季節外れの雪だるま
季節外れの大雪に、紅葉を始めた木々はさぞ驚いているのだろう。
肩に積り始めた雪を払いながら志木祐司は空を見上げた。いつだったか、雪の結晶はひとつとして同じものがないと聞かされてから、いつかそれを確かめてやると思い立っていたが、一面に降り注ぐ白い結晶を見てすぐに考えを改めたものだ。
こんな気温になるのなら、もう一枚着こんでくればよかった。吐きだす息は色づいて、透明な空気に溶け込んでいく。
「あ、雪だるま作ろうよ」
こんな気候にも関わらず、隣ではしゃぐ恋人に志木はほほ笑んだ。本当なら今日は134号線をドライブがてら、新江ノ島水族館にでも、と予定を立てていたはずだった。
「そんな日もあるけど、雪だよ、雪、綺麗だね」
そういって今日のデートを文字通り楽しんでいる恋人の元気の源は一体何なんだろうな、雪と聞いて志木がデートプランの変更のあとに考えていたのは明日の通勤事情だった。そんな思考回路に嫌気がさしつつ、恋人の肩にも積り始めた雪を優しく払う。
「雪だるまもいいけど、とりあえずどこかに入らないか?」
鼻頭を赤く染めた恋人は名残惜しそうに雪を見つめていたが、自分のくしゃみをきっかけに志木の提案に首肯した。もちろん、あとで雪だるまは作るらしいが。しかし、考えることは誰も一緒なのか街中で開かれているカフェというカフェはどこも満席だった。本日七件目のカフェに振られた志木は、隣で小刻みに震え始めた恋人の手を一層強く握った。
「なあ、レストランじゃダメなのか?待つのが嫌いなのは分かっているけど風邪引いちゃったら仕方ないしさ」
頑なにカフェだけを選び続ける恋人の意図を掴めずに、それでも体のあまり強くない彼女の体調を考えるとあまりこの気温の外を連れまわすわけにはいかない。
それでも志木の提案に恋人が「カフェがいい」とだけ呟く。
心なしか、先ほどまでの勢いはなくなっているようにも見えるが、恋人いわくそれは気のせいらしかった。
「ほらほら、歩くよ」
いつの間にか引かれていた手に、転びそうになった志木を笑う恋人は、ただの小学生にしか見えない。雪の絨毯に恋人の靴跡が消えずに浮かび上がる。
「寒くないのか」
当然の志木の質問に、数十分前のくしゃみを忘れたかのような表情で恋人は話す。
「ぜんぜん寒くないよ」
轍に沿って歩かない恋人の姿勢が崩れた直後、志木はその体を引き寄せていた。腰に回した手と、膝立ちの志木はまるで異国の王子様のそれのようだ。姿かたちは別として、だが。
「ほら見ろ、あんまりはしゃぎ過ぎると転んで怪我するぞ」
そんな志木の言葉にも恋人はまるで思考を読んだかのように、ほほ笑んだ。
「大丈夫だよ、もし私が転んでもこうやって祐司が隣で支えてくれるから」
なんという、思わず視線を外してしまった志木に恋人は続ける。
「本当は寒いよ、それにレストランだって構わない、でも私はこうやって雪のなか祐司と二人で歩いている時間が楽しくてしょうがないの、だから…」
その先は言われてしまったら、姿かたちが王子様でなくてもこの姿勢で硬直している自身の立場がない。恋人の手を引くように立ちあがらせた志木は数メートル先に看板を揺らすある店を目指した。ちょこちょことあとをついてくる恋人の疑問の声を背中で受ける。
「急にどこ行くの」
照れた志木をからかうような、そんな声に志木は振り返った。こんな日もあるさ、そう思えたのは初めてなのかもしれない。
「次のカフェを探すんだろ、でもその前にだ」
女性ものの上着が売っているかは分からない、それでもこんな雪の日に、外を散策するなら上着は必要だろう。
「あ、祐司が優しい」
志木の意図に気が付いたのか腕にしがみついてきた恋人の額を軽く小突く。
「ねえ、知ってる?」
店の前で空を見上げた恋人は、急に立ち止まる。
「雪って同じ結晶はひとつもないんだって」
なんというデジャブ、知っているよ、そう呟いた志木に恋人は続ける。
「世界中の雪を調べることなんてできないけど、私もそう思うんだ、だって」
そこで言葉を区切った恋人はふいに志木の頬に口づけをした。
「分からない事を嘘と疑うよりも、そう信じたほうが楽しいもんね、きっと」
そういう事か、昔世界中の雪を調べきれないと諦めた自分が心の端で苦笑いをする。
「ああ、それでも俺はお前とずっと一緒にいたい」
先の分からない未来、同じものがあるか分からない雪の結晶、しかしそのどれもが二人の間に降り積もればこんなにも美しい。その白銀のキャンバスに描くとしたら、どうせなら笑顔がいい。子供のような笑顔を浮かべた恋人は、ふっと視線を店に運ぶとそのなかに足を踏み入れた。店内からは来店を歓迎する初老の女性の声。なにやらその女性と話を始めた恋人の声に耳を傾けながら、志木は空を見上げた。そこには機嫌の悪い神様でもいるのだろうか、それとも人類に季節外れのプレゼントを思いついた粋な神様か。
しかしそれならば、後者のほうがいい、そうだろう、なぁ…最愛の人。
店の中で笑い声をあげる恋人に声にならない告白をした志木は、手袋も売っているといいなと考えながら、一掬いの雪を掴んだ。
それはキラキラと輝いて、掌からそっと、消えた。
お読みいただきありがとうございます。
「小さなカフェで」と同日に書き上げた短編です。
作者自身寒さは苦手ですが、そんな日だからこそ大切な誰かの優しさや愛情が暖かく感じるのでしょうか。
さて、明日は皆様にとってどんな日に?
たとえどんな日であったとしても、それはたった一つの物語。
と、僭越なことを…それではまた、失礼いたします。