#4:仮契約
昔々、お母さんから変な話を聞いたことがあった。それはもやは忘却の彼方だったはずで記憶の片隅にすら残されていない、ガラスの飛び散った小さな破片のようなもの。
でもガラスの破片だって光が当たれば当たり所によってはキラキラと輝いて例え小さなものでも以前よりは断然に存在感を示すものとなる。
まるでそんな感じ。小さくて、小さくて、今にも忘れられそうな小さな断片がささいな輝きによって見つけられたそんな感じ。そんな感じでうっすらうっすらと記憶がよみがえってきた。
人間の脳は忘れるようにできている。先生がそんなことを言っていたことがあった。確かに数学の公式だ、歴史の年号だ、英語のスペルだなんて見たもの読んだもの全て覚えているわけではない。
人間いずれかは忘れる。でもふと思い出すときもある。
母さんはいつも変な話をする。だからその話もいつもと変わりない変な話としかとらえていなかった。ではなぜそんないくつも聞かされた変な話のなかでそれはふと、思いだされることができたのだろうか。
母さんは言っていた。
『人間は霊感のある人もいればそれ以外の、何て言えばいいのかしら…あぁ、第六感とでも言えばいいのかしら。とにかく何かが見える、そんな能力を持った人もいるのよ。
お母さんはね、子供のころ変わったものにあったことがあるの。天狗ってわかるわよね?そう、お鼻の長い赤い顔した妖怪さんのことよ。あれに会ったことがあるの。直接お母さんに関わったわけではないけれど友人がね、天狗とお話をしていたわ。
でもお母さん最初はそれが天狗だなんてわからなかったのよ。なんたって小さい頃のお母さんとたいして歳の変わらない綺麗な少年だったの。でもまっ黒な羽根が生えていたわ。そして友人がそれは天狗だと教えられたの。
見える人もいれば見えない人もいるらしいんだけどお母さんは見えたの。どうやら都会暮らしの人は感が鈍っていて見える人は少ないらしいんだけど田舎の人はそういった能力に長けているらしいわ。周りにも同じように変わったものを見れる人がいたしね。
でもそれ以来、幾度か変なものを見たりするけど天狗は一度も見なくなったわ。どうやらあまりお目にかかれない存在らしいの。会えるならもう一度会いたいわぁ。
お母さんって、天狗は醜くておっかなくて悪者なイメージがあったんだけどね、全く違うの。むしろ逆で綺麗なの、美しいの。貴方にもぜひ一度会ってもらいたいわね、天狗に。』
その時はまだ幼くて、この人何話してるんだとか、全く意味がわかっていなかった。天狗なんて存在するわけもない。そう信じていた。天狗は綺麗で美しい?ではなぜ絵本の中の天狗は醜くて恐ろしいの?あれは嘘偽りなの?真実は何?
それに天狗に会って貰いたいだなんて無理よ。だって天狗なんてこの世にいないんだから。なのに何故この人はこんなことを言うのだろう。そう不思議に思った。
「ん……」
「おや透子。やっと起きたね。」
「婆ちゃん……」
起き上がった透子は体が全体的にぬくもりを感じて今の自分の状況を見た。制服のままで布団に寝かされていたのだ。ちょうど部屋に入ってきたらしい婆ちゃんは透子の寝ていた布団の脇に座った。
ところで自分は何故布団の中で寝ていたのだろうとふと疑問に思い記憶からその原因を探り返す。思いだした瞬間に「あ」と思わず声が漏れてしまった。でもよく考えると今さっき自分は寝ていたわけから今まで見てきたことは全て夢なのかもしれない。いや夢であってほしい。
そんな淡い期待を抱いて脇に座る婆ちゃんに詰め寄った。
「ね、婆ちゃん、あたし夢でも見てたのかなぁ」
「夢って、何の?」
「昔お母さんがね、あたしに『是非天狗に会ってもらいたい』だなんてこと言ってたけど、本当に天狗みたいなものに出会ってしまった夢。婆ちゃんもその場に現れたのよ。」
「それは」
「『天狗みたい』じゃなくて『天狗』だっつーの」
そこにもう一人の人物の声が割って入った。
透子は「はぃ?」と耳を疑わせ、声のした方向に顔を向ける。そこには夢の中で見たあの天狗みたいなものが……
「ぎ、ぎゃぁぁあああ?!?!?!何で夢に出てきた天狗みたいなのがここにいるの?!」
「みたいじゃなくて天狗だっつってんだろ!?つーか言っておくがそれは夢ではない。」
ば、婆ちゃん婆ちゃん変なのが家の中にいるよ!!と苦笑いする婆ちゃんにしがみついてがくがくと体を揺さぶる。婆ちゃんは「透子、それは夢じゃなかったんだよ」とやんわりと教えてくれてやっぱりあれは夢じゃなかったのか!!透子はまたぶっ倒れたい衝動にかけられた。
「あぁやっぱり夢じゃなかったんだ夢がよかったとゆうかまだ夢であれ」
「何言ってんだお前は」
「何でここにいるのよ。お面は取り返したし、もう用はないはずでしょう?!」
「うるせー俺だって好きでいるわけじゃない。こんなことになるとは思ってもみなかったし?」
皮肉ぶった顔で透子を見下してその天狗が言った。好きでいるわけじゃないとゆうことは何故ここにいるのだろうか。
こんなことになるとは思ってもみなかったと言った言葉も気になる。透子は訝しげに天狗を見上げた。
「こんなことって?」
透子が聞いてみると、苦虫を噛み潰したような表情でその天狗は一息ついて、口を開いた。
「仮契約だ」
は?
「かりけいやく?」
言い返して何だそれはと隣の婆ちゃんを見てみるがどうやら婆ちゃんもわからないようでわからないと首を傾げながら見返された。はて仮契約とは一体何のことだろう。
例えばよくあるファンタジーな物語で魔法使いが竜やら鳥やら怪物やらを召喚して契約を交わす、というようなことはよくある。一方的に忠誠を誓う契約もあればお互いが何かの代価を払い合う両立した契約もある。
契約とはそのことか?いやでもそんな契約を交わした覚えはない。天狗を召喚(そもそもそんなありえないファンタジーなことすら)した覚えもない。この天狗は何を言っているのだろう。
天狗を見ると面倒くさそうに頭を掻き、やがてゆっくりと透子に近づいてきた。だんだん近づいてくる天狗に透子は身を固める。
「な、なによ」
「お前の額に仮契約の痣がついてる」
「はぁ…?」
「痣なんてついてないよ?」
お婆ちゃんが天狗の指差す透子の額を覗きこんで見てみるがそこには何もない。痣なんてついていなかった。
透子も痣がついていると言われた額を見るために布団から抜け出し部屋にあった鏡台の前で自分の前髪をかきあげる、が、やっぱりそこには何もない。嘘をつかれた?後ろを振り返って天狗を見ると溜息をついた。
「違う、普通の人間には見えない。人で見ることができるのはお前と、お前と同じように契約を交わしている人間だけだ」
「でもあたしにも見えない」
「物の怪が触れた時にだけ痣は浮かびあがる。今の状態では見えない」
だから、とその天狗は透子の後ろに立って透子の肩に触れた。
「あ」
「あるだろ」
先程までなかったはずの額に痣があった。肌より少し濃いめの色で古風な模様が描かれている。仮契約とは本当だったのか、しかし痣を見ても透子はまだ信じきれずにいた。
そんなファンタジーな話があってたまるか。何より何故自分が巻き込まれないといけない?
「いつそんな契約を交わしてしまったの?」
「お前がこれを顔につけた時」
頭にくくりつけてある天狗のお面を指差す。確かに顔にはめてはみたが契約を許可した覚えがない。
「わけがわからないわ。そのお面をつけただけで仮契約を結んだことになるなんて」
「俺だって信じたくないね。でもそうなんだ、仕方ないだろ」
「契約を解除、はできないの?」
「さぁ?俺は解除の仕方を知らない。契約したことすらなかったからな」
「ああ何てこと…!」
頭を抱えたくなるほど能天気な天狗だ。嫌がっているようには見えるが、だからといって何とかしようとは思っていないらしい。意欲が見えない。このままだと仮だろうがそうじゃなかろうが契約は成立されたことになるのだろうか?
「何とかしてよ…!ただでさえわけがわからなくて頭がおかしくなっているのに契約だなんて!これいじょうおかしくさせないで!」
「残念ながらどうにもできない。現状を受け止めろ」
お前に言われたくない―――!!
とにかくこの契約という馬鹿みたいなことを解除するために動かなければならない。直ちに、即急に。透子は意思を固めた。こんないい加減でよくわからない天狗と関わるものですか。こっちから御免こうむるわ。
キッと自分と同年代ぐらいの天狗を睨みつけてびしっと音のつきそうなぐらい勢いよく指をつきつけた。
あたしはこのふざけた契約を何をしてでも終わらせてやる。
「天狗、あんたと契約だなんて認めない。そうだとしてもすぐに契約解除してやる。だからあんたもあたしに協力しなさい」
透子に指をさされた天狗は透子の瞳に炎が宿ったように見えてにやりと笑った。
正直仮契約だなんてどうでもよかったし契約したところで自分の身体が規制されるわけでもなかった。『仮』なのだから。
しかしこの目の前の人間をみて興味がわいた。ちょうど暇だったのだ。なにか暇つぶしになるものを探していたからちょうどいい。面白いものが見れそうだ。
「はは、俺に命令か?人間ごときが偉そうに。まあ面白そうだから良いか。」
「ぜんっぜん面白くないわよあんたわかってんの?!事の重大さを?!」
「わからないね。俺は生きている間すべてのことを楽しむつもりだ。何が起ころうと抵抗はない。つらいことも悲しいことも楽しむだけだ」
本当なんて能天気なの?透子は呆れてものも言えなくなった。
「これが俺。誰が何を言おうと関係ない。あと言っておくが俺は天狗でもあんたでもない。――――呂久だ」
お母さん、あの時信じなくてごめんね。あたし、天狗と契約交わしたみたいです。




