山神深音と学校の遠足
10
いーちゃんと一緒に山岳部の入部届をだしたあの日から、はや一週間とすこし。
わたしは山に来ていた。
そう、山。
「深音ちゃん、だっけ? ふふ、遅刻した子だよね。え、気にしてるから言わないでくれって? 大丈夫大丈夫、みんなそんなこと忘れてるよ」
「むー、そんなことないと思う。だって、初日……」
「ははは、深音ちゃん気にしすぎー」
なぜ、山に来てまで恥ずかしい思いを掘り返されねばならないのか。
この男の子は苦手だ。
すきを見て逃げた。
「いーちゃん、男子って怖いね」
すかさずいーちゃんの隣りへ向かう。あの男子から隠れるようにして歩きはじめた。
「ああ、倉好のこと?」
「知ってるの?」
「うん、一緒の中学だったし。馴れ馴れしいけど、悪い奴じゃないから」
「そうかあ。苦手だけど、ああいう人も世の中にはいるのか」
「っはは、その通りよ。ま、今日は遠足なんだし、いろんな人と喋って仲良くなりましょ」
「はーい」
そう、山。
わたしたちは遠足で、高央山に来ているのだ。
交友を深めるためらしい。確かに、何人か友達はいるけれど、入学から二週間たった今でもクラスみんなと喋ったことはないから、いい機会なのかもしれない。
クラスごとに順番に高央山に登って、高央山と連なっている旗取山の先の掬水山までハイキングすると先生は言っていた。なんでも掬水山の上には大きな公園があるそうだ。
「あ、深音。あんたたち、山岳部入ったんでしょ? 毎日高央山に来てるんじゃないの?」
「それが、まだ部活で一回も山に登ってないのー」
「そうなのよね。沙良は軟式テニスの練習もう始まったの?」
「あたしたちも練習には道具がいるからまだ始まってないわ。それもそうか。何を使うのか知らないけど、山岳部だって用意がいるわよね」
「同じことを先輩たちも言ってたよ。今週末に買いに行くんだって。何買うんだろ、楽しみ!」
「でも、深音。みっちー先輩が言っていた店は、前に雑貨屋の隣にあった山専門店みたいよ」
「それって、深音と郁で遊びに行ったっていうやつ?」
「ええ。山道具は使い方が分からないものが大半だったけどね」
「うん。あのホースが付いた水筒とか買ったりするのかなあ、いーちゃん……」
「さあ……」
「あんたたちも、あんたたちで大変なのね……」
ふと時計を見ると、もう十一時になるかというところだった。
それにしても、山に登っているときは時間がすぐに経つ。わたしにはそれが、わたしが山が好きだからなのか、一緒にわいわい話せる友達がいるからなのか分からない。けれども、自然の中で深呼吸してみると、そんなこと、どっちでもいい気がしてくる。不思議だ。
「そろそろ、お腹が空いてきたわ。もうちょっとで、掬水公園でしょ? 他のクラスの子も同じ時間にご飯を食べるそうだから、仲良くなれればいいわね」
11
「うわーうわうわ、すごーい!」
手すりの向こうに、街が広がっている。掬水山は標高七五〇メートルぐらいで、わたしの田舎の山とは比べ物にならないぐらい低い。ただ、街はほぼ海抜ゼロメートルなので、頂上から見下ろすとミニチュア模型みたいだ。
上から見ると、海に突き出た陸地が急なカーブを描いていて、街が湾沿いにできていることが良く分かる。田舎では高いところまではおじいちゃんが登らせてくれなかったし、見下ろしても街自体の標高が高かったから、あまり感動はなかった。それとは大違いだ。海の向こうまで目を凝らすと、遠くに島があることまでもわかる。
「あ、どれどれ。地図によると、あの島は泡司島って言うらしいわよ。この海は多栄湾。深音は初めて見るんじゃない?」
「そうだね。海ってこんなにおっきいんだねえ」
「なにそれ、まずそこから?! もう。海は後でいくらでも見れるから、先にお昼食べましょうよ」
「それもそっかあ。いーちゃん、お腹鳴ってたもんね」
「なっ、いいじゃない、お腹空いてるのよ! もーっ、深音、行くわよっ」
感動的な景色を、ぜひもっと眺めていたかったけれど、確かにお腹もすいているし仕方ない。
ふふーん、他のクラスの子とも仲良くならなきゃだめだしね。そういえば、あの道案内してくれた男子はいるのだろうか。
「深音、レジャーシートは広げといたら、お弁当食べましょ」
「そうよそうよ。郁がごねるんだから、早く食べはじめなきゃ」
「なに、そんなことないし! 深音、ゆっくりでいいわよ、ゆっくりで!」
「はーん、また強がっちゃって」
「はいはーいっ、用意できたから食べよ。ほらほら、二人ともホントは仲いいんだから。いっただっきまーす!」
いーちゃんと沙良ちゃんはいつも通りだ。ちょっとうらやましいけど、二人が喋っているのは漫才みたいで面白い。
「深音、そのお弁当、自分で作ったの?」
「えへへ、実はそうなの! 昨日の晩から仕込んどいて、結構頑張ったんだよ」
「なんとまあ、深音って器用だったのね。美味しそうねえ」
「郁なんて料理、壊滅的だものね」
「余計なお世話よ。それじゃ、深音は家にいるときから料理とかしてたりしたの?」
「まあね。毎日ご飯係だったし。おじいちゃんが美味しいっていってくれるの、すごい嬉しかったしね」
「へえ、良い孫ね。深音はのんびりしてるから、癒されそうだし」
「そんなことないよ、おじいちゃんとは毎日喧嘩ばっかりで、大変だったんだから! 聞いて聞いて、おじいちゃんってば、オセロの丸いやつ無くしたのわたしだって言い張るんだよ?! わたし、オセロなんて全然しないのに!」
「っふふ、楽しそうでいいじゃない。……で、郁はお弁当、お母さんに作ってもらったの?」
「いつものことながら、そうよ。沙良は料理はできるものね。今日だって、自分で作ったんでしょ」
「当り前よ。親は忙しいし、郁みたいに壊滅的な腕じゃないもの」
腕によりをかけて作っただけあって、お弁当は美味しい。
ぱくり、と一口食べて前を見ると、通った人影に見覚えがあってびっくりした。
「あの時の男の子!」
わたしが大きい声で言った言葉に、いーちゃんも沙良ちゃんも思わず驚いて振り返った。
そして、声をかけられた男子の方がわたしよりびっくりしていた。
「お前、遅刻してた、……山神深音、だっけ?」
「うんそう、えーと、ごめん。あなたの名前忘れちゃった。でも、あの時はありがとう!」
「深音、そいつと知り合いなの?」
一瞬にわたしは男子の顔を二度見した。
「うん、友達!」
「おい、名前も覚えてないような奴を、よく友達って言えるなあ……それじゃ、俺は行くから」
「えっ、行っちゃうの? ちょっと話していこうよう」
「はあ、俺のクラス、もうすぐ出発だから」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ話そ! 向こうでいいからさ」
レジャーシートから立ち上がって、男子の背中を押した。
ずんずん、歩いていく。
「……深音って、あんなに積極的だったっけ」
「さあ……。ま、いいじゃない。見守りましょ」
わたしは、実はこの男子に言いたいことがあったのだ。