第五章 出生記録
翌日アントニウスは騎士団長ヨアニス•フォカスの元を訪れると、適当な言い訳をし強引に休暇をもぎ取ったのだった。
ヨアニスは露骨に嫌な顔をしたが、王太子権限を持ち出されると拒否できなかった。
アントニウスは王宮へ戻ると、父王への挨拶もそこそこに書庫へ直行した。テオドロスも、当然一緒である。
アントニウスはひもで巻かれた羊皮紙の束を、片っ端から棚から引っ張り出してはほどいた。
王家の年代記。系譜。
国民の出生記録。戸籍簿。
何日も調べ、ひとつの結論に達した。
「……無い」
アントニウスは吐き捨てた。
「王妃アイリーナは病死」
そこまでは書かれている。
しかし第二子出産の記録が無い。存在そのものが消されている。
記録上、あの怪物は生まれなかったのだ。
「我が父ながら思慮が足らん」
苛立ちが滲む。
「自分に都合が悪いからと記録を消すとは。公文書偽造と同様の重罪だぞ」
テオドロスは肩を竦めた。
「珍しいことではありませんよ殿下。必要のない事実、というのも、世の中にはあるのです」
アントニウスは鼻で笑った。
「ならばこんな法律、有って無きが如しだな。覚えておくとしよう」
机へ向かうと真新しい羊皮紙を広げた。葦ペンをテオドロスに押し付ける。
「書け」
「……何を」
「出生記録だ」
そしてテオドロスは諦めたようにペンを走らせた。
五年前の日付。母親は王妃アイリーナ。
「名前は」
アントニウスはしばらく黙った。
母の声を思い出す。
たった一度聞いた名前は。アンドロニコス。
そしてここに記すべき名は。
「アンドリ、だ」
テオドロスの眉がわずかに動いたが、何も言わずに黙って書き込んだ。
テオドロスはふと、ペンを止めた。
「父の欄は空白ですか」
アントニウスは肩を竦める。
「不明だからな」
「まあ、そうなりますか」
テオドロスも特に反論しなかった。
実際、誰にも分からないのだ。
王妃アイリーナが第二子を身籠った理由も。
その子供の父親が何者なのかも。
沈黙が落ちる。
アントニウスは完成した出生記録を受け取って確認しながら眉をひそめた。
「しかし気色が悪い」
テオドロスが顔を上げた。
「何がです?」
「あの鱗だ。尾もだ」
嫌悪を隠そうともしない。
「いったいどんな相手が父親なら、あんな赤子が生まれる?」
テオドロスは少し考え込んだ。やがて意を決したように口を開く。
「殿下。暴虐龍伝説はご存知ですか」
「子供向けのお伽噺だろう」
百年前、大陸を焼き尽くそうとした恐るべき災厄、暴虐龍。
大陸に暮らす種族の子供なら誰もが知っている有名な話だった。テオドロスは慎重に言葉を探し、続けた。
「話はそうですが、龍そのものは実在します」
アントニウスの眉が動いた。
「何?」
「大陸の南の果てには、全身を鱗に覆われ尾を持つ種族が暮らす国があるそうです」
アントニウスは思わず目を見開いた。
「その国の民は全員、龍の姿へ変身すると聞きます」
「……つまり、母上は龍に誑かされたのか?」
「そうとは申しておりません」
テオドロスは即座に否定した。
「ただ、あの子供の身体的特徴は話に聞く龍の特徴と一致します」
アントニウスは腕を組んだ。頭の中で整理しようとするが、どうにも現実味がない。
だが少なくとも一つだけ確かなことがある。
「その龍どもを叩きのめして聞き出せばよいな」
テオドロスがゆっくりと首を振る。
「殿下。龍に勝てる軍勢は、この大陸に存在しません」
アントニウスは即座に反論した。
「我が勇敢なるイミリーシャ軍が負けるとでもいうのか」
アントニウスがむっとする。しかしテオドロスは真顔のまま続けた。
「一国総力どころか、大陸中の国家が連合しても無理でしょう」
「馬鹿な」
「特に龍皇は別格です」
聞き慣れない称号だった。
「龍皇?」
「龍乃国を治める皇帝です。齢三百に達し、雷雲と嵐を従える大陸最強の存在だと聞き及びます」
「……」
「そんな龍皇が率いる龍乃国に匹敵する戦力は、この世に存在しません」
書庫が静まり返る。
アントニウスはしばらく何も言わなかった。
正直なところ実感が湧かない。
嵐を従える皇帝。龍に変身する民。
どれも荒唐無稽なお伽噺にしか聞こえない。
だがテオドロスは冗談を言う男でもない。だからこそ妙に気味が悪い。
結局、答えは出なかった。
テオドロスはふと空気を変え、書類に目を戻した。
「公文書として成立させるには、国王陛下のご署名が必要です」
「貸せ」
アントニウスはペンを受け取った。僅かの揺らぎもなく国王アレクシオスの署名が、驚くほど自然に再現された。
テオドロスは驚きと同時に、深くため息を吐く。
「私は今、国家反逆罪に加担している気がします」
「気のせいだ。不必要な真実があるなら、必要な虚偽もあるというだけだ」
そしてアントニウスは羊皮紙を指で弾いた。
「人目につかぬ場所で放置しろ。ほどよく劣化したら、巻いてまたこの棚に紛れ込ませておけ」
テオドロスは額を押さえた。
十四歳の少年が浮かべるにはあまりにも狡猾な笑みだった。
テオドロスは完成した出生記録を慎重に巻いて懐へ滑り込ませた。
二人は書庫を後にし、ただの休日が終わっただけのような体で騎士団に帰営するのだった。




