第1話
人間は社会というものを築く。人間のほとんどはその人間社会の中で生きるし、およそ、現代日本においてその理から離れて生きている者はいないと言っても過言ではないだろう。
そんな俺も、この日本という国に生まれて十九年。俺が生まれてから社会的には様々なことがあったらしいが、俺自身にはさほど特別なことはなかった。人と違うことと言えば、俺は資本主義を素晴らしいものだとは思っていなかったし、かといって、今、この、日本皇国が資本主義経済の下で国を動かしていることを不幸だとも思っていなかったということであろうか。
俺は楽に生きたかった。この日本皇国において楽をして生きるためにどうしたら良いかといえば、既得権益にぶら下がり、富を生み出し消費してくれる生産者兼消費者たちにぶら下がり、つまるところ、資本主義経済下にあるこの国の強みに寄生虫のように住み着くことによってその目的は達成することができる。では、俺はどうしたかって? 簡単なことだ、俺は、俺のご先祖様がくれた遺産を引き継いだんだ。
「といっても、こんなちっぽけな骨董屋じゃ、働かないと生きていけないんだけどな」
呟くのは店のカウンターの椅子の上に座る俺、古川空土。他の日本に住む人たちと違うことと言えば、国境のごくごく近くに住んでいるということ、そして、北日本共和国に住む人が自由に行き来できる開放都市指定された福見市に住んでいるということであろうか。
『──政府は今日、北日本との間に新たな軍縮条約を締結することを決定し、保有する戦力の──』
店内、俺がレジ前に座っている時にちょうど見やすい位置に設置してあるテレビからは、今日もいつもと変わらず美人さんなアナウンサーが俺が住む国、日本皇国と、その北部に位置する北日本共和国との間のニュースを流し続ける。
別に俺はニュースが好きな訳じゃない。チャンネルを回せばそれはもう沢山のバラエティ番組がやっている。けれどそれらにチャンネルに合わせないのは何故かといえば理由は二つある。一つ目はつまらないこと。二つ目は俺が福見市に住んでいるということである。この福見市で商売をやっている以上、俺は、どうあっても隣国の状況を知らなければいけないのだ。
「さぁ~ってと!」
平日。昼を回り客足は伸びない。今日の来客者数はゼロ人である。ちなみに、一日の平均来客者数は一人から二人といったところだ。そんなことで食っていけるのか、という声も多々上がることであろう。食っていけるのだ、今の世の中。秘策がある。それもこれも技術の進歩のおかげである。
「棚の整理、荷物の発送、後は──」
しなければならない仕事を確認する。店の売り場は俺一人で十分管理できるほどの広さである。あー、残念なことに、見通しはかなり悪い。とにかく、物があふれているのだ。その様子はまさに倉庫と言われても仕方ないであろうが、どれもこれも、この店にとって大切な資産である。ゴミ屋敷、人はそう呼ぶだろう。……まぁ、否定はできないような見た目になってしまっているが。
窮屈な店の中で、発送しなければならない商品をピックアップしていく。俺の店は骨董屋。店名は「何でも買います。」。骨董屋などという古めかしい名前を捨てて言うならば、リサイクルショップ、中古買い取り店とでも言おうか。今のご時世、インターネットの発達によって、人々は店頭以外でも買い物をするようになった。であるが故に、俺もまた、インターネットで物を売る。福見市という田舎とまでは言わないが、日本の端、北日本のすぐ近くという場所に店を構えながらも人一人が食っていけるだけの売上を出せているのはほとんどはそのインターネットの力のお陰である。インターネット様々なのだ。
供給が足りていないもの、プレミアム商品と呼ばれるような商品の多くは、色々な家庭の中に埋もれている。そういったものを買い取って市場に流すという役割を俺の店は担っている訳だ。いわゆる、スキマ産業、というやつだな。
俺の一日の労働時間は意外にも長い。買い取りをしてくれと頼まれれば買い取りをするし、時にはネット経由で依頼がくることもある。同時に、今やっているような発送準備、それに勿論、店内に入ってきたもののインターネット通販への出品作業。言い出したらキリがないが、俺一人で店を経営しているのだから当然と言えば当然だろう。
「……ま、それが誰にも縛られずにやれてるって時点で、恵まれてるんだろうけどネ」
本日の発送準備を終え、後は郵便局の事務員さんが回収に来てくれる時間まで待つ。雑多な業務は腐るほどあるが、やればやるだけ金にはなるし、気分が乗らないときはやらなければいい。決して安定した収入を得られる訳ではなく、儲かる金額も手間に対しては控えめであるが、結婚せず、一人で生活するだけというのなら困らない。結婚願望? なくは、ない、が……俺は自由に生きたいから、今のところ、強くは考えていないな。
そんなことを考えながら、再び俺はレジが置かれたカウンターの内側の椅子へと腰かけてテレビを見る。情報を集めようとしているのではなく、ただ、ただ、だらけているのである。
『──北日本政府が、自然回帰派の弾圧を────全体主義による運動の規制はますます──』
ふーん、と独り言をつぶやきながら見る。いくら隣国だからといって、北日本国内のもめ事までそう敏感に反応してニュースにしなくてもいいんじゃなかろうか、とも思う。勿論、この福見市に火の粉が降りかかってくるというのなら話は別だが……ってそんな現金な考えはよくないだろうか?
「ふーん、じゃすまねぇかもしれねぇぞ? いいのかぁ?」
俺の独り言に反応する声が店先からする。その声の発信者は店の扉をガラリと開け、ひょっこり顔を覗かせ、よう、と挨拶する。
「なんだ、慎二か」
若干、初見さんには入りにくい店の奥へとずかずかと足を踏み入れてくる男は藤原慎二。服装は季節外れな半袖半ズボン。綺麗でもない足をひけらかし、やや、視界に入ると鬱陶しさを感じないこともない。
「寒くないのか?」
「日本には四季ってもんがあるからな」
「いや、今、秋だぞ」
「なんだとはなんだ。いらっしゃいませの一言くらい言えないのか」
「ずれてる、ずれてる、服装も会話も」
挨拶代わりに誰もツッコミのいない会話に終止符を打つ。この男、基本的に客ではない。たまに、記事のネタ、といってわけの分からないものを売りに来るくらいだ。だというのに、この男、数日に一度遊びに来る。幼馴染のこの男は。
「あー、それで、なんだ。今日も遊びに来たってか。ほんと、いいよな。自由人め」
「……でも、俺はすっぽんぽんで街を歩くことはできない、これは自由と呼べるのかな?」
唐突に繰り出された露出癖的質問を俺はひとまず無視して、再び視線をテレビへと戻す。慎二は、謎の理屈は置いといて俺から見たら間違いなく自由人だ。この男は、親の遺産でもなければ、会社に勤める労働者でもなく、生きる糧を得ている。やっていることは様々で、主な収入源は、ネットで人気の出そうな記事を書き続けることだとか、何とか。難しいことは分からないが、広告収入というもので食っていっているらしい。彼曰く、常にネタを作り続けるのは難しいんだぞ、と言っているが、数日に一度俺のところへ顔を出すという事実を考えてもやはりこいつは自由人と呼ばれても仕方がないだろう、半袖半ズボンだし。
「自然回帰派、って知ってるか?」
慎二は、カウンター付近にある商品の椅子を勝手に拝借して腰かけながら俺に問う。出品作業をはじめとしてやろうと思えばいくらでもやることはある訳だが、そこまで仕事に対する情熱を持っていない俺は、出品作業をする気にもならず、仕方なしに、今、耳に入ってきた問いに答えを返すことにした。
「詳しくは知らないけどさー、要するに、人間は自然に生きるべきだっていう主張でしょ? あー、あれだよね、ほら、最近はやってる健康食品。そういうのに通じるものがある、気がする」
「おいおい、この金にまみれた資本主義経済国である日本皇国が生み出した健康食品という名の儲けるための道具を自然回帰派を一緒にしたら、お前、そんなもん、色々と、やばいぞ、やばい」
「あ、そうなの?」
そこまで興味がある訳ではないし、そもそも、慎二もただの雑談のつもりなので、何を言おうが適当に会話は進んでいく。テレビの音声をBGMに。
「そうだぞ。えーっと、いいかー、自然回帰派ってのはなぁ~」
言うと、慎二は懐から通信端末を取り出して検索をはじめる。そう、この男、何も分かっていないのである。分からないことは調べればいいのさ、というのは彼の信念だ。
「ほら、自然回帰派、ってのはだな、何々。うん、うん」
一人で納得し始めるので、
「いや、ちゃんと声に出して読んでくれよ」
と、一応催促する。
「あー、おう。伝統や制度に強く縛られ過ぎた生活を営むことは最終的に人間社会の崩壊を目指すものであり、それを打開するために人間はより自然に、最低限の生活を営むべきであるとする思想、だそうだ」
「……ふーん」
「あ! 空土! お前、思考放棄したな! けしからん!」
鋭いところをついてくる。いや、何も、全く理解できなかった訳ではない。この手の人間というのはどの世界にもいるのだ。昔からあった思想であろう。ただ、違うところといえば、
「要するにあれだろ、北日本は農業大国。その風土が自然回帰派の後押しをしてるんだろ?」
北日本が農業大国であるということ。これは、誰でも義務教育で習うことだし、すぐ隣の国のことなんだから知っていて当たり前な事実だ。それと自然回帰派が結びついたり、結びつかなかったり……。
ま、難しいことはおいといて、つまるところ、
「ま、多分、そうだな」
答えなんてものは誰にも分からないのである。北日本の中には自然回帰派という勢力がニュースになる程度には湧いている、ということだけは事実であるが、それから先は結局のところ推測に過ぎないのだから。そして、このちょっとだけ知的っぽい会話は、ほとんど何の成果も得られずに収束へと向かっていく。
「工業大国──というか、今や金融国になりつつある我が国には無縁だなー」
我が国というのは、勿論、ちょっと格好良く言ってみただけで、俺は別に日本ラブという訳でもない。
「そうだなー、この欲と金にまみれた日本ではなぁ~」
ほぼ間違いなく怠惰という欲に囚われているであろう俺と慎二は、二人してぐだーっとしてぼーっとテレビを見る。時々、何でもない会話をしたりする。ただし、残念なことに、全ての会話の中で最も知的っぽかった会話は間違いなく序盤に交わされたわずか数言の自然回帰派についての話だけであり、後の会話は全く中身のない、時間が経てば何を話していたかも思い出せないような空虚なもので占められていった。
そんな自由人プラス俺の怠惰な空間は、いつもの調子で言えばもう間もなく終了を迎えそうになった、その時であった。
この日本という国においてそれなりに平和に、贅沢とはいえないけれど食べるのには困らないくらいに自由な暮らしをしている俺のもとへと、その日常を破壊するかのような訪問者が表れたのである。
その訪問者の第一声は、
「すみません、どなたかいらっしゃいますか?」
これだけでは、何も俺の日常を破壊するような存在とはならない。何故なら、我が家は店なのだ。一階に販売スペース兼商品置き場。二階には住居スペースがあるが、確かに、俺の家は店である。であるからして、訪問者が訪れるというのは、何もおかしなことではない。
訪問者の声を聞くと、ちょうどいいタイミングとばかりに慎二が立ち上がる。
「お、お客様だぞ~。じゃ、俺はちょうどいい時間だしそろそろ行くわ~」
なーんて、この後に訪れるとんでもない訪問者を前にしてこの男は逃げ出せたのであるから、なんと幸運なことだろうか。慎二が立ち上がり、店の扉を開けたことによって、店の扉の曇りガラス越しに映っていた人影が、はっきりとその姿を俺に見せる。
その姿に、俺だけでなく、慎二もまたそれなりに驚いたであろう。しかし、彼はもうこの店から退店している。店を出た以上、その訪問者がどんな特異なものであったとしても、彼はもう引き返すことはできないのだ。ラッキーなのだ。奴は、とてもラッキーだったのだ。
何度も言おう。慎二は、この俺にこの後降りかかるおtンでもない訪問者に巻き込まれることなく、この場を去ることができた、ラッキーなやつなのである。
そして、その女は、慎二が出て言った後の扉から覗き込んで、女性特有の高く透き通った声、けれども、感情の薄い声で、こう言い放ったのだ。
「自分を買い取って」