(三)
「波子さん、この音、なんの音?」
波子の先導に従い地下道を歩いていた雛姫は、不安げに辺りを見回しながら尋ねた。
――得体の知れない怪物が轟かせた恐ろしい咆哮。
波子と合流した直後に起こった鳴動は、雛姫の耳にそう聞こえた。
その怪物は、いまもずっと低い唸り声をあげつづけている。
燭台を手に、迷いのない歩調でどこかを目指していた波子は、わずかに首だけを雛姫のほうへ振り向けた。
「ご心配なさらなくとも大丈夫ですわ、姫様。じきに熄むはずですから」
「本当? この島ではよくあることなの?」
「ええ。少なくとも4半世紀に一度は必ず」
『4半世紀』と言われて、それが短い期間なのか長い期間なのか、雛姫は一瞬判断に迷った。その困惑を見抜いたかのように、波子はクスリと笑った。
「この声は《神》の声。姫様を歓迎しているのです」
波子の様子が、なんだかいつもと違う気がする。雛姫はそう思ったが、その変化を正確に読み取れるほどつきあいが長いわけでもない。なんだか変なことになってしまったという後悔が少しだけあったものの、勝手がまるでわからない場所では、波子に従うよりほかなかった。
「ねえ、波子さん、ヒロ兄には本当にもうすぐ会える?」
「もちろんですわ。真尋様も、姫様をそれは案じておいででしたから、必ずこの先で待っていてくださるはずです」
波子の物言いに、雛姫はふと違和感をおぼえて立ち止まった。
「――波子さん、ヒロ兄に会ったことあるの?」
「え? いいえ」
「でも、いまヒロ兄が心配してたって。それに、ヒロ兄のこと、『真尋様』って……」
この屋敷の中で、少なくとも真尋がそう呼ばれる立場にないことだけはここ数日の様子で雛姫にも理解できた。その真尋を、一応巫部家の末席に連なるトキより上に見立てた話しかたをするのが気になった。
雛姫が足を止めたことに気づいて、波子もまた立ち止まる。そして雛姫を振り返った。
「いまはまだ申し上げられませんけど、わたし、本当は巫部の御家ではなく、真尋様のほうに所縁がある者なんです」
「え、御堂のおうちに?」
「所縁、って言ってしまうには、あまりに遠すぎて他人より距離がある関係ですけど、真尋様に、ですわ」
波子はそう言って意味深に笑った。
波子が言っていることはさっぱりわけがわからない。雛姫はますます混乱したが、波子はおかまいなしにまたクルリと向きを変えると地下道を進んでいった。蝋燭の灯りが届かぬ場所は、完全な闇に包まれる。雛姫はしかたなく波子を小走りに追いかけた。




