10年越しの片想い
会話多め、ファンタジックな恋愛です。
チョコを買った。
少しだけ高級な六角形の箱。
彼の部屋で空き箱を見たことがあるから、きっと好きなのだろうと思って。
本当は手作りのものをあげたかったけど、迷惑かもしれないから。
お気に入りのペンでカードに彼の名前を書き綴る。
そしてその下に、小さく自分の名前。
私は知っている。
彼には好きな人がいることを。
――10年越しの片想い、かぁ。
私はぼんやりとチョコの箱を見つめながらため息をついた。
バレンタインにこんなに憂鬱な気分でカードを書く人が他にいるのだろうか。
10年。
その時間は途方もなく長くて、私には想像もつかない。
私には、そんなに長い間好きだった人なんていない。
彼のことは出会ってからずっと好き。
だけど、たった2年。
「ほんの少し、ほんの少しだけなら、いいかな」
私は一人呟いた。
コートを着て、カバンを肩にかけ、チョコを入れる。
どこに行けばいいかわからないけど、彼の実家の近くなら会えるかも。
そう思って彼の実家近くに向かった。
そして私は、飛んだ。
**************
「誰?」
目の前を歩いていた人が突然振り返ってそう言ったので、私は驚いて声を失った。
「ずっとついて来てたでしょ」
「……どうしてわかったの?」
「足音がしてたから」
随分、間抜けな。
自分の足がおさまった一対のハイヒールを見て、私はため息をつく。尾行には向かない代物だったか。
「……もしかして、ストーカー?」
そうかも。
私は彼のことが好きで、そしてこうしてついて来てしまったのだから。
「……そこ、座る?」
小さな公園の、冗談みたいに小さなベンチを指さして、彼が笑った。
「どうして?」
「だって、泣きそうなんだもん」
私が、か。
「お姉さん、いくつ?」
明らかに怪しい人を相手に、彼は特に不愉快な様子も見せずにその隣にどっかりと腰を落とす。若者特有の背中のずり下がった座り方。
「お姉さんって言ってくれるんだね」
「おばさん、の方がよかった?」
そう言っていたずらっ子みたいに笑う。
「ううん。お姉さんがいい。わたしはね、24歳」
「へぇ。俺の7歳年上か」
「うん」
彼は17歳。
私はそれを知ってる。
だから私は彼の年齢を聞き返さなかった。
「で、24歳のお姉さんはどうして泣きそうなの?」
「君は、どうして?」
「え?」
「君もずっと、下向いて歩いてた」
「俺は失恋したんだよ」
そう言って少しだけ眩しそうに、でも無邪気に笑う。
ああ、これだ。この失恋の相手が、10年越しの片想いの、その相手だ。
私はそう確信して、そして哀しくなった。
「ずっと好きだったの?」
「うんまぁ、ずっと、かなぁ?」
「そっか。それは残念だったね。こんな日に」
「こんな日だから、だよ」
世間は浮かれるチョコレートの日。
高校生の彼にとってはきっと特大のイベントだっただろうに。
「お目当ての子からもらえなかったってこと?」
「いや、そいつ今日俺の友達にチョコ渡して告って、そんでラブラブ」
言ってから、自分の言葉にダメージを受けたように大げさに肩を落として見せる。
その仕草が可愛くて胸が痛くなる。
「そっか」
「お姉さんは? 振られたの?」
「うーん。どうかなぁ。忙しいから会えないって言われただけだから」
「それはもしかして体よく振られたんじゃない?」
歯に衣着せぬ物言い。オブラートに包むとか苦手なんだって笑ってたのは、ずっと変わらないんだね。
「そうかもしれないね」
「あ、もしかして、その男の人が俺に似てるんでしょ」
「……どうしてわかったの?」
「俺を見る目がそんな感じだったから。懐かしそうっていうか、なんていうか。だから、俺の後つけてたの?」
「うん、まぁ、そんなところ」
視線だけでばれてしまうくらい、私の気持ちは零れだしてるみたい。
「そっか。お互い残念な日になったねぇ。浮かれてるやつがいっぱいいるってのに」
後をつけられてた相手なのに、この子はまぁ、あっさりと。
「……相手の子は、どんな子なの?」
心を抉るとわかっていながら、つい聞いてしまう。
だって、それが知りたくてわざわざここに来たようなものだから。
「うーん。俺テニス部で、そのマネージャー。かわいいよ。人気者で」
心当たりがありすぎて泣きそうだった。
なんだ、あの子だ。あの子のことが好きなんだ。
「お姉さんの相手の人は?」
「私の相手は……婚約者なんだけど。すごくかっこよくて、優しくて、仕事ができるの」
「何か嬉しいな」
彼が無邪気に笑って見せる。白い歯。ああ、こんなところも、変わらない。
「何で君が嬉しいの」
「だってその人、俺に似てるんでしょ。かっこいいって。俺もってことでしょ、それ」
ああ、そういうことか。
「うん。かっこいいよ。君も、彼も」
全く同じ顔で笑うんだもん。
「やべぇ、俺、かっこいいなんて言われたことないよ」
でれっとした顔で彼が言う。あ、こんな顔は、見たことないかも。
「ああ、でも、彼の方がかっこいいよ。もっと大人の色気があって」
これは本当。
17歳じゃ、まだ少し幼いから。
「そりゃ俺には無理だよ。子供だもん」
「そうだよね」
「っていうか婚約者なんだね。それってバリバリ両想いじゃんか」
「婚約してるからって両想いとは限らないんだよ」
どうしてだか、彼を前にするとすんなりとその言葉が出てきた。
涙がほんの少しだけ視界をもやつかせるけど、それがこぼれることはない。
「え? 両想いだから婚約するんじゃないの?」
「大人になるとね、そればっかりじゃないよ」
「たとえば?」
「すんごく好きな人がいるとしてね。君がそのテニス部の女の子を好きみたいに」
「うん」
「でも、その人にはもう相手がいるの。君のそのテニス部の女の子に彼氏がいるように」
「おい、結構抉ってくるなぁ」
彼はそう言って苦笑いをする。
「まぁいいや、それで?」
「だから、その子のことはあきらめなくちゃいけない。で、身近にいる人の中から選ぶ。君だって、あり得るでしょう?」
「うーん、そうかな。でも、身近な人って別にお姉さんだけじゃないでしょ。いっぱいいる中で選ばれたんでしょう? それならやっぱりお姉さんのことを好きなんじゃないの。一番じゃ、ないとしてもさ」
一番じゃない。その言葉が胸を抉る。
「身近にいる人の中に、やたらと装飾物のついた人がいたとしたら?」
「装飾物?」
「そう」
「お姉さんがすげぇキレイだから?」
「ううん。容姿じゃなくて。たとえばお金とか、地位とか」
「お姉さん、お金持ちなの? すごい人なの?」
純粋な目に覗きこまれると、また視界がにじむ。
「私がお金持ちなわけでも、すごい人なわけでもないの。ただ、父がね」
「お父さん?」
「そう。彼も私も、私の父親の会社の社員なの。私と結婚したら彼はたぶん会社を継げるの」
「そっか。だから選ばれたのかなって思ってるの?」
「うん。たぶん、そうだと思う。彼にはね、10年越しの片想いの相手が居るんだって」
「なんでそれをお姉さんが知ってるの?」
「彼の大親友が笑ってそう言ってたから。皮肉なことに、彼の片想いの相手はその大親友の奥さんなの」
これはさっき知ったんだけどね。
「大親友とその奥さん、高校時代からずっと付き合って結婚したんだって」
「それはすげぇね。俺の周りでこれからずっと付き合って結婚する奴なんているかな」
いるよ。
君の好きな女の子。
テニス部のマネージャー。
今日付き合い始めた君の友達と、結婚するんだよ。
「でも俺だったらたぶん、好きじゃない人とは結婚しないなぁ」
「え?」
彼の唐突な声に、固まってしまう。
「ムリじゃん、そんなの。好きじゃない人と結婚したら毎日好きじゃない人と一緒にいて、好きじゃない人のために働かなきゃいけないんでしょ。俺はさ、親父とおふくろが超仲良いんだよ。親父はいつだって、家族のために働いてるって言ってる。仕事は大変だけど、家族がいるから頑張れるんだって。そういうのすげぇかっこいいと思うからさ。好きでもない人のためには頑張れないと思うんだよね」
「そっか」
「だからもしかしたら、お姉さんの好きな人もそうかもよ。お姉さんのこと、ちゃんと好きかも」
「そうかな」
「聞いてみたら? 聞いてみたらいいじゃん。好きじゃないって言われたらさ、ビンタしてやれよ。俺、ビンタの仕方教えてあげようか?」
「ううん、いい。私、彼のことが大好きすぎて、きっとあのかっこいい顔にビンタはできないと思う」
君と全く同じ顔をした、彼には。
「そっか。じゃ、タマ蹴りだな」
「そっちならできるかも」
「お姉さんみたいなヒールだったら、結構きくと思うよ」
「わかった」
「じゃ、俺、腹減ったからもう行くよ」
「ああ、ごめんね」
なんでだろう。
そんなにたくさん話したつもりはないのに、ずいぶん時間が経ったみたい。
辺りはとっぷりと暗くなっていた。
「ごめんね、ありがとう。話を聞いてくれて」
「いや、俺も楽しかったし。お姉さんさぁ、近くに住んでるの?」
「近くはない、かなぁ」
「またここ、来ない?」
「たぶん、来ない」
「何だそっか。残念だな」
その言葉が思いの外嬉しかった。少なくとも、高校生の彼は、私にまた会いたいと思ってくれたらしい。
「これ、お礼にあげる」
「え? それ、婚約者の人に渡すんじゃないの」
「同じのまた買えばいいから。お礼。テニス部の子にもらえなかった分、これで少しでも元気出して」
「微妙に抉ってくるんだな。でも、ありがと」
抉るようなことを言ったのはわざと。
悔しかったから、少し意地悪な気持ちになったの。
ごめんね、17歳の君。君は何にも悪くないのに。ああ、別に、今の彼だって、悪くはないんだけど。人を好きになる気持ちは誰にも咎められないもんね。
去って行く彼の姿を見送って、私はまた飛んだ。
さっきまで見ていたのとほとんど変わらない風景が目に飛び込んでくる。
小さな公園。
遊具は数年前に撤去されたとかで、もうすっかり無くなっているけど。
砂場だけは10年経っても同じ場所にあった。
私はタイムトリップができる。
自分の未来なんて知りたくないし、過去をのぞいたって良いことなんかないから、この能力を使ったのはたった3度だけ。
3度目の今日は、10年前の彼を見に行った。
そっと見るだけのつもりが見つかってしまったのは予定外だったけど。
私の婚約者には10年間片想いをしている相手がいるらしい。
そのことを知ったのは彼の親友が零したたった一言のせい。悪気もなく、不意に零れたようなその言葉に、一緒に居た彼はただ微笑んでみせた。
あの微笑みが、忘れられなかった。
懐かしいような、切ないような、はにかむような笑みが。
そしてバレンタイン。婚約者として迎える最初で最後のバレンタインを、彼は「忙しい」の一言で片づけてしまった。
元からもしかして、という思いはあったのだ。
彼みたいな素敵な人が私なんて選ぶはずがないから。
彼に出会ったとき、私はただのひよっこで。父の経営する会社に難なくもぐりこんだただのお嬢ちゃんで。自分の足で立っている二つ上の彼がそんな私を気に掛けるはずなんてなかったのだ。
それでも、彼の向けてくれる微笑みが好きだった。
付き合ってほしいと言われて舞い上がった。
優しい彼に惚れこんだ。
プロポーズを受けて、心の底から幸せだった。
彼には好きな人がいる。
耐えられるだろうか。
彼の好きな人を知っていながら、そのそばに居ることに。
10年前の彼になんて、会わなければよかったのだろうか。
「百合」
ぼんやりとしたまま戻った家の前で声を掛けられ、顔を上げた。
「え、どうして……」
「チョコ、受け取りに来た」
「だって、忙しいって」
「俺じゃなくて、百合がね」
「どういう……?」
私には予定なんかなかったのに。
忙しいって言ったのはあなたで。
「で、チョコは?」
「あ……」
「ないの?」
普段は優しい彼の、珍しく問い詰めるような口調。
「あの、明日買えばいいと思って」
「嘘でしょ。他の男にあげたんでしょ」
「そ、そんなことない」
「目が揺れてる。百合は嘘、下手なんだから。騙されないよ」
「ちが、ちがうよ」
「どもってるしね。わかりやすいな」
「だって……」
あなたなのに。あげた相手は、10年前の、あなたなのに。
「まぁ、俺が持ってるけどね」
え?
彼が取り出した六角形の箱を見て、私は目を丸くした。
「だって、百合がくれたじゃん」
「え?」
「百合。会って来たでしょ?」
「え?」
「10年前の俺に会って、チョコ、渡してきたでしょ? 百合、忙しかったでしょう? さっきまで。だから言ったんだよ。バレンタインは忙しいって」
「なんで……」
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「俺本人を相手に誤魔化せるわけないじゃん」
「ちょっと、整理、できない」
そう言って頭を抱えた私を、ふんわりと彼の腕が包み込んだ。あったかい。外で話してたせいで冷え切った体に熱がしみわたる。彼はゆったりとしゃべりだし、その振動が胸から直接に伝わってくる。
「俺は17歳のバレンタインに、24歳の素敵な女性に出会いました。最初は自分の後をくっついてくるちょっと怖い人いるなって思ったんだけどね。泣きそうな顔してたし、ものすごいキレイな人だったから、高校生の俺はつい公園のベンチに誘ってしまいました。下心、ありありで」
「ええっと……」
「素敵な女性は婚約者が自分のことを好きじゃないかもって悩んでて、いたいけな少年はすっかり絆され、隙あらば女性を抱きしめたいということばかり頭の中がぐるぐると回っていました」
「ええっと……」
「女性の話を聞くにつれ、婚約者のことを大好きだということが伝わってくるので、少年はだんだん腹が立ってきました。その男、どうしてこんなにキレイな人にこんなに好かれて婚約までしておきながら、大事にしないんだろうって」
「あの……」
「それから女性が落ち着いたので、少年は立ち去ることにしました。それ以上女性のそばに居たら、自分の妄想が爆発しそうだったからです。連絡先を聞きたいとさえ思いましたが、そんなことをしたらキモがられると思って何とか心に押し留めました」
「えっと……」
「去り際に女性がお礼だと言ってチョコレートをくれました。それが、これ」
トントン、と彼は箱を爪で叩いてみせる。
「あの……」
「わかったでしょ?」
「あの、でも、どうして……」
「ずっとずっと後になって気づいたんだけど、このチョコさ」
「うん」
「箱もリボンもカードも、どうしても捨てられなくて取っといたんだ。で、ある日箱を裏返してみたら、製造年月日が書いてあった。もらった年の10年も先でさ」
「ああ……」
「マジでビビった。それで悪いとは思ったけど、くっついてたカード見てみたんだ。そしたら、宛名が俺でさ。超混乱したわ」
「そっか。そうだった。カードがついたまま彼に渡しちゃって」
「彼じゃなくて、俺ね」
「ああ、たしかに……」
「で、頭ごちゃごちゃしたまま会社行ったらさ、新入社員のあいさつ回りで百合が来た」
「ああ、あのとき」
「そう、気付いたの、ちょうどあの日の朝だったんだよ。2年前の。17歳のバレンタインに一目ぼれした相手が新入社員で入って来たって、それだけでもすごくないか。その上、17歳で俺が一目ぼれした時よりもなんか若ぇんだよ。朝のチョコの箱といいカードといい、もう、本当に頭おかしくなったのかと思った。一目惚れの相手が恋しすぎてついに壊れたのかと」
「え、一目ぼれ?」
「まだ気づかないの? 百合が10年前に俺に言った『10年越しの片想いの相手』って、百合のことなんだよ」
「私にとっては10年前じゃないよ。さっき」
「ああ、ややこしいなぁ。だから、百合なんだって。俺の10年越しの片想いの相手は。17歳のバレンタインに突然現れて俺の心を持って行った、お姉さん。24歳の百合。それからずっと、名前も知らない年上の人に惚れちまったって思ってた。チョコの箱に気づくまで。チョコの箱に気づいて、カード見て、年下の篠原百合さんに出会って、大混乱の末に初めて何かぼんやりとわかったんだ。どうやら俺が17歳の時に出会ったのは24歳の百合で、百合は何かタイムマシン的なのを持ってるんだって。百合ん家、金持ちだからさぁ、そういうのも有り得るのかもって」
そっか。
彼は私の秘密に気づいていたのか。
「タイムマシンじゃないよ。一人で行けるの。タイムトリップ、できるの」
緊張しながら告げたけど、彼はあまり興味なさそうだった。
「何でもいいけど。信じてくれる? おれ、10年も後生大事にチョコの空箱、取っといたんだよ。百合にやっと会えて、やっと手に入れたんだよ。これまで何度も言ったけど、百合の親父さんのことは関係ないよ。17歳のときからずっと好きだったから、だからプロポーズしたんだ」
「……ずっと?」
「そう。17歳の俺が今の百合の魅力に抗えるわけないでしょ。あの短時間で、すっかり持っていかれたの。目は潤んでるし、なんかいい匂いするし、チョコくれるし」
そう言って彼が私の顔を覗きこむものだから、つい、涙があふれてしまった。
「泣き顔、10年前と変わんないな」
「だから、私にとってはさっきなんだってば」
「ややこしいな」
そう言って彼はもう一度私を抱きしめた。
ハッピーバレンタイン。
10年前の彼と、今の彼。
彼編のお話もあります。
よろしければそちらもぜひ。