プロローグ
舞踏会、それは少女の憧れる華やかな世界であった。
金銀を散りばめたダンスホールに、煌びやかなシャンデリアがホールを照らし、磨かれた大理石の上で、美しい音楽に合わせ、着飾った令嬢が男性にリードされ蝶のように舞う。
少女達は誰もがシンデレラのような魅惑の時間を過ごしている。
私、イルター・ノーヴ・エスタテ〔レプス〕はホールの片隅で立ち尽くし、踊っているペアを眺めながら、扇で口元を隠してわずかに唇を噛みしめ、ミシリと扇を握りしめる手に力が入った。
裏切られた。婚約者である第一王子は何故ここに居ないのぉ。
溢れる感情を露わに出すのは貴族らしくない。平気な振りをして平静を装っているが、できるならば、今すぐに二階の来賓室の扉を蹴飛ばし、部屋で寛いでいるであろう王子の頬を殴り付けたい。
駄目よ、明日には王宮で毒を飲まされて引退するのですもの。
王子とはもうお別れ、自作自演だけど療養と称して自領に引き籠もってやる。
ここは我慢よ。
そう考えながら怒りのボルテージが上がっていったが……私の後ろにいた従姉妹のアリイア・ノーヴ・エスタテ(ノタノ)が私以上に激高していたから急速に冷静になれた。
「お姉様、もうダンスが始まってしまいました」
「そのようね」
「舞踏会の第一曲目は婚約者、あるいは、その候補と一緒に踊るのが習わしです。第一王子はお姉様に恥をかかせたいのでしょうか」
「体調を崩されたのかもしれないわ」
「お姉様は優し過ぎます。会場へのエスコートをイハワイ侯爵令嬢のリリアナ様に譲るなんて信じられません」
「王子のたっての頼みだったの。私が王太子妃になった後は絶対にできないでしょう。最後にリリアナ様をエスコートして入場されたいとおっしゃったわ」
「確かに、確かにそうですが・・・・・・でも、第一王子はお姉様を蔑ろにし過ぎです」
「リリアナ様は幼少の頃に王子から『騎士の誓い』を立てられました。後から割り込んだのは私でしょう。側室妃に内定されている方とは仲良くありたいという私の打算もあるのよ」
「お、お姉様」
騎士の誓い、一生を掛けて貴方を守るというプロポーズの言葉だ。
幼い頃、王子とリリアナは同じ幼稚舎に通い、その遠足で魔物に襲われ、王子はリリアナを守った。怯えて泣くリリアナに王子は『騎士の誓い』を立てて慰めた。王都に住む貴族子女なら誰もが知るラブロマンスである。しかし、高貴な貴族は本人の意思で婚約を決められる訳もなく、例に漏れず、貴族学院に入学した私が第一候補となり、そのまま婚約者となってしまった。
愛する二人を引き裂く悪役令嬢だった。
この婚約してからの一年、王子はずっと私をエスコートしてくれた。でも、その態度は横柄であり、従姉妹のアリイアが王子をよく思わないのも仕方ない。
私はいつもの台詞を吐いた。
「アリイア、一曲目に踊れなくとも気に掛ける必要はないわ。コソコソと陰口を叩けても、面と向かって非難できる方はいらっしゃらない。わたくしは恥などかいておりません」
「そ、その通りです。お姉様を非難できる方などおりません」
「でしょう」
「ふふふ、今も瞼を閉じれば浮かんできます。にっこりと笑って手を差し出すお姉様を見て、恐怖に顔を引きつらせて、醜態を晒して“殺さないで”と逃げてゆく彼女達の姿が忘れられません」
「それは忘れなさい」
「無理です。数体の魔獣を一瞬で業火に焼いて消し炭に変えたお姉様の勇姿、あの勇姿に心を躍らせない者などおりません。お姉様に恐怖するのは敵対している者だけです」
「わたくし、非難されたくらいで報復など致しませんわ」
「お姉様は素晴らしいです」
あの夏の合宿、目を輝かせてアリイアは私の冷徹な演出を褒めてくれるが、私はただ助けたかっただけだった。
王都周辺では絶対に出てくることのない魔獣が現れてパニックとなった。護衛の騎士でも手に負えず、私は仕方なく参戦して襲われていた令嬢達を助けたのに・・・・・・手を差し伸べると、恐怖に顔を引き攣らせて、令嬢達の優雅さも忘れて逃げてしまわれた。
以後、教師も生徒も、私を腫れ物のように扱っている。私のおでこに『取扱注意』のレッテルを貼られた気分だった。
その一方で、アリイアのように熱烈な支持者からは女神か天使かのように崇められた。
私は『天使』と『悪魔』の称号を得たようだ。
敵サイドから見ると悪役令嬢だ。
「あぁ、春が待ち遠しいわ。お姉様、ウェディングドレスには袖を通されたのですか」
「どうかしら」
「私にも秘密なんて狡いです」
「養父様のご命令なのよ」
「それは残念です。その日のお楽しみってことですね」
ごめんなさい。私はウェディングドレスなんて用意していないのぉ。
何故ならば、明日の王宮で開かれる舞踏会で私は毒を盛られて倒れ、故郷の辺境伯邸で療養するも回復せずに王太子妃を辞退することが決定している。
私が王太子妃を辞退する代わりに、義理兄上が宰相に就任するのを認めさせる密約が、国王、王弟、養父の間で交わされた。
私はやり過ぎたのよ。
ラトリア王家の分家でありながら王家を乗っ取ろうとするラティラ公爵家、王家に降伏して臣下となったのに王家復活を望むワハス公爵家、両家は犬猿の仲で有名だった。
どんな嫌がらせにも毅然として思惑を覆す知謀、陰謀の罠を事前に察知する対応力、魔物という暴力をぶつけても業火で葬る膨大な魔力を見せ付けた。
私が王妃になるとラティラ公爵家の工作を砕き、ワハス公爵家の陰謀を破却して王家を復活させるに違いないと恐怖させ、両家が一時的に密約を結ぶほどの影響力を持ってしまった。私が王妃になると内戦が確定し、多くの血が流れると王弟を説得した。
愛されない王妃なんてなりたくない。どうでもいい内戦でリソースを割かれるなんて面倒くさい。そもそも私はさり気なく候補を辞退しようとしていたのに、他の候補者が自爆して消えていった。
私が謀略を巡らせた訳じゃないよ。しかし、両公爵陣営は私のエスタテ辺境伯陣営の工作と思っており、しかも辺境伯領の経済力と食料生産が倍増してエスタテ辺境伯の影響力が増している。五年後、十年後、エスタテ辺境伯と両公爵家の関係がひっくり返るという恐怖が両家の密約へと至った。つまり、私が皇太子妃になった時点で内戦へと突入が決定する。
その前提を覆す為に、私は明日の舞踏会で毒を飲んで倒れるから、ここで王子に予想外のことをされると困るのよ。
舞踏会の一曲目が終わり・・・・・・二曲目がはじまらない。
まさか?
・
・
・
私は階段の先へ視線を上げた。
中央の賓客室の扉が開き、オリバー王子が姿を現した。
最悪だ。
このまま体調不良で欠席してくれた方がよかった。そんな体調不良など感じさせない優雅な足取りが、王子の私への拒絶を物語っていた。美しい金髪が王冠のように輝き、これまで見たことのない最高の笑顔で階段を降りてくる。その容姿と立ち姿は最高の逸材であり、その笑顔は会場の令嬢らを魅了する。
ご機嫌な王子は久しぶりである。
その王子の後ろにリリアナ令嬢が見えた。彼女は階段の上で心配そうに王子の後ろ姿を見ており、その表情から私の不安が高まった。
王子の足が止まって階段からゆっくり私の方に指を差すと、王子は勝利宣言のように言い放った。
「オリバー・エーウ・ラトリアは、イルター・ノーヴ・エスタテとの婚約を解消すると宣言する」
えっ、今!? 明日の予定が狂うじゃない。
今日じゃないよ。王家主催の舞踏会じゃないと駄目、両公爵家に疑惑の目が掛かることが重要なのよ。王族が、王子が先頭を切って否定したら台無しじゃない。
どうしよう。
こんなテンプレは要らない。
もう呪いじゃない。
あぁ~~~~、私の人生ってなんだったのかな?
私は溜息を吐きながら天井を見上げた。そこに燦々と輝くシャンデリアがきらめき、そのきらめきが目に突き刺さるように眩しい。その中に幼い私の前世の記憶が蘇り、無邪気に喜んで力に溺れていた日々が浮かんだような気がした。
どこでボタンを掛け違えたのかしら?




