした落胆の声が聞こえていた。
ここにはクジャク以外も何十種類もの鳥類が居て、それらを少しの間見た後、
「さ、次行くか」
と、クジャクが再び羽を開くことをいつまでも待っていそうなアメを何とか説得し、次の場所へと移動する。
続いてはいよいよ肉食獣ゾーン。ライオン、トラといったとてもメジャーな肉食獣たちが並ぶこの動物園内でも人気ある場所である。大型肉食獣たちはどれも鉄格子に入っているものかと思っていたが、どうやらそれは俺の勝手な思い過ごしらしかった。そのような動物園はもう古いイメージなのかもしれない。見る側の場所との間には、確かに厳重に堀、電気柵といったような、絶対に肉食獣たちが越えられない工夫はしてあったものの、百獣の王ライオンたちはそれなりに広さのある場所で飼育されていた。
「おぉ~、すごいな……寝てるけど」
とはいえ、彼らが常に歩き回ってくれているかといえばそうではなく、一様に、日陰でごろんと寝転がっている姿を見れるだけであった。こればかりは仕方がない。至近距離でみれば迫力もあるだろうが、それなりに距離を置いた安全圏から見れば、なんだ、こんなものか、と少し拍子抜けしてしまう。それでも、その巨体はそこらで見られるものではなく、見ていると不思議と高揚感のような感覚に飲み込まれる気分であった。
さて、アメはというと、
「……あれ、どうしたんだ、あれ、ライオンだぞ」
何故か、もやもやした表情で、納得のいかない様子でライオンを見つめている。周りの客たち、子供たちは、やれライオンの口がどうだとか、寝てるけどどうだとか、ライオンが一向に動こうともしていないというのに楽しそうに見ている。
「どうした? あれ、ライオンだけど」
何度も何度もライオンライオン言う自分が何だかちょっと馬鹿らしく思えて、笑えてくる。アメは、悲しいでもなく、怒っているでもなく、ライオンを見て、何と反応してよいのか困っているように見えた。
「動いてないと分かりにくいのか?」
「ううん、違う」
「なら、どうしたんだ? 生でライオン見れるなんて動物園くらいだぞ?」
「うーん……なんか、違う」
どうやらしっくり来ていないらしい。確かに、寝そべって動かない姿は、メディア媒体で見るライオンの姿とは様子が違うは違うだろうが……。
煮え切らない様子のアメは、少しの時間見ていただけで、
「次、行こう」
と、足を次の動物へと向けてしまう。もう少しだけ見ていたかったが、アメがそう言うのなら仕方がないと俺はアメの後ろに引っ張られるようにして続く。
スマトラトラをはじめとした肉食獣たちは、猛々しく動き回っているということはなかったが、近くで見るだけでも十分な迫力があり、いくら狭い空間にいるといってもその威圧感はなかなかのものだった。意外に楽しいじゃないか、という感想を抱きつつ、まじまじと見つめる俺とは別に、アメのどうにも煮え切らない様子は徐々に高まりを増していっているように見えた。
肉食獣のゾーンを一通り見終わるころには、アメは、煮え切らない様子どころか、どこか不機嫌さを感じられるくらいに目に見えて楽しくなさそうな顔をしていたのである。さすがにこのまま放置して触れない訳にもいかず、
「よーし、だいぶ見たなー、ちょっと一旦休憩しないか?」
と、提案する。時刻はまだ昼には少し早いが、昼時には食事を取れる園内施設は混雑するであろうことを考えると、このくらいの時間に軽く食事を取っておくのは愚策ではないだろう。
アメにその旨を説明し、俺たちは園内にある食事が取れる建物へと入る。笑顔のお姉さんに軽食となる焼きそばやら唐揚げやらを注文し、席へと運ぶ。こういうところでの食事は、まぁ、確かに、値段が高めに設定されてはいるが、こういうところでは多少の値段を払ってでも現地で適当なものをつまむというのが動物園での思い出の定石であろうから、値段設定に対してとやかく言う気はない。
席に着き、食べながら問う。
「なぁ、どうしたんだ? 元気ないんじゃないか?」
「ん」
普段から、問えば、見当はずれとはいえ、答えを返してくれたアメが答えを返さない。
「何か嫌な事あったか? ん? あー、あれか。ライオンとか、寝てたから」
そんな子供染みた理由だろうか、とも考えたが、他に検討がつかない。けれど、当然、アメは首を横に振った。そして、言う。
「テレビで見たのと違う」
「……あー。えっと、それは、あれか? 檻に囚われてるから、とかそういう?」
アメはコクリと首を縦に振った。それで元気をなくしているというのも、少し俺には共感し難いが……。
「うーん、確かになぁ。まぁ、テレビのは、野生で生きてる姿を撮影して映し出してる映像が多いもんなー」
「こんな囚われた生活で、ライオンとか、トラとか、その、いいの?」
「いいの、ってか」
ここで、北日本の話を出しでもしたらそれこそ地雷を踏むことになるだろうから、俺はそれを出さずに論じることを求められた。
「いや、いいんじゃないか? だって、餌は十分貰ってるんだ。野生と違って飢え死ぬ心配はない。そりゃ、確かに、狭い空間といえば狭い空間かもしれないけど、何も狭い檻に閉じ込められているという訳じゃないんだ。ここで生まれた動物の子供だっている。もっといえば、そいつらにとってはそれが世界の全体で──あー、なんだ、難しいことは分からないけど、そんなに、言うほど、不幸って訳でもないんじゃないか?」
アメは相変わらず煮え切らない様子である。こうなったら、あれだ、最後の切り札、切るしかない。
「人間だって同じようなもんだろ。元々人類だって大草原で生きてたんだ。それが今はどうだ? コンクリートのジャングル……とまでは言わなくても、籠の中で生きてる、違うか?」
格好良いことを言いたい訳でもなければ、俺は社会を分かっているんだぜ、とすかしたい訳でもない。これは紛れもなく事実なのだ、誰が、何と言おうと。
「でも、だからって、それが不幸だって思うか? 俺は思わない。その中でも、俺は自由を手にしていると思うけどな」
「…………」
少々語気が強くなってしまったからだろうか、アメは俺に何か返答することなく押し黙ってしまう。気まずい。周りの人々の空気は明るく楽しくオレンジ色だというのに、俺とアメの二人の空気はまるで冷め切ったカップルの二人であるかのように水色だ。
何か打開の一言を、と考えていたが、その一言はアメに奪われる。
「違う……」
「え?」
アメは俺をキリと睨みつけて言った。
「自分たちは選択をしているから」
「……?」
アメの放った言葉をすぐ理解することが俺にはできなかった。選択? 選ぶ? 何を? ぼんやりと答えが浮かびそうではあったが、けれど、浮かばない。もやもやとする感覚の中、俺は焼きそばを口に運びやすい量だけ箸で挟んで口に運ぶ。
「良く分からない。別に喧嘩をしたいって訳じゃないんだ。でも、だって、そうだろ? 俺は、確かに、自由に生きてるよ。生きてるけど」
生きているけど、なんだ、何だろう。何かに、縛られているんだ。それは、例えば、お金、時間、人間関係、土地、生き方、あげ出したらキリがないじゃないか。なのに、アメは違うという。
そりゃあ、確かに、動物園の動物と、人間社会で生きる人間を対比するというのはあまりに暴論であったかもしれない。けれど、少しは。少しくらいは似通ったところがあったのではないか? 違うか? ……いや! いい! よし、もういいよ。そんなことは! 思考停止も一つの解決なんだ!
「てことで!」
「!?」
いきなりキッカリ笑顔で言い放つ俺に、アメはビクと肩を震わせる。
「後はアメにやるよ!」
半分以上食べておいて何を言うんだという顔をしているアメに、ニカッと笑顔を向けて、俺は背伸びした。




