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神の棲む島  作者: ZAKI
第五章 美守
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(二)

 真尋は、一族が居並ぶ大広間で、第23代当主巫部志姫と相見あいまみえることとなった。じつに、7年ぶりの謁見であった。


「おもてをお上げ」


 形ばかり用意された座布団わきに真尋は着座し、両手をついて深々と頭を下げた。その頭上に、首座から張りのある、威厳に満ちた声がかかった。命に従って、真尋は畳から頭を起こした。


 正面壇上に、よわい60前後の女が座っていた。

 唐花からばなの地紋が織りこまれた青磁の西陣御召にしじんおめしに黒百合染めの牛首紬うしくびつむぎで作られた帯。贅沢この上ない装いを、『風格』という二字の中に見事に馴染ませた、巫部家の、そして、いてはこの巫部島の頂点に立つ人物。


 外見は、実際には年齢相応か、もしくはいくぶん若く見えるであろうにもかかわらず、まとった威風によって、この女の実年齢をわかりにくくさせていた。それは、志姫が当主の座を継いだときから、否、この巫部の家に《形代かたしろ》として生まれついたときから纏っていた、『宿命』と同意の鉄の鎧だった。



「ひさかたぶりじゃの、真尋」


 だれを相手にするときにも決して変わらぬ無表情と平淡な口調で、志姫は目の前の青年に声をかけた。それを受け、真尋はあらためて一揖いちゆうし、型どおりの挨拶の言葉を添えた。


「お屋形様にもお変わりなくご健勝のご様子、心よりお慶び申し上げます」


 氷のような能面に、一片の変化も表れない。けれども、真尋を見据える双眸のつよさは、その心の奥底にあることごとくをさらい尽くそうとしているかのようであった。


「我が面前にどの面下げて戻った――と言いたいところじゃが、役目大儀であった。よう戻ったの」


 厳格な当主の口から出た思いがけない労いの言葉に、居合わせた面々は信じがたい様子で互いに顔を見合わせた。そしてとうの真尋は、両膝に載せた拳を握り、奥歯を噛みしめて無言で俯いた。


「本意ではなかった、と言いたげじゃの」


 わずかに綻ばせた口から、いかにも可笑しげな声が漏れた。真尋の様子を、心底愉しんでいるかのようだった。


「おまえがいずれ、美姫の娘を連れてこの島へ戻ることははじめからわかっていた。それゆえ7年前のあの日、わたくしはおまえの出奔しゅっぽんを許し、その後も追及せなんだ。結果はこれこのとおり。今日まで、ご苦労じゃったの」


 志姫の言葉に、真尋はいたたまれず顔を上げた。


「長老、私は……!」

「【あれ】は、おまえごときの手に負えるものではない。港の生け簀を、おまえも見たであろ?」


 懇願の眼差しを真正面から受け止め、巫部家現当主はげんに言い放った。


「すでに《御徴みしるし》は顕れた。新しき《御座所》の覚醒ははじまっている」

「ですが、まだ完全に覚醒しきってはいません。いまならばまだまにあうはずです!」


 真尋の必死の訴えを聞いて、志姫の口許に今度こそはっきりとした笑みが閃いた。しかし、伏した瞳に浮かんだ感情は、だれにも量ることは適わなかった。


「因果なことじゃの。美姫にほだされ、挙げ句、その娘をかどわかして紛れこんだ俗世で、いったいどんな無駄な知識を詰めこんできたことやら」

「無駄ではありません。少なくともまだ希望はあります。人も、この島も、いつまでもこんな因襲に囚われていていいはずもない。いい加減、断ち切るべきです」

「因襲、とな? 相手は人智を超えた世界に棲まうものぞ。凡愚の身になにができる」

「そう言って手をこまねき、あるいはそのふりをして、結果、もたらされる威光と利権を振りかざし、あなたがたはこの地で数百年にも及ぶ繁栄を誇ってきたのではないですか?」


 当主及び主家への非礼極まりない暴言に、たちまち左右から非難と怒りの声があがった。だが、志姫はひと声で彼らを黙らせると、いま一度真尋と向き合って発言を許した。


「なにごとにも、領分というものがあります。我々この島に生まれし者は皆、人ならざるものに触れてしまったそのときから己の領分を超え、人としての道を踏み外してしまったのです。もたらされた平安は、大きな犠牲の上に成り立ってきた。なぜ、そこから目を背け、罪に蓋をし、きれいごとだけを並べ立てるんです? あなたがたが必死で守ってきた権威も体面も『象徴』も、所詮、砂上の楼閣にすぎない。むしろこれまで保たれてきたことのほうが奇蹟だったのです。

 人の力の及ばぬ領域に、人ごときが安易に足を踏み入れていいはずもない。我々は、最初の時点で進むべき道を誤っていたのです。その結果が、いま現在、この巫部を根底から揺るがす原因ともなっている《形代》の不在なのではないのですか?」


 真尋が口を閉ざした後も、志姫は長いこと静黙していた。


 なぜ、このような下賤の若造ごときの倨傲きょごうゆるすのか。列席する眷属けんぞくの者たちは皆、当主の寛容を内心で苦々しく思い、憤懣を募らせていた。だが、敢えて具申する者はひとりもいない。それが永年にわたって培われてきた、巫部の当主と『その他』との格の違いであった。


「それでおまえは、過ちを正すためにこの島に舞い戻ってきた、と?」


 やがて志姫は顔を上げると真尋に尋ねた。臆することなく当主を見返した真尋は、即座に否と答えた。


「そこまで大それたことは考えていません。私はただ、己の腕を広げた範囲に収まるものの中で、もっとも大切なものを守りたいと願っているだけです」

「それが、あの娘――《御座所》かえ?」

「雛姫です」


 真尋はきっぱりと訂正した。

 当主とは別の意味で特殊な地位にある一族の『姫』を呼び捨てたことにより、室内にふたたびどよめきが湧き起こった。だが、志姫はそれをもふたたびひと睨みで収めた。


「おまえにとって、『雛姫』とはどのような存在か」

「かけがえのない、たったひとりの大切な妹です」

「その『妹』を、おまえは本気で救えると?」

「少なくとも、いまの時点で諦めたくはないと思っています。雛姫の苦痛の根源はこの島にある。だからこそ、危険を承知で戻ってきました」

「真尋、おまえはこの巫部の家に仕えながら仇為あだなし、弓引いた者。こうしてこの島に戻り、我が屋敷の敷居をいま一度跨いだからには、如何なる処遇をも受け容れる心構えはあるのだろうね?」

「もとより覚悟の上です」

「よい覚悟じゃ」


 志姫は、ひとつ頷いて真尋の後方に合図した。大広間の下手に控えていたウキが、心得た様子で襖を開ける。続き間に控えた黒服のふたりの男が開かれた襖の向こうに現れた。彼らは、当主とその眷属に向かって平伏すると、無駄のない動きで立ち上がり、音もなく真尋の両わきに歩み寄った。

 真尋は志姫にもう一度頭を下げ、静かに立ち上がった。


「なにか、言い残したことはないかえ?」

「……雛姫を、よろしくお願いします」


 最後まで揺らがぬ意志を示した青年のその気骨に、志姫は、天晴あっぱれと満足げな表情を浮かべた。

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