第十二章 焚火
激流のような土砂に揉まれながら流される。
岩がぶつかる。木がぶつかる。
アントニウスは必死に目を開いていた。
怪物の姿を見失わないために。
やがて。土砂の流れが弱まる。谷底まで流されてきてしまったのか。
全身を押し潰す泥の重みに耐えながらアントニウスは必死にもがき、何とか土砂の中から這い出した。
全身が痛い。切り傷だらけだった。口の中も切れている。血の味がする。唇の端から流れた血を吐き捨てる。
「アンドリ! どこだ!」
必死に周囲を見渡す。少し離れた場所に横たわる巨大な影を見つけた。
土砂を掻き分けながら駆け寄ると、怪物の大きな顔が泥に埋まっていた。
アントニウスは必死に泥を掻いた。
呼吸路だけでも確保せねば。
その時だった。巨体が見る間に縮み泥だらけの五歳児に戻ったのだった。
「アンドリ!」
アントニウスは慌てて身体を引きずり出した。
脈を探り呼吸を確かめる。
生きている。だが弱い。
谷底にいては危険だった。次の土砂崩れが来れば終わりだ。
アントニウスはアンドリを背負った。疲労した身体には、その小さな体はあまりに重かった。
それでも必死に山肌を登る。
やがて岩場の陰を見つけた。雨風を多少は防げる。土砂崩れも届きにくい、ように思われる。もはやこれは希望的感想だ。
アントニウスはアンドリを寝かせると、かじかむ手で濡れた服を脱いだ。身体を密着させ体温を保たせてやろうと試みたのだが。
「何だこの身体は」
アンドリの身体は、死体のように冷たかった。
もしや、死んでしまったのだろうか。慌てて呼吸と脈をもう一度確かめる。
怪物と化したアンドリの姿が、昔読んだ図鑑にあった生物を思い出させた。蛇。蜥蜴。
「こいつは……まさか、爬虫類なのか」
図鑑で南方に住む鰐という生き物について学んだ際、見てみたいと言った自分に家庭教師は鰐は暖かいところでなければ生きられない、イミリーシャは寒すぎると言ったのを思い出す。
暖めてやらねば。
だが自分も凍えている。このままでは共倒れだった。
轟音が響いた。空を裂く雷。閃光が谷を白く照らす。目の眩むような明るさに包まれたその一瞬、視界の端に映った物に気づく。
「あれだ!」
アンドリを外套に包む。そして腰に下げていた練習用の小剣を抜き、雷光の中に見えた倒木に近寄った。
雨に濡れた表皮を削る。
思った通りだった。内部は乾いている。慎重に削る。自分の身体で雨を防ぎながら。
乾いた木片を集め、岩陰へ戻ると腰の衣嚢を探った。
綿のハンカチだ。奇跡的に乾いていた。
次に周囲を探す。長いこと歩き回って、やがて岩肌に黄鉄鉱の露頭を見つけた。
試しに小剣を打ち付ける。
火花が散った。
「......いける」
手が震え、指がかじかむ。岩から伝わる衝撃を受け続けるアントニウスの手は、アンドリを殴った時よりも赤く腫れあがっていた。
そしてついに。
ハンカチが赤く燻った。
「よし……!」
息を吹きかけ、慎重に木片へ移す。やがて小さな炎が生まれたのだった。
倒木と黄鉄鉱の露頭、そして岩場を何度も往復し火を育てる。
そうしてようやく、暖を取れるほどの焚火が完成した。
煙が空へ昇る。これなら見つけてもらえる。
テオドロスに。
アントニウスはようやく腰を下ろした。




