5話
『母よ・・・・・・たすけて・・・・・・』
この匂い、この気配。覚えはあるものの、理由が解らない。何故なのですか。
背後から抱き込まれるように、がっちりと回された太く逞しい腕。手足を拘束されて身動きがとれない。両目も覆われてしまった。正確には額から目、その下の鼻や口元までもが覆われていた。声を出そうとするもこもってしまい、傍にいたはずのあの人にも聞こえてはいないだろう。
残念な本能のおかげか、いつも以上にたっぷりと愛でられた。そのどさくさに紛れ、ぎゅうっと抱きつくことにも成功。甘い視線を独り占めにしながら午後のひと時を満喫する。
いつもなら夕食までが長く感じるが、今日はあっという間だ。寝過ぎたことにより時間の間隔が狂ったこともあるが、いつも以上に濃密な時間を過ごしたから。
我の体内感覚はどこまで残念なことになるつもりなのか。
いやしかし。あの人の甘い視線、蕩けるような笑顔。柔らかく優しい手を独占できるなら、残念万歳!
静かな住宅街に聞き覚えのある音が、近づいてくる。深夜に近い時間だというのに、家の前が騒がしくなってきた。
低く脳を揺さぶる音。頭の奥が、がんがんする。せっかくの微睡の時間が台無しだ。
もう少しで・・・そう、あともう少しで消灯時間になるはずだった。あの人の甘く優しい声にうながされ、ぐずりながらもべったりと甘え寝室に連れて行ってもらうはずが。
ああ、父と呼ぶ人が帰ってきた。
こうなってしまえば、二人きりの甘い時間も無くなってしまう。蕩ける視線は我には向かず、甘い声を聴くことも叶わない。柔らかく優しいその手も伸ばされることはない。
それが気に入らなくて、あの人が出迎えに行く前に先回りして邪魔してしまう。その後ろ姿が、父に甘えて纏わりつくように見えている。甘えん坊ねと甘い声を聴き少し満足する。もちろん甘えたい気持ちが、ないわけではない。
「お願いできます?」
我が前後不覚に陥るなど・・・・・・
びくりとする間もなく、鈍い衝撃が右足全体にひろがる。二度三度と続く。右足だけではなく左足にも。やがて両手にもひろがる。全身がこわばり声が漏れる。それでも拘束は解けず、視界は覆われたまま。
ちょっとしたパニックに陥っていたかもしれない。拘束されていたのは5分ほどのようだが、全力で運動した時よりも疲れている。心臓の音があの人に聞こえてしまいそうに激しく早く、鳴り響いていた。
身体の自由と視界を取り戻し、見上げる。やはり父と、爪切りを片手に持つ母の姿が。
『母よ・・・・・・手足がやせました・・・・・・』
我のお腹の上と足元はキラキラとしうっすらと白く透明に輝く破片が散らばりまるで夜空の星屑が降り注いだように・・・・・・
「黄昏ていないでさっさと寝ろ。もう消灯時間はすぎているぞ。」
母よ・・・・・・だっこ・・・・・・