基地へ
俺と楓はその男に連れられてパトカーに乗った。
そのパトカーはまごうことなき本物のパトカーだったし、彼の格好もまた、国から支給されたのであろう正真正銘、警官の制服だったので俺は擬似的に捕まったかのような不快感を感じていた。
「いやぁ、それにしてもよくあの廃墟まで無事にたどり着けたね。」
その男は気の抜けた声でそんなことを言いながら車を出した。
見た目は三十代後半といったところだが、その喋り方も加えて歳にしては軽いという印象を受けた。
風量マックスの冷房が急速に車内を冷やす。
「スマホに送った指示をちゃんと見てくれたんだね。スマホを見てくれてなかったらどうしようかとヒヤヒヤしたもんだよ」
そいつはハハっと高笑いをする。
「おいお前、俺を保護するって言ったけど具体的にどうするんだよ? ていうかそのAlley Catとかいう組織は何なんだ?」
「ちょっと待て。一気に質問するなよ。あと、助けてくれた張本人にお前呼ばわりは失礼じゃないかい?」
男はニヤっとして後部座席に座っている俺と楓の方を見た。
「俺の名前は石田だ。下の名前を教えないのは俺たちの組織には名前の守秘義務があるから。君たちが正式に組織に入ったらちゃんと自己紹介し直してやるよ。別に下の名前で呼んで欲しくないとかそんなんじゃないからな」
「呼ばねーよ!」
まあ仲良くしようやと差し出してきた手を、俺は握らなかった。
楓はつられて握手していたが。
「なぁ、石田さん」
「なんだい雨波君」
石田と名乗ったその男は結構な荒い運転をしていた。
一応傍から見たら警察なんだからもうちょっと慎重に運転しろと言いたいところである。
「さっきも聞いたけど保護するって何なんだよ」
「 組織の本拠地に君たちを住まわせる。とある海際にある。ここで詳細な場所を伏せたのも守秘義務があるからだ。」
よっぽど隠密な組織らしい。
確かにAlley Catという名前も、そもそも冤罪に巻き込まれた人を保護する組織もあるとは知らなかった。
「まあそう気を張らなくていいさ。この季節に海際に住めるんだから喜べよ。一般人は来ないから実質プライベートビーチを手に入れるようなもんだぞ?」
そう言うと石田はヤシの木がプリントされたCDを、車に内蔵されてるプレーヤーに入れた。
「まぁ大丈夫だとは思うが一応つけといてくれ」
そう言って二人分のマスクを渡された。
「マスクをつけてるからと言ってあんまり外をじろじろ見るなよ。警察は人を顔じゃなくて目で覚えるからな」
それじゃあマスクは意味ないんじゃないかと突っ込もうかと思ったがそれはやっぱりやめた。
石田は鼻歌を歌いながらCDの再生ボタンを押した。
車内に陽気な音楽が響く。
ハワイっぽいウクレレの音色だ。
「そんなことより喉が渇いてるんですけど、飲み物はありませんか?」
楓が俺を睨みながら石田に言った。
ちなみに俺は制かばんをそれはそれは大事そうに、まるで赤ん坊を扱うかのように大切に抱き抱えている。
かばんの中身を考えると赤ん坊というより爆弾なのだが。
「あのな、本当にないんだ」
「あんたに聞いてませんけど?」
俺がお茶をあげなかったことに関して嫌味は言うけど、しかし、もう俺からお茶をもらうことは諦めているらしかった。
「あー飲み物ね、えーと。すまん、これしかない」
「あっ!ありがとう……ございます……」
彼女の声がみるみるボリュームダウンしたのは、石田が渡したのが缶詰のおしるこだったからだ。
逆に喉が渇きそうである。
「うっ……」
青汁を飲む子供のように苦しそうな顔をしている楓を横目に、俺はさらに突っ込んだ質問をした。
「俺たちを保護して何の意味があるんだ?何か俺たちにさせる気か?」
そう聞くと石田はまたハハっと軽く高笑いした。
きっとこいつは大げさにリアクションをとる奴なんだろう。
「いや、 俺たちの組織は特に見返りを求めてはいない。君たちはただ、正義の味方が手放しで助けてくれたと思えばいい。まあでも、君たちは無事に家に帰りたいんだろう?」
ならそれなりに苦労はするだろうねと、ワントーン下げた声で石田は続けた。
俺にとってはもう既に苦労しているつもりなのだが、変態的に強いこいつが言う苦労っていうのに果たして俺や楓が耐えられるのかととても不安になった。
そんな中おしるこをちょびちょび飲んでいた楓が、窓の外を見ながら声を漏らした。
「あれが例の銀行なの?……」
俺たちを乗せた車は高速道路の高台にあったので、その事件現場をじっくり見ることができた。
三階建てくらいの、高さはないが横に広い要塞みたいな銀行と、その周りを囲む無数のパトカーや上空を飛び交うヘリが見えた。
車内は依然として石田が流した陽気な音楽が流れ続けていたが、ヘリのプロペラが空を切る重低音は体の底の方に伝わってきた。
「そう。あれが君たちが襲ったことになっている銀行だよ」
「警備の厳しそうな銀行ね」
「そんなレベルじゃない。人間が入れる余地はない」
じゃあ……
じゃあなぜ俺たちがそんなとこを襲ったと警察は本気で信じられるんだと、愚痴にも近い感じで石田に聞こうとしたが、それはここまでに経験した様々な常識破りな出来事に思いを巡らせてやめた。
どうやって即座に俺のスマホをジャックしたのか分からない| 組織(Alley Cat)の技術力に、こいつの人間離れした強さ。
いろいろ考えると俺たちを取り巻く状況はとっくに、常識のものさしでは測れないところまできているのだろう。
おそらく指名手配されるよりずっと前から。
「君たちを陥れた敵が何者かは分からない。ただ、高校生が銀行を襲ったってことを、警察に本気で信じ込ませられるほどの精度の高いニセの証拠をあの銀行に作ったということだな」
あの、人の入る余地のない要塞みたいな銀行に……
と、俺が頭を抱えていると車が止まった。
正面を見ると、高速道路の料金所とは違う簡易的なゲートの前で車が軽く渋滞していた。
「あーあれは東京から出る人が犯人じゃないかどうかチェックしてるみたいだね」
相変わらずの能天気な口調で、とんでもないことを口走ったのは他でもない石田だった。
「ん? おい、それって今俺たちすごいピンチなんじゃないのか?」
「いや大丈夫だよ。だって君らパトカーに乗ってるじゃないか」
森を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中とは言うが、犯罪者を隠す場合にはあまり適切な言葉ではないようだった。
犯罪者を隠すならパトカーの中。
パトカーの後部座席に座っているのが指名手配犯だとは誰も思うまい。
「まあ、一応寝てるふりをしといてくれ」
俺と楓は分かったと返事し、言われるがまま目を閉じた。
そしてちょうど目を閉じたところで、車はゲートの前まで来たようだった。
石田と男の話声が聞こえる。
「お疲れ様です」
「いやいや、君こそ大変だね。お疲れ様」
その男も石田と同じく警官であるらしい。
「それで、例の犯人見つかりそうですか?」
「あぁ、犯人はガキだしな。すぐ捕まえるさ」
石田は軽く笑いを交えながらそう言った。
車内で流れるウクレレミュージックといい、傍から見ると石田はとても陽気なおっさんに見えていることだろう。
「そうですか、早く終わるといいですね。後ろにいるのはお子さんですか?」
「あぁそうだよ。ちょっと近くで見かけたんで乗せていこうと思ってね」
どうやら石田は俺たちを自分の子供という設定にしたらしい。
「お子さんは中学生と高校生くらいですか? 子育ても頑張ってください!」
「娘の方は高校……、いやありがとう。君も家族を大事にするんだよ。って痛え!……全く寝相の悪い娘だ」
高校生だと訂正しなかったことに腹を立てたのか、楓が石田の席を蹴るものすごい音が聞こえてきたが、それは寝相が悪いという華麗なアドリブによりごまかしたようだった。
そんなこんなで俺たちは警官の簡易チェックを切り抜けることができた。
車は再び走り出す。
「もう目を開けていいぞ。な?大丈夫だっただろ」
すると、楓が持っているおしるこを投げ出しそうな勢いで言った。
「何が、な?大丈夫だっただろよ! 私は高2だ!」
「いちいち訂正してたら、あそこに止まってる時間が長くなるだろ。てか俺の車で暴れるんじゃねえ」
大きくため息をついた楓を横目に、俺はもうひとつ気になったことを聞いた。
「てかあんた何で警官やってるんだ? その組織の社員じゃないのかよ」
「そりゃあ冤罪の人間を探すためだよ。そして冤罪の裏付けが取れたらこちらで保護する。その後、裁判で無罪を勝ち取れるほどの証拠を組織にいながら揃えるのさ」
それは――
何というかできすぎている話に感じた。
しかし、実際に俺たちをこうやって保護しているんだからきっと事実なんだろう。
「俺たちの冤罪の裏付けってのは何なんだ?」
「それは基地に着いてから話そう」
この問答を最後に、俺たちと石田との会話はなくなった。
東京の中心部を離れ、車窓から見える建物もさっきよりはまばらになってきた。
心地いい車の揺れを感じながら、眠たくなってきた俺は再度目を閉じる。
――
俺が眠りから覚めると、もう時刻は夕刻を過ぎた頃だった。
楓はまだ隣ですやすや眠っている。
冷房は既に切ったらしく、大きく開かれた車窓からは左手に海が見えた。
いや、正確に言うともちろん左手に見える海は綺麗だったけど、その海よりも何よりも一番目立っていたのは正面で遠くに立ちはだかっているレンガ造りの壁だった。
その壁は高さ50mはあるように見えた。
「おい! あれ何なんだよ!?」
「あれが 組織の基地だよ。あの外壁はもう建てられて約100年になるね」
説明しているうちに車はどんどんその壁に近づく。
近くで見上げると、たしかに100年の歴史を感じられるほどには年季の入った佇まいだった。
そして、車が警備の厳重そうな入口の門の前に着いた。
するとその組織の者か、武装した人が近づいてくる。
「お疲れ様です。石田さん」
この声で楓は目を覚ましたようだった。
隣でふあぁとあくびをしている。
「あぁ、中央管制室に用がある。通してくれ」
「その子達が例の……、分かりました、了解です」
武装したそいつは俺たちを一瞥してからその門を開けた。
そして石田がふうと息をついた。
「ようこそ、Alley Catへ」
車が再び進んでいき、物騒な入口がどんどん後退していく。
そして、俺たちの目の前に広がった基地の全貌はとても日本にいるとは思えない景観だった。
「どこだ、ここ!?」
「どこよ、ここ!?」
俺たちが異口同音に驚いた先にあったのは、色とりどりの建物が軒を連ね、点々と黄金色の照明が輝いている、どう見ても「町」だった。
「ここが君たちに住んでもらう場所だ」
車はスピードを上げる。