4話
『母よ・・・・・・すきました・・・・・・』
その後ろ姿からでは感情が読み取れそうにない。気になりそっと横顔を覗き込むと、時折見せる少し困ったような優しい顔。怒っているわけでも呆れているわけでもないのだろう。ただただ本当に、困らせてしまったようだ。
困らせるつもりなど到底なかった。いつものように、少しだけ甘えて希望を述べたつもりだった。
朝から続く雨のせいか外は薄暗く、時間の感覚が鈍くなりそうだ。すっきりと目覚めることができず、眠気がいつまでもまとわりついてくる。すでに日は昇りきっているはず。中天に差し掛かっているのかもしれぬ。
しかし優しいあの人は、いつも我が起きるまで待っていてくれる。あまり遅いと様子を見に来てくれるので、それまでのんびりするのもいい。
頭を撫でてもらい額から頬、耳の後ろを掠めて首筋へと。柔らかな手で気が済むまで愛でられながら朝を迎えるのは、何事にも代えがたい。
甘い寝起きを想像するも、残念なことに本能に忠実な身体は空腹も限界のようだ。
「すぐにご飯にしましょうね。」
小さく食器の触れ合う音とともに、なんとも食欲を刺激するいい匂い。母がお盆を持ったまま傍らに立つ。ちゃんと座るようにと、そっと腰に手を添えられる。座っていたつもりが匂いに誘われ、半分ほどお尻が浮いていたようだ。
恥ずかしくて視線を逸らしたまま座りなおす。そっと上目使いになりながら、食べてもいいか窺うと褒めるように額を撫でられた。
雨音の中に響く小さな食器の音。静かに食べることが苦手で、なかなか上手くならない。それでも穏やかで甘い視線をこちらに向けたまま、食べ終わるまで傍にいてくれる。
最後に水を飲み一息つくと、期待を込めてちらりと視線をむける。
残さず食べるとご褒美がある。
今まで残したことがないので、その場合の反応は知らないし知りたくもない。知る必要もまったくない。出来れば一生知らないままでいたい。
甘い視線とともに、白い手がこちらに伸ばされる。頭を撫でられ、額から頬。寝起きのそれより長くしっかりと触ってもらえる。頬から唇を掠めて顎へと続く。食べこぼしがついていないかの確認もしてもらう。右側から左側へと続き、両側でご褒美を堪能。
目を細めて少しだけ顎を突き出す。もっと撫でてほしいという合図。
ますます視線は甘くなり、とろけるような微笑みを向けられる。これが小さい時なら、膝の上に抱き上げられていて至近距離でその微笑みを見つめられたのに。そのまま眠りに落ちたとしても目覚めるまで、柔らかな手とその膝を独り占めできていた。
うっとりと目を閉じた。心地よさに小さく喉が鳴り、声が漏れてしまう。うすく唇を開くと、そっと指が添えられ小さな前歯をのぞき見られる。
可愛いと言われるのは不本意ではあるが我にだけ向けられるのであれば、やぶさかではない。
あの人の手は魔性だ。小悪魔か、大悪魔か。魔王か大魔王か。呪われているのか、いや呪われたい。
食事の後は少し運動をするつもりが、また眠りに落ちてしまった。胸焼けするような、甘く優しい夢を見ていた。もう少しだけ微睡んでいたいが、ずいぶんと長く眠っていたようだ。
それが原因なのか、ほんの少しだけお腹がふっくらとしてきた気がする。寒い季節は仕方がない。防衛本能だとか。しかし微妙な年頃ゆえ、そこが可愛いとの意見は受け入れがたい。今からでも運動をするべきか。
ああ。またしても残念な本能が、訴えてくる。
寝顔をどれほど見られていたのか。時折よだれが零れていて、たまらなく可愛いと嬉しそうに報告されても困る。恥ずかしさを誤魔化したくて、寝起きで乱れた頭をその手に押し付けるようにする。優しく整えるように撫でてもらい落ち着いたところで、そっと身体をすり寄せ希望を述べる。
我の喉から、ぐぷっと小さく音が漏れた。あらあら、困ったわねと背中をさすられた。
「まだ一時間しか経ってないのにね。」
母よ、今何時なのでしょう。
そして我の残念な本能と満腹中枢はどうゆうつもりなのか。