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神の棲む島  作者: ZAKI
第五章 美守
14/46

(一)

 兄は、夜になっても戻る気配がなかった。


 刺身、天ぷら、え物、煮付けに蒸し物に焼き物、そして汁物とデザート。

 風呂から上がって奥座敷に戻ってみれば、座卓の上には所狭しと山海の珍味が並べ立てられていた。

 だが、それらはいずれもひとりぶんしか用意されておらず、兄の姿も見当たらなかった。


 山間やまあいに吹く、清涼な夜風が湯上がりの火照ほてった躰に心地いい。

 トキの用意した着替えは、きちんと糊付けされた寝間着も含め、すべて雛姫の躰の寸法にぴたりと合っていた。屋敷の雰囲気から、出される着替えは浴衣のような気がしていた。だが実際は、ルームウェアーも兼ねた、オーガニック・コットンのTシャツとハーフ・パンツという上下セットのパジャマだった。少しでも着心地がよく、動きやすいものをという配慮があったのだろう。


 池の一部に造られた人工の滝だろうか。風にそよぐ樹々の枝や葉擦れの音に混じって、どこかから絶えず水の流れ落ちる音が聞こえ、鹿威ししおどしも変わらず風流な合いの手を添えている。


 おなじ敷地内にいるはずの真尋は、いまごろ、どこでなにをしているのだろう。用事は、いつになったら終わるのだろうか。


 普段、滅多に食べられないようなご馳走をまえにしても、雛姫の食は一向に進まない。

 ひとりの食卓は、どれほど手の込んだ、芸術的なまでに見事な料理が名器の上で展開されていようと、味気ないものに感じられた。


 はじめ、賄い役として部屋の隅に控えていたトキも、気詰まりをおぼえて食べづらそうにしている雛姫を気遣ってか、早々に寝床の準備をしてくる旨言い置いて席を外し、そのまま戻らない。

 せっかくの料理もほとんど手つかずのまま、ついには箸を置いて、雛姫はホッと溜息をついた。手許近くに置いた携帯は、何度確認しても圏外を示したきり、表示が変化することはなかった。



「田舎料理なんて、都会の人の口には合わなかったかしら」


 自分ひとりだと思いこんでいた室内に、聞き覚えのない第三者の声が唐突に割りこんで静寂を破り、雛姫を飛び上がらせた。

 見ると、いつのまにか枯山水を臨む縁側の沓脱石くつぬぎいしのそばに、ひとりの女が立っていた。


 色白の細面に、整った目鼻と意志の強そうなくっきりとした細い眉、薄い口唇くちびるがそれぞれバランスよく配置された、端整な日本人形のように美しい女だった。


 腰のあたりまで伸ばしたストレートの黒髪が、背後の闇に半ば溶けこんでいるように見え、生身の人間であるのか否か、パッと見には判断がつけかねた。だが、それも一瞬のことで、女は声もなく双眸を見開く雛姫を見やると、クスクスと笑いながら照明の当たる場所まで移動してきてその全身を露わにした。

 年齢は、おそらく真尋と同世代くらい。スラリとした体型に似合った、濃紺のチュニックと同系色のタイトスカートの上に、白いレースのロングカーディガンを羽織っていた。


「あ、あの……、こんばんは。お邪魔してます」


 相手がだれかわからないものの、その物慣れた態度からこの家の住人だろうとの見当をつけ、雛姫は挨拶した。それを見た女は、ますます愉快そうに口唇を吊り上げて笑った。


「あらあら、随分礼儀正しいこと。真尋の教育の賜物たまものかしら。でも、そんなにかしこまらなくてもいいのよ。お邪魔してるのはあたしのほうなんだから」

「え?」


 二重の意味をこめて、雛姫は聞き返した。

 お邪魔している、ということは、この女もこの家の客人なのだろうか。女とは初対面のはずなのだが、つい最近、どこかで会ったばかりような気がして雛姫は頭を悩ませた。しかし結局、それがいつ、どんな場面でだったのか、思い出すことができなかった。

 そしてなにより雛姫の心をとらえたのは、女の発した、もうひとつの言葉のほうだった。


「ヒロ兄と、お知り合いなんですか?」


 尋ねた雛姫を座卓越しに見下ろして、女は紅い口唇を皮肉たっぷりに歪ませた。


「ヒロ兄……。あの朴念仁が随分たいそうな懐かれかたしてるじゃない」

「え……?」

「べつに。あなたの言う『ヒロ兄』ってのが御堂真尋のことだとしたら、たしかにあたしたちは大昔からの知り合いよ。まだお互い、物心がつく以前からのね」

「幼馴染みなんですか?」

「幼馴染み……!」


 いったいなにが可笑しかったのか、女はまたもや口許に手を添えてクックッと笑った。その笑いかたに、好意が含まれているようにはとても見えなかった。


 なんだか意地悪そうな人だ。


 思わず心の片隅に浮かんだ不快な感情を、雛姫は慌てて打ち消した。


「そんなふうに考えたこともなかったけど、まあ、言われてみれば似たようなものだわよね」


 ひとしきり笑ってから、女は言った。


「大人になるまで、ずっと3人一緒に育ってきたんだから」

「……3人?」

「そう。真尋と司とあたし。司には、さっき会わなかった? 港まであなたたちを迎えに行ったはずだけど」


 言われて、ようやく思い当たった。どこかで見たと思った女のかおは、先程のスーツ姿の男のそれと、非常によく似た面差しをしていたのだ。

 雛姫の表情から察したのか、女はそうよ、そういうことと頷いた。


「司はあたしの双子の兄よ。自己紹介が前後しちゃったけど、あたしは巫部美守みもり。あなたのお母さんとは従姉妹同士の関係になるわ」

「お母さんの、従姉妹、なんですか?」

「ええ、そう。あたしたちの母親同士が姉妹なの。つまり、あなたのお祖母様と大伯母にあたるあたしたちの母親がね」


 先程、トキの説明の中に出てきた『大伯母』なる人物の名前を雛姫は思い出した。


「志姫、さん?」

「そうそう、よく知ってるじゃない。巫部志姫。巫部家の現当主で、真夕姫叔母様の双子の姉。真尋から聞いたの?」


 またしても出てきた『双子』の二字に、雛姫は驚きながらも首を横に振った。

 今日の夕方この島に着いてから、すでに三組もの双子――正確には、実際に会ったのは二組だが――に出会ったことになる。小さな島の中で、こんなに高い確率で双子が存在することにまず驚いた。また、いまの話からすると美守はこの家の人間で、客人ではないことになる。その美守が、最初に自分に向かって「お邪魔している」と言ったのがどういう意味なのか、雛姫にはわからなかった。


 そして、もっとも雛姫を混乱させたのが――


「あの、巫部志姫さんがあたしの大伯母さんて……」


 トキもこの美守も、自分を別のだれかと勘違いしているのではないか。そんな思いのほうが強かった。

 志姫が大伯母であるなら、その妹とされる真夕姫まゆきが祖母ということになろう。だが、トキの話では、真夕姫の娘は美姫みきという名前で、自分の母である牧江とは別の人間ということになる。トキの反応を見るかぎり、牧江が真夕姫の娘であるとは到底思えなかった。ならば志姫には、真夕姫のほかに別の姉妹があって、自分たち兄妹は、そちらの血を受け継いでいるということなのか。それもまた、違う気がした。


 いずれにせよ、真尋からは両親について肉親の縁が薄かったということ以外には聞かされておらず、美守やトキから聞いた話は、雛姫にとって簡単には受け容れがたい、別世界の人々のことのように思われた。


「ねえ、畜生腹って言葉、聞いたことある?」


 軽く腕を組んで雛姫を見下ろしながら、美守は言った。

 雛姫はその唐突な話題転換についていけず、面食らった表情で薄笑いを浮かべる女の顔を見返した。


「双子ってね、昔はそういって忌み嫌われる存在だったんですって。もちろん、双子を産んだ母親も含めてね。ようするに双子以上の多胎児が生まれると、母子ともに不吉なものとして忌避されて惨い扱いを受けたってわけ」


 最初から雛姫の返事など期待していなかった様子で、美守は勝手に話しはじめた。


「巫部の家はね、そういう意味では代々畜生腹の家系よ。傍流筋にも双子はよく生まれるけど、本家では殊に高い確率で現れてきたわ。そして他の地域の俗信と違って、生まれた双子はとても尊ばれて、一族をあげて――うううん、正確にはこの島をあげて大切にされてきたの」


 この島で、双子はとても重要な意味を持つ存在。けれどもそれは、あくまで巫部直系の姉妹で生まれた場合に限定される。

 美守は淡々と説明をつづけた。


【有資格者】は直径の双子の姉妹にしか生まれない。現当主志姫・真夕姫姉妹然り、【資格】を持って生まれた者は皆、代々『姫』の称号を与えられて崇め奉られてきた。だが、何百年にもわたって守られつづけてきたその均衡が、志姫・真夕姫姉妹の代に来て崩れてしまった。


「その結果が【あたしたち】よ」


 美守はそう結んだ。


『あたしたち』の中には、いったいだれが含まれるのだろう。


 まっすぐに自分を見据える女の視線が、なぜか深い意味を持つように思われ、雛姫は言いようのない不安に駆られた。


「ねえ、あたしの名前を憶えてる?」


 訊かれて、雛姫はおずおずと頷いた。


「……みもり、さん」

「ええ、そうね。正解よ。美しいに守ると書いて美守。そして双子の兄の名は司。これって変だと思わない?」

「でも、『姫』がつくのは姉妹だけって……」

「あらあら、なんて理解が早いのかしら。賢い子は嫌いじゃないわ。ついでに察しのいい子もね。そのぶん話が早いもの」


 美守はクスクスと意地悪くわらった。


「あなたの言うとおりよ。司とあたしは男女の双子として生まれてしまった。それも、直系でありながら。あなたにはピンとこないかもしれないけど、巫部家において、それはあってはならないことだったの。

 当然、あたしたちに【資格】は生じなかった。志姫の産んだ双子は、あたしたち兄妹ひと組だけだというのに。だけど、だからといって、そこで【有資格者】が完全に途絶えてしまったわけでもなかった」


 美守は、いったん言葉を切って口を閉ざした。


 直系の双子の姉妹。美守と司は志姫の血を引く。では――


「回転が速くて本当に助かるわ。これも、口べたで、愛想のない男と一緒に暮らしてきた生育環境ならではかしら」


 毒のある言い回しは、間違いなく雛姫のもっとも大切な存在を侮辱し、蔑んでいた。そこに、一緒に育ってきた者に対する親しみは一片も含まれてはいなかった。それは、先程の司にしてもおなじことが言えた。そして、真尋にも。

 関係が気になる一方で、美守に対する反感もまた抑えることができない。だが、雛姫の顔色からその心中を見抜いた美守は、雛姫に異議を唱える間も与えず先をつづけた。


「志姫の血筋が駄目でも、真夕姫の血筋が生きていればそれでいい。あなたが出した結論は正解。でもね、真夕姫の血筋にも大きな問題があった。とても大きな問題が。真夕姫が産んだ娘、美姫は、姉妹を持たずに生まれてきたの。つまり、双子ではなかった」

「え、それじゃあ……」

「だけどね、不思議なことに美姫は【有資格者】だった」


 先程から美守が繰り返し使う『資格の有無』が、いったいなにを指すものであるのか、雛姫にはさっぱりわからなかった。だが、その『資格』こそが、この巫部家においてもっとも重要な鍵となっていることだけは理解できた。


 直系に出つづけてきた双子の姉妹、有資格者、『姫』――


「【資格】は無事受け継がれたのに、なぜ単体では問題があったか」


 そこで美守は言葉を句切り、雛姫の目を正面から見据えた。


「ねえ、あなた、兄弟はいる? もちろん、女の」


 またしても唐突な話題の転換に戸惑いながら、雛姫は首を横に振った。


「そうね、あなたも一人っ子。《形代かたしろ》がなければ、巫部の家は立ちゆかない。いざというときの代えも必要。巫部の家では、だから双子の姉妹で生まれなければ意味がない。いわば直系に生まれる者の使命みたいなものね。分家筋の末端の家に生まれたウキとトキでさえ、使命に従順だった者として『姫』の一字にちなんだ『キ』で結ぶ名を与えられている。だから、そうなれなかった者は片端かたわのようなもの。惨めこの上ないわ。あたしたち兄妹も、美姫従姉ねえ様も、そして雛姫、あなたも――」


 美守の最後の言葉に、雛姫は瞠目した。


「で、でも、あたし……、巫部の人間じゃ……」

「御堂雛姫。この7年、真尋にうまいこと言いくるめられて、そう名乗ってきたの?」


 言いくるめられたのではない。自分は御堂雛姫なのだから。父の名は御堂宗佑そうすけ。そして母の名は牧江。御堂真尋は、自分のたったひとりの大切な兄で――



「真尋とあなたは、残念ながら1滴の血の繋がりもないわよ」



 心が激しく拒絶し、否定したにもかかわらず、残酷なその告白は雛姫を打ちのめした。


「う、そ……」


 限界まで双瞳を見開いたまま、雛姫はいやいやをするように首を横に振りつづけた。

 いやだ。そんなはずはない。こんなのは全部出鱈目だ。


「巫部雛姫。それがあなたの真実の名前。なによりその名前があなたの出自を明確に物語っている。あなたは、《形代》を持たずに生まれた美姫従姉様の血を受け継ぐ、たったひとりの娘。そして母親とおなじく、《形代》を持たずに生まれてきた片端の、巫部家唯一の【有資格者】」



「知らないっ!!」



 女の言葉が最後まで終わらないうちに雛姫は絶叫していた。


「巫部なんてあたしは知らないっ。資格なんか全然持ってないし、美姫なんて人も知らない。会ったこともないっ! あたしは御堂雛姫だもん。あなたの言うことなんて絶対信じない。ヒロ兄はどこっ? いますぐヒロ兄に会わせて!!」


 絶叫は、慟哭となって雛姫の心に絶望を落としていく。美守は、その姿を表情の消えた眼差しでじっと見つめていた。



「――可哀想な子」



 紅く、薄い口唇からやがて漏れた低い呟きは、雛姫に残された希望という名の最後のよすがさえも完全に打ち砕いた。


「真尋はおそらく、もう二度とあなたの許には戻らない」


 ついさっきまで悪意一色に彩られ、吊り上がっていた女の口唇から、いつのまにか笑みは消えていた。

 雛姫を見つめた昏い瞳が、流れるように庭先へと移動する。雛姫は、声を発することも忘れて、茫然とその様子を眺めた。


「御堂の家は、代々《御座所ござしょ》の守り役として巫部家に仕えてきた。真尋はその分を越え、主家を裏切り、大切な《御座所》をかどわかして姿を消した。罪は、万死に値する」




 『其は人にして人に非ず

  常夜の御魂の御座所なり――』


 ――拐かされた、御魂みたまの――御座所………。




「ヒ……ヒロ、兄…は、いま、どこに……」

「大丈夫、殺されはしないから。だけど、裏切り者には相応の処罰が下される」

「そんな……。だって、あたしは……」

「罰を覚悟で真尋が戻った理由は、【だれ】にあると思うの?」

「でもあたしは……、あたしは巫部家なんて――」


「雛姫」


 抑揚のまるでない声で名を呼ばれ、雛姫はビクリと身を竦ませた。


「真尋が裏切ったのは巫部の家だけじゃない。7年前、あの男はすべてを捨てて美姫従姉様と、その娘であるあなたを選んだ。それが、どういうことなのか、あなたには絶対にわからない。絶対に…っ」


 押し殺した感情の隙間から漏れ出る激しい想い。

 他人には容易に触れられぬなにかを抱えた女の心が、固く握りしめられた拳のかすかなふるえを通じて表出される。


 ――この人は……。


「この離れは、歴代の【有資格者】――すなわち、《御座所》のために造られた宮。かつて真夕姫叔母様や美姫従姉様が首座に就いていたように、いまの主は、雛姫、あなたよ。そして、あたしの名前の真の意味は『御守』。司とともにあなたを守るべき使命をつかさどりし者よ。御堂の家に生まれた、真尋とおなじく、ね」

「資格って……《御座所》っていったいなんなんですかっ? あの石碑にあった《御魂》って!?」

「あなたを連れ帰った真尋は、この期に及んでまだなにかをしでかそうとしている。いまはわからなくても、いずれすべてがわかるときがくるわ。そう遠くないうちに、必ずね」


 言い放って、美守は雛姫に背を向けた。なびく黒髪が、ほどなく闇に溶けこんでいく。

 雛姫は、女が消えた闇を、いつまでも凝然と眺めつづけた。

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