第一話 悪役令嬢、目覚める(2)
たくさんの記憶が流れ込み、私は激しい頭痛に襲われて意識を手放した。
無数の記憶が私の前を通り過ぎてゆき、私の意識がどんどんと小さくなってゆく気がした。
私はイルターかな・・・・・・それとも、私は誰?
この気分を例えるなら、強引に椅子に縛り付けられ、見たくもない映画を強制的に見せられているような感覚である。どれほどの時間が過ぎたかもわからない。少なくとも数十年に及ぶ長い夢が流れ、意識がゆっくりと浮上してきた。
長い映画のエンドロールが流れ、印象的なシーンがフラッシュバックしてくる感覚へと移ってゆく。アイス、チョコ、ケーキを食べたい。寿司、ラーメン、スパゲッティ、カレーも美味しそうだ。
美味しい味覚は伝わってくるのに、満腹感が満たされる所か、空腹が増してゆく。
あぁ、食べたい。食べたい。食べたい。今すぐに食べたい。
“ご主人、いい加減に起きろ”
<誰>
“もう頭痛は治まっただろう。そろそろ目を覚ませ”
<待って、まだ美味しそうなものがたくさんあるのよ>
“もう三日三晩も眠っているんだ。そろそろ起きないと母親が倒れるぞ”
<お母さん? そうだ。お父さん、トラウトは大丈夫だったの?>
“親父は背中を打ったがもう回復している。トラウトは血を流し過ぎた。だが、体は魔法で全快したから問題ない。エンニーは気を失っただけだった。母親が三日も寝ずに看病しているから、そろそろ倒れるぞ”
<お母さんが倒れるって大変じゃない……って言うか、私、三日も寝ていたの?>
“きっちり三日三晩だ。魔物に襲われた日から四日も経っている”
<お母さんが倒れるって何?>
“心労、ストレス、寝不足だ。ご主人が起きて回復魔法を掛ければ一発で治る”
<よかった……って、貴方は誰?>
“俺様はメニューを管理する上級精霊様だ”
私は“メニュー”という単語を思い出した。
悪役令嬢が“スキル”や“魔法”を使用するときに開いていたのが『メニュー』と呼ばれる表示ゲージだ。
よく見ると、私は真っ暗な空間にポツンとおり、目の前に声の主が白い光を放っていた。
<メニューに喋る機能はなかったと思うけど?>
“ご主人様がゲームをクリアーしたときに、女神様に「今の仕様じゃ、誰も真トゥルーエンドに辿りつかないわ」と言っただろう”
<言った。言った。だって、ゲーム世界でライバルを思いやるなんてあり得ないわ。ゲームの中は現実を忘れて、欲求を満たす場所よ。わざわざライバルを助けるなんてあり得ない。悪役令嬢は味方が全部ラスボス側だったから、聖女マリア側の勢力を使わないとゲームクリアーできないという特殊状況だったからなのよ。あれぇ、わたし、知らないことをしゃべっている>
前世、悪役令嬢、私が混ざって気持ち悪い。
なんて言うのかな。テレビで『私は○○キュア』を見終わった子供が、料理で使うオタマをステッキ代わりに持って立ち上がり、変身の台詞を唱えてなりきってしまう。
そんな恥ずかしい感じだ。
“まだ、ちょっと記憶が混乱しているみたいだな。前世の記憶や悪役令嬢の記憶は、ただの記憶に過ぎない。ご主人様は、ご主人様。イルター・ノーヴ・レプスで間違いない”
<本当に?>
“面倒なご主人様だな。大体、一歳頃から眠りながら魔力巡回で魔力量を増やしていたのはご主人様だろう”
<えっ、そうなの>
“無意識は怖いね。悪役令嬢が魔力を増やす為に習得した習慣だ。今のご主人様ならわかるだろう”
<わかりたくないけど、わかる>
“それに、ご主人様の突飛な発想は前世の記憶から引き出している。散々利用しておいて、今更それをいうか”
<わたし・・・・・・天才じゃなかったの?>
“違う。しかも成長が早かったのは『女神の寵愛』を受けた効果だ。それがなければ、イルター・ノーヴ・レプスは普通の子だった”
<がぁ~ん、ショック>
“イルターに自意識が生まれ始めると、前世と悪役令嬢の記憶が表面に出なくなった。だが、前世・悪役令嬢・ご主人様、全部が同じご主人様だ。今更、気持ち悪いとか言うな”
<そっか、私は私なのね・・・・・・で、貴方は?>
“ご主人様のアドバイスで女神様が追加したガイドシステムだ。真トゥルーエンドへ導く機能だ。ゲームをクリアーしてしまったご主人様に必要ない機能だが、俺様がメニュー機能を改変して、メニューを開かずに魔法を使えるようにしてやったから無駄ではなかったな”
<そっか、あの声は貴方だったのね>
“親父らが助かってよかっただろう”
<ありがとう。助かった。でも、そのあとが酷い。頭が割れるように痛かったのよ>
“仕方ないだろう。十年以上掛けて統合する記憶を一瞬で受け入れた。脳の処理が追い付かなくて脳がオーバーヒートして高熱に襲われた。だが、俺様の所為じゃない”
<貴方の所為でしょう?>
“ご主人がメニューを開放すれば、“並行思考”と“光速演算”のスキルが発動する。知恵熱を出して倒れる必要はなかったな”
<嘘ぉ、それも教えてくれればよかったのに>
“教えたさ。でも、聞こえなかった。そもそも先に意識を手放した阿呆なご主人様が悪い。まったく阿呆だ。話は最後まで聞くもんだ”
<阿呆、阿呆って、何度も言わないでよ。で、どうすれば、メニューは開くの>
“俺様に名前を付けると『解放』される。かっこいい名前を付けてくれ”
<名前か、何にしようかな>
“阿呆なご主人を助ける上級精霊様だ。俺様を尊敬し、感謝する名前を付けろ”
<どうして? 主人に向かって阿呆、阿呆とポンポンいうから・・・・・・あっ、『ポン太』なんてどうかしら>
“ダサい。一度決めると変更できないんだぞ。この馬鹿が”
<ポン太って、前世の私が幼い頃に抱いて寝ていた熊のぬいぐるみと同じ名前なのよ。可愛いじゃない>
“止めろ。考えるな馬鹿ご主人”
<馬鹿って言った。もう貴方は『ポン太』に決定ね>
そう思った瞬間、頭上から『メニューの名前はポン太に決定しました』というアナウンスが流れた。
“うぎゃぁぁぁぁ、どうしてくれる。ポン太はないだろう”
<あれぇ、姿も白い玉から熊のぬいぐるみに見えてきた>
“最悪だ。ぬいぐるみはないだろう。妖精やフェルリンみたいなかっこいい姿にもなれたのに”
<可愛いよ、ポン太>
“止めろ。俺様の威厳が・・・・・・・・・・・・”
ポン太がぶつぶつ呟き出すと、ボコボコっと私の意識が急浮上する感じを覚えた。
耳元から「イルター、起きろ」、「姉上」、「さっさと起きなさい」、「起きて下さい」という声が何度も何度も響いてくる。
その声に導かれ、私は光の見える方へ浮かび上がっていった。
瞼を開くと、そこに姉と弟がいた。
「ねぇねぇ、ロルヤー」
私がそう言うと、二人がのし掛かるように体を倒してきた。
嬉しいのはわかるけど、二人だと重いよ。
「イルター、私がわかる?」
「うん、口うるさいねぇねぇだ」
「うるさくて悪かったわね。この生意気イルターめ」
「姉上、姉上、大丈夫ですか」
「ロルヤー、心配かけたね。もう大丈夫よ」
「よかった」
「わたし、お母さんを呼んでくる」
そう言って、姉が部屋から出ていった。
私は弟の髪を撫でた。
すぐに父と母、それから執事のクィリッィエが飛び込んできた。
甘々な父は心配そうに私の顔を覗き込んだ。母は父にもたれかかっていた。その顔色は青白く、血の気が引いており、今にも倒れそうだった。クィリッィエは私の顔を覗き込んだ。
「もう大丈夫そうですね。早速ですが、いくつか確認させてください」
「クィリッィエ、イルターがやっと起きたばかりだ。急ぐのはわかるが質問は後にしろ」
「旦那様。私はイルターお嬢様が魔法でいくつか確認させていただかなければなりません」
「その話は後だ」
「駄目です。イルターお嬢様が強力な魔法も使えるならば、我々だけで森の調査を行えます。しかし、使用できないならば辺境伯に報告を入れて、冒険者に森の調査を依頼する必要があると何度も説明しました。すでに事件から三日も待っております。これ以上は待てません」
「クィリッィエ」
父がクィリッィエに怒気を発するが、クィリッィエは澄ました顔で私を見つめた。
クィリッィエの歳は母より二つ上の三十五歳。でも、妖精種の血筋が混ざっており、若々しく二十代に見え、すらっとした美形顔で緑がかった銀髪がよく似合う。
にっこり笑うと女性にモテそうだが、クィリッィエは仕事熱心な上に真面目な性格だ。しかも見た目は凄く冷徹だ。だけど、私が頼んだことを嫌がることもなく、大抵はやってくれる。駄目なことは、駄目とはっきり言ってくれる。そういえば、私はクィリッィエが笑った顔を見たことがない。
もしかすると、このレプス領で一番偉いかもしれない。
なぜなら、父は平民上がりで算学ができず、経営を一手に引き受けており、クィリッィエがいないと村人全員が餓死してしまうかもしれないと母が言っていた。
父も頭が上がらない。
「イルターお嬢様。魔法が使えたと報告を聞きました。今も使えますか」
「うん。お母さん、こっちに来て」
「何、イルター」
「こっち、私の手を取って」
そっと差し出してきた母の手をベッドから出した手で握り、私は『ハイ・ヒール』〔強回復〕、『リフレッシュ』〔気力回復〕と二重に唱えた。
わずかに母の体が光り、青白かった母の顔に赤みが戻り、母が「体も軽くなった」と告げた。
クィリッィエの目が獲物を見定めたように突き刺さる。
「聞いたことのない言葉ですね。どこの言葉でしょうか」
「知らない」
「どうして魔法が使えるようになったのでしょうか」
「それも知らない」
前世の私が女神様から“特殊な力”を貰いましたなんて言える訳もない。
魔法が使える以外は、すべて「知らない」と答えた。
クィリッィエは何度も頷きながら、わずかにくすっと笑ったように見えた。
「なるほど。『洗礼』を受け、“神の加護”を貰った者がその日から魔法が使える現象に似ています。イルターお嬢様の魔法もそれに近いものでしょう」
「そうなの?」
「私も魔法に詳しくありません。そんな些細なことはどうでもよいのです。イルターお嬢様、私と取引をいたしませんか」
「クィリッィエ、イルターは目を覚ましたばかりだ。今、聞く話ではないだろう」
「旦那様は黙って下さい。辺境伯に報告するかしないかを判断しなければなりません。報告するならば、一刻の猶予もありません」
「私に取引って、何?」
「イルターお嬢様は巨大な熊の“ナウムウルシ”という魔獣を単独で倒しました。あの魔物は危険ランクⅤです。我がレプス騎士団が太刀打ちできない魔物です。本来は領都の騎士団か、Ⅴ級冒険者パーティーでしか倒せません。レプス騎士団が北の森に入るときはⅤ級冒険者パーティーを雇って森を調査いたします」
「そうなの」
「ですが、イルターお嬢様の協力があれば、単独で森の調査が行えます」
「イルターを騎士団に入れるとは言っていない」
「旦那様は黙って下さい。私はイルターお嬢様の意思を確かめております」
「イルターは子供だ」
「イルターお嬢様が強力な魔法を使えると辺境伯に報告すれば、イルターお嬢様は辺境伯に取られると申し上げました。それで宜しいのでしょうか」
「イルターはまだ子供だ。辺境伯様であっても誰にもやらん」
「子供かどうかは関係ありません。ナウムウルシの出現が『魔物氾濫』の兆候かを調査できるか否かを確認する必要がございます。イルターお嬢様、北の森の調査を手伝って頂けますか」
クィリッィエは父を無視して私に問い掛けてきた。
ポン太が急に脳内で話し掛けてきた。
はっとして、私はポン太を見た。ポン太が私の頭の辺りで浮いていたのだ。
“全部、ご主人様の責任だな”
<ポン太、こんな場所に出たら駄目>
“安心しろ。誰にも見えない。見えるのは同じ精霊とご主人様だけだ”
<そうなの?>
“むしろ、気を付けるのはご主人様だ。脳内でしゃべていると言っても、誰もいない方向をじっと見ていると変に思われるぞ”
<ぐぅ、わかった。でも、私の所為って、何>
“少し考えてみろ。魔力を垂れ流した状態で、結界の外に出ればどうなるか。ここは魔の森って呼ばれる魔物が近くにいる所だぞ”
あっ、わかった。
ナウムウルシの出現は『魔物氾濫』と関係ない。
悪役令嬢には魔力視という技能があり、父、母、クィリッィエ、姉、弟の魔力量が少ないことを教えてくれる。対して、私の魔力量が大きいのも自覚できる。
魔物は魔力を欲する。でも、山菜摘みに行った日、私は垂れ流される魔力を止めるなんてしていなかった。
魔物が出るダンジョンでは、気配と一緒に魔力も内側へ封じ込める。
餌を見つけた魔物が寄ってくるからだ。
私はかなりご馳走な部類だろう。
こりゃ、責任を取って調査に同行するしかない。
「森の調査に協力します」
「イルター、考え直せ。森は危険だ。子供のイルターが入る場所じゃない」
「お父さん、大丈夫だよ。お父さんが守ってくれるよな」
「当たり前だ。父さんが守る。絶対にイルターを守る。何があっても守ってみせる」
「クィリッィエ、お父さんもいいって」
「待て、森に連れてゆくとは言ってない」
「守ってくれないの」
「守る」
「だって」
「流石です。イルターお嬢様」
なし崩しにお父さんは私が森へ同行することを認めてしまった。




