#2:お面
「あぁ、透子、本当に大丈夫?!怪我してない?!変な人に遭遇してない?!」
普段ならありえないようなものすごい音をたててバタバタとやってきたお母さんは透子を見るなり肩をガシリと鷲掴みして前後に揺さぶった。脳みそがぐわんぐわんとする。
「だ、大丈夫よ。あたしが帰ってきたときは誰もいなかったから」
「そうなの?だったら安心だけど。お父さんは少し遅れるけど帰ってくるって。警察にも連絡しましょう」
そしてリビングを見渡したお母さんは眉間を押さえたりこめかみを押さえたりして唸った。そりゃぁそうだろう、この惨状を見てあたしも固まったんだから。
「それにしても、よく、こんな……あぁ、そういえば」
何か思い出したようにお母さんが抽斗を開けた。そこは宝石入れだ。お父さんから貰った真珠のネックレスとかアレキサンドライトの指輪、自分で買ったらしいエメラルドのイヤリング、その他もろもろ。
透子も詳しくは知らなかった。宝石になんか興味がないからだ。綺麗だとは思うがそんな高価なものを身につけるなんて恐ろしくて考えられなかった。もし何かのショックで傷つけでもしたらどうなるか。壊れたらどうするか。
盗まれることだってあるに決まってる。身につけていたら「とってください」と言っているようなものだと思う。
「あああ!!!」
お母さんが悲鳴をあげて吃驚した。何事だ。
「どうしたの」
恐る恐る聞いてみるとショックを受けていたお母さんがよれよれと顔を持ち上げて言った。
「アクアマリンのネックレスが無い………。ダイヤモンドの、ピアスも………」
なんとも哀れなことか。そういえば自分の小学校の卒業式にお母さんがダイアモンドのピアスをつけていたことを思い出した。「これはすごく高いのよ、自分から自分へのプレゼントなの」と自慢されたような気もする。
他にもいくつか見当たらないものがあったらしい。やっぱりこれは空き巣だったのだろうか。現金もどれだけか盗まれていたらしいが宝石ほどではなかった。
「透子………」
「なぁに?」
またもや、がしっと肩を掴まれる。お母さんの目には何故か決意したような、もう何びとも有無を言わせないような目で透子を見た。
何だ、何なんだ。
「お婆ちゃんのとこに行きなさい」
「っはぁ?!」
「だって空き巣が入ったのよ?!もしその場にあなた一人がいたとしたら、空き巣と出くわしてしまったら何ができる?!何もできないでしょう?!逆に重症を負わされる可能性だってあるのよ?!下手すりゃ命だって落とすかもしれないのよ?!」
すごい剣幕である。え、いや、あ、と押される透子のことなど気にも留めずお母さんはなおも続けた。
「今回は金目のものだけ盗まれたからまだいいとして!!あなたが襲われでもしたらもうお母さん耐えられないわ!!だいたいこんな犯罪の多い都会で家に子供一人にさせるなんてあぁお母さんなんて非常識だったんでしょう!!だから危険な目にあわないようお婆ちゃんのところに行ってもらいます!」
「ええーー!!」
「いやなの?じゃぁお母さん仕事を辞めるしかないわ。あぁ、それでもいいわね」
いやそれはよくないだろ
「ちょ、わかった、わかったから。爺ちゃんと婆ちゃんのとこに行くから!せっかく昇任したのに仕事やめないでよ!」
「そう?じゃぁお婆ちゃんに連絡しとくわね。」
こうして透子はお母さんの実家、つまりお婆ちゃんの家に住み移ることが決定したらしい。ほんともう最悪。
それは中学三年の十二月の話。受験記を迎えていた透子には正直きつかった。もう受けようと決めていた高校もあった。先生もびっくりしていた。いや当たり前だろう。
「いいんですか?本当に」
「いいんです。もう決めたことです」
頑なに言うお母さんを見て透子はため息をついた。こりゃもう無理だ。昔からこんなことが何度かあった。担任の先生が困ったような顔で透子を見たので透子も同じような顔をして先生に笑ってみせた。もうどうにもならないんです、って。
「じゃぁ、笹倉さんは県外に志望するのね。」
「はい」
わかりました、としぶしぶ言う先生に申し訳ないと思いながら席を立つ。これで話はまとまった。なんだか母の安心した横顔を見るだけで「別にいっか」って感じちゃう自分はきっとマザコンなんだと思う。でもそれと同じくらいお母さんもきっとあたしのこと思ってくれてるんだと、そう思う。
うーん家族愛ってすばらしい。
※
そんなこんなで無事、高校にも合格しまして、爺ちゃん婆ちゃんのいる田舎にもつきまして。
「うわー素晴らしいくらい田舎ー……」
喜び半分、落胆半分。いや、想像はしてたけどね。家もちらほらあるが田んぼも畑も点々とある。どっかの昭和の映画で見たことあるような光景。別に嫌いではない。
それに小さい頃にも何度か来たことがあるから見なれている。少し変わったっていえば家が増えたことかな。
「とーこー」
ふいに懐かしい声に名前を呼ばれて振り返ればそこには久し振りに会う爺ちゃんと婆ちゃんがいた。前と全く変わらずぴんぴんしている。
嬉しくなって駆け足で向かえば二人ともニコニコしながら出迎えてくれた。うーんこれも家族愛。
「爺ちゃん婆ちゃん!!元気?!」
「元気元気!透子はちょっと見ないうちに大きくなったねぇ」
「あんなにやんちゃだったのに随分女らしくなったなぁ」
「昔と今じゃそりゃ違うよ」
ほんわかとした空気に包まれて顔がほころぶ。都会もいいけど田舎もいいか!
二人の家は改築したらしくて、新しくなっていた。住みやすいように段差もあまりなく、二階へと続く階段も緩やかだ。「二人ともまだまだ健康じゃん」って言ったら爺ちゃんが「今のうちにやっとかんと後々大変だしな」と返した。
「透子はここから高校の場所まで道は分かるの?」
「うん、大丈夫。覚えたから」
「そうかい」
じゃぁどうせ暇だろうからそこらへんを散歩してこられと言われて素直に頷いた透子は靴を履いて玄関を通り抜け、外へと走った。
まだ寒いが空は青い。雪も溶けて草花が芽を出し始めるころ。空気も新鮮。なんだかんだでストレスがたまっていた透子の体がだんだんと軽くなっていく感覚がした。
そして透子はまた砂利道をゆっくりと周りを見渡しながら歩いて行った。
※
「あれからもう二ヶ月以上もたつのかー…。」
現在六月。ちょうど梅雨時で空も地面もジメジメ。庭に咲いているアジサイの周りには蝸牛が集まっている。
高校で友達もしっかりできたし、こちらの暮らしにも慣れてきた。少し不自由はあるものの十分な生活はできている。何より家に誰かいる、一人ではないということが一番の幸せだった。
母からは「彼氏ぐらいできないの?できたら教えてね。お赤飯炊くから」だなんてもはや透子にとって迷惑電話にきわまりない内容の電話をしてくる。毎度かかってくるたびにそれだ。
「あーもう、彼氏なんてできるわけないじゃない」
携帯の電源ボタンを押して電話をきる。朝っぱらから変な電話をよこさないでほしいものだ。透子はパジャマから制服に着替えて鞄を持って一階に降りた。
そこにはすでに眼鏡をかけて新聞を読んでいる爺ちゃんと朝ごはんをつくっている婆ちゃんがいた。これももはや見なれた光景。
「おはよー」
「おー、おはよう」
「おはよう」
机に並べられた朝ごはんを食べる。最近食欲がよくてお昼前にお腹がグーとなることがあるので朝にいっぱい食べないと恥ずかしい思いをしてしまう。それを婆ちゃんに言ったら「育ち盛りだからねぇ」と言われた。
縦に成長するならば良いとして横に成長するのは何とか抑えたいものだ。
「今日は晴れらしいぞ」
「ほんと?やっとか」
爺ちゃんが今日の天気を教えてくれるのも日課だ。というよりそれは爺ちゃんの癖みたいなもので、自分が来る前から婆ちゃんにも言っていたのだそうだ。
どっちにしろ天気予報を見てる暇がないので助かる。それにしても今日は晴れか。久しく雨ばかり降っていたので思考までネガティブになりかけていた透子にとっては嬉しいことだった。
「透子、時間ないよ早く行きな」
「うわ本当だ!!やばい!!」
急いで食べて、歯を磨いて顔を洗ってローファーを履く。いつも遅刻ギリギリなのは朝起きるのが遅いから。そうゆう性格なんだから仕方ないでしょう。
いってきますと叫んで自転車にまたがり、ペダルを踏んだ。高校への通う道のりは自転車だ。ただし雨の日はバスと徒歩。遠いわけでもないが近いわけでもない微妙な距離である。
「透子おはよう!」
「茜おはよー」
登校途中の道で学校の友達と会って一緒に通学するのも日課となった。茜はたまたま同じ方向に家があるので行くときも帰る時も一緒だ。
たわいもない話で盛り上がったりしながらいつもどおり学校への道を自転車で走っていた。
「ん……?」
「どうしたの?」
「ね、透子、今そこに何かいなかった?」
「何かって…、何」
「わからないから何かって言ってるんでしょー」
「そっか。っていうか別に何も見えなかったし、今だって何も見えないけど?」
「気のせいかなぁ」
「幽霊だったりして」
「嫌だ、やめてよー」
後ろで顔を真っ青にする茜にケラケラと笑いながら透子は再び自転車のペダルをこいだ。茜は今、山の方に何かいたと言ったが透子には何も見えなかった。
見えたとしてもここら辺りは野生の動物だって十分生存しているわけだし、タヌキとかキツネとかが居たっておかしくはない。
そこで透子は誰かに見られているようなそんな気がして後ろを振り返った。もちろんそこには何もなく、壮大なる自然の山々が立ち並ぶだけである。何だ?と不思議に思いながらも前に向き直ろうとしたときだった。
ガッ
「ぅおっ」
自転車のタイヤが何かに躓いた。行き成りの衝撃に傾き、地面に倒れそうな身体を反射で片足を使って防ぐ。後ろからついてきた茜はどうしたの、と自転車を停めた。
「何だぁ……?」
前輪にある躓いた原因となるものを確かめようと頭をもたげさせた透子はそれを見て固まった。真赤で、鼻の長い、強面の、
「天狗………?」
「うわ、本当だ!天狗のお面だ!」
後ろから覗き込んできた茜もそれを見てびっくりしていた。自転車の前輪は地面に投げ出された天狗のお面に躓いたのだ。でも何故こんなところにこんなものが?
自転車から降りてその真赤なお面を拾いあげまじまじと見るが、見れば見るほど奇妙である。透子は見ているうちにだんだんその強面が怖くなって道の端に置きなおした。これ以上、見ていたく、ない。
「茜、早く学校行こう。間に合わない」
「あ、うん、そうだね。急ごう」
その時は颯爽とその場を去った。でもやっぱり、透子は誰かに見られているような気がしてならなかった。




