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神の棲む島  作者: ZAKI
第三章 巫部島
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(三)

 今夜の宿はどうするつもりなのだろう。


 島を訪れるまえから胸中を占めていた雛姫の気がかりは、畢竟ひっきょう、杞憂に終わった。

 心ゆくまで石碑を眺めた少女は、やがて、すっかり満足して兄を振り返った。真尋は、それまでなにも言わずに辛抱強く妹につきあっていたが、雛姫の気がすんだのをて取ると、ゆっくりときびすを返した。軽い足取りで雛姫がそれにつづく。だが、数メートルも歩かないうちにふたりの足は止まった。

 空気を裂くような突風がいきなり周囲を吹き抜ける。雛姫は思わず片腕で顔を庇って目を閉じた。


 ――ヒロ兄?


 雛姫は咄嗟に兄の様子を窺った。よくはわからないが、兄の心がひどく乱れたような気がしたのだ。

 真尋は静止していた。感情を消したその双眸そうぼうがとらえるものに、雛姫も視線を移した。


 ロータリーの入り口に、いつのまにか1台の黒塗りの車が停車し、そのわきに、ひとりの男が立っていた。

 年齢は、真尋とおなじくらいか、やや年嵩としかさといったところだろうか。こんな田舎の島では、逆浮きしそうなほど仕立てのいいスーツを身につけたその男は、まるで、1枚の風景画の中に溶けこんだように、夕焼けの海を背景に潮風を受けてしずかに佇んでいた。

 少女は、いったいなにごとかと怪訝に思って兄を見上げた。けれども真尋は、前方を見据えたまま微動だにしなかった。


 彼らのあいだに、しばし奇妙な静寂が流れた。


 真尋は、足に根が張ったかのようにいつまでもその場から動こうとしない。その様子を見た男が、やがて向こうからゆっくりとこちらに近づいてきた。

 長身の真尋と並んでも見劣りしなさそうなスラリとした体型に、色白で小さな面長の顔。一重の切れ長の瞳と、端整な和風のかお立ち。

 彼らの目の前まで来て立ち止まった男は、見るからに育ちが良さそうな、知的で上品な雰囲気を漂わせていた。


 ――知り合いだろうか。


 雛姫はもう一度兄を見上げたが、真尋は依然、硬い表情のまま相手を凝視していた。



「ひさしぶり。それとも『おかえり』、というべきかな。真尋くん」


 男は柔和にゅうわな微笑をその口許に湛え、やわらかな口調で言った。

 あくまで無言を押しとおす真尋の手が、瞬間、強く、固く握りしめられるのを雛姫は見た。こんなにも張りつめ、緊張しきった兄を、これまで見たことがなかった。

 異様な空気に声もなく雛姫が驚いていると、男の視線が真尋から雛姫へと流れるように移された。

 男は、変わらず優しげな笑みを浮かべている。だが、雛姫はなぜかその視線の中に、物を値踏みするような、傲慢な冷たさを感じて後退あとじさった。


「これが【あのときの子】か。随分大きくなったね。といっても、君は憶えていないだろうけど」


 にこやかに話しかけられ、雛姫はしかたなく真尋の陰から挨拶した。


「こんにちは……」


 普段、雛姫がなにかに物怖じしたり人見知りすることは滅多にない。その自分がこうまで畏縮してしまうのは、笑顔で自分を見る男の目が、実際には少しも笑っていないからだということに雛姫は気がついた。自分に向けられる、蛇のような視線が怖かったのだ。


「わざわざ迎えの車を出していただいて申し訳ありませんでした」


 雛姫の怯えを感じとったように、真尋がはじめて雛姫を庇うかたちで半歩横に移動し、男に頭を下げた。男の注意はたちまち雛姫から逸れる。雛姫は、ようやく安堵して真尋の背後で小さく吐息を漏らした。


 やはり、この男と兄は知り合いだったのだ。それも、おそらくは旧知と言えるほどまえからの。

 では、兄はこの男に会いに来たのだろうか。


 雛姫の考えは、しかし、すぐさま男の言葉によって打ち消された。


「礼には及ばないよ。長老がすでにお待ちだ。君たちが来ることはとうにわかっていた。なにしろ、《御徴みしるし》があらわれたそうだからね。さ、乗りたまえ」


 ふたりを促して、男は颯爽とした足取りで車に戻っていった。真尋も黙ってその後につづく。わけがわからぬまま、雛姫もやむを得ずそれに従おうとしたそのとき、港のほうで派手な水音がした。

 見ると、船着き場の向こうで、水面が周辺よりも大きく波打っている箇所がある。その辺りをぐるりと取り囲むように、円形に広がって頭を出している杭が見えた。


「生け……」


 呟いた兄の表情に、なぜか驚愕の色が浮かんでいた。


「ご覧のとおり、この辺りでは最近魚が捕れるようになってね。なかなか豊富な漁場になりつつあるようだよ。事態の深刻さが、これでわかったろう?」


 愕然とする真尋に、男はうっすらとした笑いすら浮かべて解説した。

 海に作られた生け簀。それのなにが異常なのか、雛姫にはさっぱりわからない。説明を求めて兄を見上げたが、海に据えられた目が雛姫のほうを向くことはなかった。


 顕れた《御徴》―――


 ひどく印象に残ったこの言葉が実際になにを意味するものなのか、そしてなぜ兄は突然この島を訪れたのか、この時点で雛姫にわかることはなにもなかった。

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