第九章 暗雲
そして季節が少しずつ移ろっていく。
その夏の終わりは、数日降り続いていた雨が勢いを増し、やがて豪雨となった。
山岳国家イミリーシャ国内で、深刻な土砂災害が各地に発生する。
街道が崩れ、橋が流され、物流が分断し町や村々が孤立する。
国内各地に駐屯する全ての騎士団が総動員された。
ニケフォロイ騎士団も例外ではない。
騎士、見習い、下働きに至るまで一人残らず全員が駆り出されたのだった。
住民の救助。土嚢積み。瓦礫の撤去。街道の復旧。橋の再建。
やるべきことは山ほどあった。
アントニウスもテオドロスと共に泥まみれになって働いた。
降り続く雨に打たれながら、けが人を運び、土嚢を運び、土砂を運び、木材を運んだ。
その中で特に目を引く働きをしたのが、まだ五歳の幼児、アンドリだった。
成人の騎士二人がかりで運ぶ丸太を一人で持ち上げ、泥に埋まった荷馬車を一息で押し出し、担架に乗せた負傷者を何往復も運んで息を切らさない。
「何なんだあいつは」
思わず騎士の一人が呟いた。
アントニウスも同意見だった。異常である。人間ではあり得ないが、アンドリの活躍でニケフォロイ騎士団の救助活動は目覚ましい捗りを見せるのだった。
しかし被害はあまりにも広範囲だった。騎士団は優先順位の高い地域から順に復旧作業を進めていくが当然、後回しにされる地域も出る。
不満は蓄積していった。食料や薬が不足し、土砂崩れを生き延びた者が、力尽きていくのだった。
ほどなく各地で略奪や窃盗が発生し始め、地域の治安が極めて悪化した。
やがて王都から新たな任務がニケフォロイ騎士団に届く。
治安維持部隊の派遣である。
団長ヨアニスは地図を広げた。非常に厳しい状況だ。当該地域は一箇所ではなく、広範囲にわたっている。とてもではないが手が足りない。
「団を分け、復旧作業継続と、治安維持部隊派遣を並行して行う」
騎士たちが頷く。アントニウスも会議に参加し話を聞いていた。どちらに割り当てられても任務を全うして見せると意欲満々であったが、ヨアニスとテオドロスが揃ってアントニウスを見下ろしたのであった。
嫌な予感がすると、考える間もなく予感は当たる。
「王都へお戻り頂きます」
アントニウスは瞬きをした。
「……何だと?」
テオドロスが続ける。
「王宮からの帰還命令です。さすがにこれ以上、殿下をこの地へ置いておくわけには参りません」
「ふざけるな!」
アントニウスは机を叩いた。
「私も働いている! 人手が足りないはずだろう!」
「承知しております。ですが国王陛下のご命令です」
アントニウスは激昂して立ち上がる。
「私は王太子なのだぞ! 王太子ならば民と苦難を分かち合うべきだ!」
テオドロスは容赦しなかった。ヨアニスと周囲の騎士達は、はらはらしながら王太子とその侍従のやり取りを見守っている。
「それは将来国王になられた時のお話です」
アントニウスは唇を噛む。最終的に帰還命令は覆らなかった。
足手まといなのだと、言葉にされなくとも理解できた。
(母上が処刑された日もこうだった)
あの日も。
アントニウスはあの日も、何もできなかった。誰も耳を貸さなかった。そして今も。
(私は未だに無力な子供か......)




