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神の棲む島  作者: ZAKI
第十一章 再会
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(二)

「真尋っ」


 夢中で飛びこんだ明かりの中で、美守は異様な光景を目にして立ち竦み、思わず息を呑んだ。

 突然開けた空間の正面で、真っ先に目に飛びこんできたのは巨大な岩の壁面。そこに、真っ赤な文字が浮かび上がっていた。



『其は人にして人に非ず──』



「こっ、これは……!」


 背後でトキが驚駭きょうがいに満ちた呻き声をあげた。

 なにがどうなっているのかわからない。けれども、そのあまりの迫力に、躰が竦んで背筋が凍りついた。


 こんなふうになっていたなんて……。


 肩に掴まる老婆の手にも力が籠もり、じっとりと冷や汗を滲ませて小刻みに震えていた。


 ――これはなに――あの壁に刻まれた、碑文と同一の文言は……。


「み、美守様……」


 トキの興奮が混じった掠れ声に、美守は我に返って視線を落とした。

 数メートル先に、こちらに背を向けて佇む真尋の姿があった。そしてさらにその先に、真尋と向かい合うふたりの少女の姿が見えた。ひとりは雛姫。そしていまひとり、年長の少女は、つい最近屋敷に入り、雛姫の側仕えとして選ばれた波子といっただろうか。


「雛、なにしてる。こっちへ来い」


 手を差し伸べる真尋に、雛姫はなぜか躊躇ためらいを見せて近づこうとはしなかった。波子の服の裾をしっかりと握りしめ、真尋が近づこうとすると後ろに隠れるような素振りさえ見せる。

 いったいなにがあったというのか。

 硬張こわばった表情で真尋を視つめる少女の怯えの理由に、美守ははたと思い至って口唇くちびるを噛みしめた。


「ヒロ兄、ごめんなさい……。雛のせいで、いっぱいいっぱい酷い目に遭わせちゃって、本当にごめんなさい」

「雛、いい。そんなのは気にしなくていいから、早くこっちへ来るんだ」


 真尋はもどかしげに少女に向かって手を差し伸べる。だが、雛姫は両の眼に涙を溢れさせ、首を左右に振った。


「雛!」

「ごめんね、ヒロ兄。あのね、雛ね、ヒロ兄を助けたいって思って一生懸命頑張ったつもりだったの。だけどちっともうまくいかなくて、全然役に立たなくて、頑張れば頑張るほどヒロ兄に迷惑かけちゃって。きっと、雛が余計なことしたせいで、そんな大怪我までさせちゃって……」

「なに言ってる。もういいから。おまえはこれ以上頑張らなくていいんだ。あとは俺がなんとかするから」

「そんなわけにいかないっ!」


 洞窟内に反響する唸り声を遙かに上回る音量で雛姫は絶叫した。


「雛のせいで、これ以上ヒロ兄を危険な目に遭わせたくないの。雛、ヒロ兄には痛い思いもしてほしくないっ。迷惑かけたくないの。だって、そんな躰で雛のためにもっと頑張ったりしたら、ヒロ兄死んじゃう……。ほんとの妹じゃないのに、いっぱい心配かけて、つらい思いさせてごめんなさい……」


 泣きじゃくる雛姫を、波子は背後からそっと抱きしめ、小さな頭を繰り返し撫でた。

 兄を想うがゆえに激しく拒絶し、むせび泣く少女とそれを慰める波子。そして、茫然と立ち尽くす真尋。

 その光景を、美守は少し離れた場所から苦い思いで見つめた。


 真尋と血の繋がりがないことを雛姫に教えたのは自分。雛姫が大きなショックを受けるほどの、決定的ともいえる重傷を真尋に負わせたのも自分。

 真尋の胸に飛びこむ最後の希望を、自分は雛姫からことごとく奪い去ってしまった。


 ああ、ここは、なんだかやけに明るく、気分が悪くなるほどに暑い───


 ぼんやりとそんなことを考えていた美守は、実際に起こりつつある異様な現象にはたと気がついて悚然しょうぜんとした。

 雛姫たちが立つのは、大きな段差のきわに近い部分。その向こうに、地面は見えない。そして、洞窟内が不自然に明るいのは、その足場が消え、ぱっくりと口を開いた部分から、赤々とした光が天井に向かって発せられているからだった。

 よく耳を澄ますと、低い唸りに混じってゴポリゴポリと無気味な音が這い上がってくる。


 まさか、あの向こうは……。


 雛姫の後退をおそれて、真尋は近づくことができずにいた。


 山から煙が上がっていたのはなぜ? 時折、島全土を揺るがす鳴動が人々を畏れさせていたのは?


 目の錯覚などではなく、壁面に浮かび上がる赤い碑文が輝きを増して空間をより明るく照らしはじめる。同時に、雛姫の額も赤く光りはじめた。

 雛姫の視つめる先で、真尋の傷口から流れ落ちる鮮血が1滴、また1滴と血溜まりを拡げてゆく。

 いつしかしゃくりあげる音は終熄し、感情の消えた虚ろな眼差しだけが鮮血とおなじリズムで涙を地面に落としつづけた。


「お可哀想な姫様。でも、おつらいのはほんのいっときだけですわ。痛くも苦しくもない。一瞬ですべてが済みますから」


 雛姫を抱きしめる波子が、不意に唄うような声で雛姫の耳許へ囁きかけた。決して大きくはない声が、不思議と全員の耳に届いた。


「姫様にもおわかりでしょう? 真尋様の幸せを真に願うなら、ここでお覚悟をお決めにならなくては。真尋様を救えるのは姫様だけですもの。ただ、内なる声に耳を傾け、その言葉に従いさえすればそれでいいのですわ。ね、簡単でしょう?」

「……本当に、それでヒロ兄を助けられる?」

「ええ、もちろんでございますとも。真尋様は、姫様のご決断ひとつで自由に、そして幸せにおなりになれますわ。──ほら、《神》のお言葉が聞こえますでしょう?」


 暗示にかかったように雛姫はトロンとした眼で波子を見つめ、頷いた。


「よせ、雛! そいつの言葉に耳を貸すんじゃないっ! 雛っ、雛姫、俺を見ろっ」


 真尋が絶叫して、波子から雛姫を奪い返そうと駆け寄る。


「さあ、姫様、《御魂》の言葉を受け容れなさいませ。それですべてがお望みのまま、まぁるく収まるのですわ」

「やめろ貴様! 雛姫にいったいなにを吹きこんだっ! 雛姫を放せっ!!」


 雛姫の躰に真尋の腕が伸びた瞬間、ニタリと嗤った波子が雛姫を突き飛ばし、大きく跳躍してその場から飛び退いた。雛姫が、それを受け容れるように大きく両腕を広げ、背中から穴の中へと吸いこまれていく。碑文の輝きが、刹那、最高潮に達した。おなじく雛姫の額に突然浮かび上がった赤い文字も閃光を放ち、辺りを赤一色に染め上げた。


「雛ーっ!!」


 凄まじい轟音が空間全体に響きわたり、同時に地面が大きく波打った。

 足下を掬われ、バランスを崩した美守は、鳴動とは別に突如起こった暴風をまともに受けて地面に叩きつけられた。背後のトキもまた、その衝撃で勢いよく投げ出される。


 天井が崩れる───!


 頭上から降ってくる大小無数の岩や土石に、美守は頭を抱えこんで蹲った。大地が揺動するたびに躰が跳ね上がり、どこかへ弾き飛ばされそうになって、隆起した岩に咄嗟に腕を伸ばし、懸命にしがみついた。



 猛り狂った大地の咆哮と颶風ぐふう、そして無限とも思えるエネルギーの放出。

 ちっぽけな人間など、乾坤けんこんの狭間ではなにほどの力も持たない。


 それは、筆舌に尽くしがたい恐怖だった。

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