#1:移住
ありえない。そう、一言で表すならば『ありえない』という言葉がぴったりだ。というより今の透子にはそれ以外に言える言葉がなかった。
何だこれは。何なんだこれは。
「おや、天狗とは珍しいさね。他のモンならたまにちらほら見るけど。」
向こう側からやってきた婆ちゃんが特に驚きもせずにいたって普通に目の前に立つものを見た。なんでそんなにナチュラルなわけ。何でそんなに驚かないの。
他のものをたまにちらほら見るってことはもっと別のものがそこらあたりを徘徊しているわけですか。別に普通に歩いていたって何も違和感のないものなのですか。
じゃぁ何も知らなくて驚いているあたしの方がおかしい人になるの?
それとも田舎の人にはこんな光景当たり前なの?都会から田舎へ住み移ったあたしには信じられない。だって都会にこんなものいるわけないじゃない。
例えばこんな田舎なんだから熊だって出るだろうし猿とか鹿とか蛇とかだって出る可能性はあるだろう。それは想定の範囲内だ。そりゃぁ都会の人にとってみればそれだけで新鮮な光景かもしれないけど、だけど、
これはない。ないないない。絶対ない。
さっき婆ちゃんはなんて言った?
て、天狗?天狗ってあの、顔が赤くて鼻が長くて羽根が生えてて空飛ぶあの空想上の妖怪?目の前のこれが?
どうみたって普通の男の子だった。あたしと同じくらいの年齢かそれ以上か。
変なところと言ったら中学の時、音楽で習ったどこぞの剣舞で着られるような和服の服装で、背中に真っ黒い鴉のような濡れ羽色の羽が二枚ついていて頭に天狗の形をかたどった赤いお面があるだけ。
上から下までじっくり見たあと確証した。
どっかのコスプレでも何でもない。これは間違いなく天狗だ。想定の範囲外。
そう確証したのち、透子は意識を、手放した
話は戻るが透子は二ヶ月前に都会の我が家から田舎のこの婆ちゃんの家にやってきた。田舎から上京するのならまだわからなくもないが透子はその逆パターン。
何故かって?それは両親の都合によるものだった。
今までは何の支障もなく都会で暮らしていた。お父さんはよく出張に出かけたりするからたまにしか家にいなかったけど、それでも普通の暮らしだった。
だけどお母さんの昇任が決まって以来お母さんの仕事は増え、忙しくなり、出張が多くなった。家に帰る回数が確実に減った。帰ったとしても夜中だったり朝方だったり、どっちにしろ帰ってきた途端に疲れてすぐ寝るのだ。
仕事と子供、どっちが大事なの?なんてお決まりなセリフは言わない。そりゃぁ急に家族の時間が減ったことにポッカリ穴が開いたような感じもしたけれど二人ともお金を稼ぐのに一生懸命で、それは高校に、大学に入ろうとするあたしのためでもあったから。
本当は大学にも行きたいのだ。そう告げるのは怖かった。だって大学の学費は高い。そんなことわかってるけど、その時は大学に行きたくて、勇気を振り絞って親に言ってみた。
「大学に、行きたいの」
表情はびっくりしていた。そりゃそうだろう。そもそも自分の頭で大学に行けるのかさえ問題だ。大学の入試試験を受けるだけでもたいそうなお金をとられるっていうのに。
何て言われるか。「何を言っているの」とか「無理に決まってるでしょう」とか言われると思った。けど、
「そう、頑張って。言っておくけど今の成績では厳しいわ。もっと勉強しなさい。貴方普段はだらだらしてるけどやればできる子なんだから。」
やんわりと笑ってお母さんは言った。それと同時に透子には焦りが見えた。
「え?でも、大学の学費は高いんでしょ?」
「心配しないで。それぐらい問題ないわ。なぁに?透子ったらそんなことで悩んでたの?馬鹿ねぇ」
ふふ、と笑ってお母さんは言った。それからだ。お母さんの昇任が決まったのは。
朝起きて、リビングに行っても一人、学校から帰ってきても一人、ご飯を食べるときも一人。今まで当たり前だったことが、当たり前ではなくなった我が家。
悲しくはない。二人とも頑張って働いてくれるから今の生活がある。楽ができる。いつか恩返ししなくちゃな、と思いながらテレビを見つつ晩御飯を食べようとすると珍しくお母さんが帰ってきた。
「ただいまぁ〜・・・」
「おかえり」
「ふぅ、疲れた」
「ご飯食べた?」
「ううん、まだ」
ソファにドサリと身体を預けて崩れるお母さんに苦笑しながら冷えかけの晩御飯を差し出す。
「いつも悪いわねぇ」
「いえいえ」
それを口に運ぶお母さんを見たあと、つけっぱなしのバラエティ番組の入ったテレビに目を移す。ぼーっと見ていると急に話しをふられた。
「ねぇ」
「ん?」
「さみしい?」
「何が?」
「家に、一人でいるの」
「いや、もう慣れ始めたっていうか、別に?」
「さみしいよね、そうよね」
「あの、聞いてました?人の話」
普通はさみしいわよねーとか俯き加減で手に持った箸を見つめながら呟くお母さんに聞いてねぇなコイツと思いつつ「じゃぁそれでいいよもう」と適当に返答した。
「透子、お婆ちゃんのとこに行く?」
「は?」
何を言い出すんだと思った。
「こんな、誰もいない家じゃなくて、お婆ちゃんとお爺ちゃんのいるお母さんの実家に行く?」
「それはどうゆう意味?」
「実家に行って、透子が一人暮らし出来るようになるまで面倒見てもらおうか、ってこと」
「はぁ」
「だってあなたまだ中学生でしょ?まだ子供なのよ?誰かに頼ったっておかしくはない立場なの。それなのに一人にさせちゃって。本当、お母さん申し訳なくって。」
ごめんね、本当にごめんね、と謝るお母さんにおろおろした透子はとりあえず「そんなことない」と何度も言った。それに今のうち何でもできるようになれば後々役に立つ。一人暮らしだってできるようになる。後で邪魔になるようなことなど何もない。
その時はお母さんの実家は山付近だしここに比べれば結構田舎だからちょっと嫌だなぁとか考えてたりもした。もしかしたらそっちのが本心かもしれない。
でもそれは起こった。
透子が学校から下校して家に帰ってきたところだった。いつもどおり、玄関を開け、靴を脱ぎ、廊下を歩き、リビングの扉を開けようとドアノブを握って、停止した。
「何これ」
部屋の中がぐちゃぐちゃだった。それはリビングへと繋がる扉についたガラスからもよく見えるほどぐちゃぐちゃに。
思考が停止してそこに何分立ち尽くしただろうか。脳が働かなくて、体が動かなくて、力が入らなかった。
ようやくその現状を理解し始めた透子はこれは「空き巣が入った」と推測した。まさか母さんか父さんが透子が学校に行っている間に帰ってきて部屋をごちゃごちゃにしたとも考えにくい。
もっと上手い空き巣ならば痕跡を残さない。気付かれないように必要なものを盗んで去る。だんだん冷静になってきてそんなことまで考えながら部屋の中に入って見渡した。
「こりゃぁひどい」
思わず口からこぼれた言葉。まさにそれほどまでに部屋がごちゃごちゃ。部屋の中で嵐が起こったってか。
良く見ればリビングの窓ガラスが割られている。ここから入ったのか。あぁ、ガラスが床に散らばってるではないか。
怪我をしたら危ないからスリッパを履かないと。
滅多にはかないスリッパを履いて手短にある片付けられそうなものを片付けていく。鞄から携帯を取り出して母親の仕事先に連絡をした。どんな反応するんだろ。
『もしもし』
「あぁ、お母さん」
『透子、どうかしたの?珍しいわね』
「その珍しいこと、っていうか、すごいことになってるんだけど」
『え?何が?』
「家が」
『すごいことって何なの』
「空き巣が入った」
こうゆう場合はもっと間を開けて言うべきなのだろうか。電話の向こうの母親の纏う空気が2、3℃下がった気がした。返事も何も返ってこない。
驚いてるなぁ、あたしも驚いたもんなぁ。空き巣の目的って言ったらお金だよね。そういえば何を盗んだんだろう、宝石?現金?
透子は家の中にあるお金の類のものは自分の貯金箱と財布の中ぐらいしか詳しくなかったのでどうなっているのかまったくわからない。
電話の向こうからひきつったお母さんの声が聞こえてきた。
『ほ、本当なの?』
「確信はもてないけど、でも家の中がぐちゃぐちゃなの。窓ガラスも割れてるの。」
『透子、貴方は怪我してない?大丈夫?今お母さんがお父さんにも連絡してそっちに行くから!!変な人がいたら近付いちゃ駄目よ、逃げなさいね!わかった?』
「わかった」
ブチッとあっちから電話を消された。多分お母さんはすぐに家に帰ってくるだろう。その間自分はどうすればいいのかわからなくて、ソファの上に散らばった広告やら文房具やらをどかしてそこに座った。
背もたれに首を乗っけて頭は放り出すような感じにリラックス。天井にある電灯を見つめてボーっとして、
なんかほんと、これどうなの、って感じて、何て言っていいのか、どう表現すればいいのか
「何て言うか、これってホント……」




