『全てはひとつ(ワンネス)』とレシートには書いていなかった。
放置自転車の神様
よく全てはひとつ(ワンネス)とか、宇宙は一体であるとか人類皆兄弟と言うけど、ぶっちゃけオイラ頭では理解できてても、体感的には全く意味不明なんよー。ただなんとなく、ワタシ=アナタではないよーな気がするんよー。
例えばワタシ=アナタだとしたら、世界中の赤の他人が使い回した歯ブラシを『全てはひとつだから』とか言われて手渡されても、ワシは全力で逃げるよー。嫌いな奴が食い散らかした便槽に落ちたハンバーガーをサドゥーから『ワンネスやろ!喰え!』言われても『ふぁっ!?』やし、ワンネスの最先端におる先住民たちも、他人の領域には敏感なきがするんよー。
なんとなく感じるにワンネスって、ワタシ=アナタ(全部がドロドロに溶け混ざり合ったスープみたいな同じ味の世界)じゃなくて、ワタシはワタシだしアナタはアナタで、それぞれがそれぞれ@人生抗えない己の業を生きながら、ネアリカ的に語ると赤は赤で生き、黄色は黄色で生き、青は青でいき、緑は緑でいきて、それぞれオーケストラみたいに引き立て合うみたいな(個=全?)。
現代人はあまりにも細分化されてて、他人様をたった一つの側面でしか判断出来ないことも問題なんかなーと感じるよー。思想が右だ左だとスーパーの半額シールならまだしも『右』『左』で人間まで見切っちゃうなんて、たったシール一枚でその人の人生そのもの全てをシャットダウンしてしまうのは違うきがするんよー。一緒にお酒飲んだり踊ったりしたり、残り99パーセントの違う側面de滅茶苦茶気が合ってサイコーにグルーヴするかもしらんのにー。
東京DE放置された自転車をずーっと眺めとって『なんて美しいんやろー。ヤツは生命を宿しとるなー』と感じた理由に、廃棄物と化した自転車ひとつにも、どっか誰かが生きた人生の痕跡を感じられた(と書いたら高尚やが、いま見えてる世界の向こう側からナニか訴えかけてくるような感覚? 物体のむこうの奥行きみたいなもの?)感じることたまーにあるんよー。
むかし@誰も見向きもしない床に落ちてるゴミと化したレシートを手にした時、印字された文字@発泡酒やストロングゼロなんかの酒類で埋め尽くされてて、『なんだー、タダのアル中か〜』なんて決して思わないよね。この方は女性なんかな男性なんかなー毎晩プシュッと孤独にお酒流し込んでるんやろなー大丈夫かなー仕事のストレスかなーって色々感じるよね。そしてそのゴミと化したレシート紙ひとつに救われてる自分もいたりするよ。寂しいのは自分だけじゃないんだなーと。抱き合うわけでも歯ブラシを共有するわけでもないのに、こんな時かなー世界は繋がってるなー感じるときは。知らんけどw




