第二十二章 説得
その日の夜、アントニウスはテオドロスを密かに呼び出した。喧嘩別れしたことになっているままなので執務室ではなく、官舎裏手の鍛錬場の端に、蝋燭も灯さずに二人で立つ。
「アンドリが龍乃国へ行くことになった。第一小隊長に適当な人間を据える」
そこまでは当然だった。
「お前は近衛兵団長付副官へ復帰だ」
アントニウスはアンドリが戻ってくるかは、五分だと思っている。
テオドロスは目を伏せた。
アントニウスは早口に言葉を継ぐ。
今回、あいつは十分役に立った。龍たちの興味を引き、龍乃国との国交樹立の足掛かりとなった。龍乃国に残るなら、それはそれで良い。アンドリが向こうで影響力を持てるようであれば今後の助けになるだろう。
戻ってくるなら有益なものを持ち帰ってくるかもしれない。どちらに転んでもアンドリはイミリーシャに大きな利益をもたらす。
だが、テオドロスは知っていた。詭弁を弄する時、言い訳をする時、何かをごまかそうとする時、アントニウスの言葉は早口になる。
「暖かい南国で同族に囲まれ、差別を受けずに暮らしていけるなら、それがあの方にとって一番幸福でしょうね」
アントニウスは視線を逸らした。
「そうだろうな......」
テオドロスは、優し気に笑った。
「苦労なく暮らしていける道を、お示しになりたかったのではありませんか」
「……」
アントニウスは答えなかった。否定もしなかった。
テオドロスは微笑んだまま、息を継ぎ直す。
「チェイレイ隊長は戻って来てくださると思います」
アントニウスは眉を上げた。
「そう思うか」
「はい」
自信に満ちた笑顔だった。
「隊員達との関係も変わり始めています」
テオドロスはアンドリの下についてしばらく経った。幼いと、危険な怪物だと思っていた隊長はめざましい成長を遂げている。
「先の戦いで隊員に飛んできた矢を隊長が背中で受け止めてから、隊員たちの隊長を見る目変わってきたのを感じているところです 」
隊員たちとの交流に苦戦しているが、隊員達の側にはいい雰囲気が出来上がりつつあるのだ。 きっともう少しで、隊を率いる隊長としての素地が出来上がるはずである。
アントニウスは後半部分は、あまり聞いていない様子で固まった。
「ちょっと待て。背で矢を受け止めた? 鎧を着けていたんだろうな」
「着けていましたよ。革の胸当てを」
それは下働きの小者が身につける、戦場で無防備でないというだけの最低限の装備だ。
テオドロスは肩をすくめ頷いて続ける。
「胸当ては風穴が開きましたけどね」
アントニウスは開いた口が塞がらなかった。
「あいつ、いつもそんな無茶をしているのか。お前は何をやっている?」
「なんですか。隊長に働かせて、 私が遊んでいるとでも?」
テオドロスは腰に手を当て、胸を張る。
「口を酸っぱくして、自らを危険に晒す真似はお止めくださいと、申し上げていますとも」
本当に、何度苦言を呈したか分からない。
だがあの隊長は聞かないのだ。自分の鱗は矢も槍も剣も通らないからと。
俺を傷つけることはできないと。
アントニウスは絶句した。
傷つけられない? そんなはずはない。あいつはいつも、傷つけられてきたはずだ。
心ない言葉に。
蔑みの眼差しに。
死んでもおかしくない差別的な扱いに。
そして、自分も、彼をそう扱う一人なのだ。
だがテオドロスは首を振る。
「どれほど時間がかかるかは分かりませんが、あの方は、お戻りになると思います」
その眼は、アントニウスがずっと頼みにしてきた光を湛えていた。
「隊員達と、あなた様の元に」
土砂に流された自分を、最初に見つけてくれた、あの眼だ。
「アントニウス様。あの方の第一小隊を私が預かっていてはいけませんでしょうか」
アントニウスは何も言わなかった。長い沈黙の後、重い息を吐く。
「お前を第一小隊副官につけたのはアンドリの補佐のためだ。あいつがいないなら、お前を小隊に置いておく理由もない」
「いいえ、アントニウス様。ございます」
テオドロスは引かなかった。今ここで別の隊長を据えてしまえば、積み上げてきたものが消える。隊員達との関係も。信頼も。
居場所も。
「お願いでございます」
テオドロスは膝をつき、深く頭を下げた。
「チェイレイ隊長がお戻りになるまで、私を第一小隊に」
アントニウスは苦々しく諦めたように笑った。
「お前は誰の副官なんだ、テオドロス」
テオドロスも笑って即答する。
「もちろんあなた様です。そしてあなた様の命でチェイレイ隊長の副官を務めております」
顔を上げる。これがアンドリとアントニウスに最も資する道だと。
アントニウスは大聖堂へ視線を向け、降参するように両手を上げた。




