第六章 アンドリ・チェイレイ
その日の訓練はようやく終わった。騎士たちは汗を流し、武具を片付け、夕食までの束の間の自由時間を思い思いに過ごしている。
アントニウスも宿舎へ戻ろうとしていた。
ふと足を止める。
官舎の裏手で下働きたちが列を作っていた。
給金の支給日のようだった。
上官が手元の一覧を見ながら、一人ずつ名前を呼んでは小袋を放る。
「次!名前!」
小袋が宙を舞う。
「はい!」
名乗って受け取った少年が頭を下げる。
「次!名前!」
また一人。そしてまた一人。
列が短くなっていく。
やがて最後尾にいた煤竹色の鱗を持つ子供の番になった。
上官は意地の悪い笑みを浮かべる。
「次! 名前!」
子供は背筋を伸ばした。
「ございません」
周囲から失笑が漏れる。
上官は肩を震わせた。
「名無しに払う給金はないぞ」
笑い声が広がる。子供は何も言わなかった。ただ頭を下げて立っている。
その姿を見て、アントニウスは列へ歩み寄った。
「どけ」
王太子が来た。周囲に緊張が走る。
下働きの小者たちは慌てて道を開けた。
上官も立ち上がる。
「で、殿下」
アントニウスは誰のことも注意を払わず、子供の前に立つ。
そして。
乾いた音が響いた。子供の顔が横へ流れる。
周囲が静まり返った。
アントニウスは冷たく言い放つ。
「貴様、身分を偽ったな」
子供は頬を押さえたまま瞬きを繰り返した。
「なにが名はございませんだ。貴様の嘘はこの私が見破ったぞ」
アントニウスは鼻を鳴らす。
そして、はっきりと告げた。
「アンドリ・チェイレイ」
子供が固まる。完全に棒立ちだった。
「栄えあるニケフォロイ騎士団を謀りおって。貴様の名は白日の下に晒された」
アントニウスは子供を見下ろした。そして声を張る。
「二度と名無しなどと偽りを述べることは許さん!」
上官から葦ペンを奪い取ると一覧へ、迷いなく名前を書き加えた。
「分かったら返事をしろ! アンドリ・チェイレイ!」
アントニウスは一覧を叩く。
子供は呆然としたまま口を開いた。
「……はい」
その場にいた誰もが何が起きたのか理解できなかった。
アントニウスだけが満足そうに頷いた。
ぽかんとした一同を残し踵を返すと、何事もなかったように立ち去った。




