私は何もかもがめんどくさい
子供の頃から何もかもめんどくさかった。
起きるのもめんどくさい。
歩くのもめんどくさい。
食べるのもめんどくさい。
別に誰のせいってわけじゃない。私のせい。
物心ついた時にはすでに、あらゆることが面倒な女の子になっていた。
これほどめんどくさがりな私が、よりによって伯爵家の令嬢として生を受けたのは不幸としか言いようがなかった。
ドレスを着飾る? 夜会に出向く? ダンスに興じる?
わざわざドレスなんて着なくてもいいじゃない。
夜会なんてみんなで集まって何が楽しいの。
ダンスなんて疲れるだけ。
――本気でこんなことを思っていた。
私からすれば貴族のライフワークには無駄が多すぎて、とことん性に合っていない。
幼い頃、伝説の隠者の話を本で読んだことがある。
山でずっと寝ていて、食べ物といえば山に漂う精気を吸えば十分。そんな生活を数十年続け、最終的には自らの意志で天に旅立った、そんな内容だった気がする。
まさに理想像。こんな風に生きたい。私も隠者になりたい。と子供心に憧れたものだ。
とはいえ、私とてこんな本心を露骨に表に出すほど素直でも愚かでもない。
めんどくさいけど我慢して学校には通ったし、社交界デビューも果たしたし、今もちゃんと夜会には出席してる。
少なくとも貴族令嬢としてやらなければならないことは最低限やってきたという自負はある。
まあ、侍女にドレスを着せてもらう時には――
「お嬢様、今夜のドレスはどうしましょう?」
「あなたに任せるわ」
「ええっと、お嬢様に着てみたいドレスはないのですか?」
「ないわね。強いて言えば、簡単に着たり脱いだりできるドレスがいいわ」
――こんな具合だ。
侍女も私の扱いにはさぞ困っていたでしょうね。
これは夜会に出ても同じことが言える。ある令息から話しかけられる。
「クレーニア・ゾイファさんですね?」
「ええ、そうですけど」
こんな私だけど、声をかけられることは多い。
私のこのめんどくさがりな雰囲気に、何かポジティブなものを感じ取って、話しかけてくるんでしょうね。
でも、中身は本当にめんどくさがりなだけだから――
「では、失礼」
「ええ、ありがとうございました」
会話はろくに弾まず、すぐに終わる。
こんな調子で果たして結婚できるのかしら。
将来について考えてみる。けど、将来について考えるのもやっぱりめんどくさかった。
***
ある夜、私はいつものように夜会に出ていた。
着ている青色のドレスはもちろん侍女任せ。自身の長いストレートの黒髪をそっと撫でる。
長くなってきたわね。そろそろ切らないと。
でも、頼むのも面倒だし、もう少し伸びてからでもいいか。
こんなことを考えながら、私はワイングラスに入った赤色の雫をたしなむ。
「こんばんはー!」
大きな声で男の人が近づいてきた。
私はぎょっとする。
「初めまして! リュッセン・ブライトと申します! どうぞよろしく!」
襟足は少し長めで、左右に跳ねた金髪、よく澄んだ青い瞳を持つ青年だった。爽やかな風貌で、スーツもよく似合っている。
ブライト家といえば、侯爵家だったかな。かなりの大物だ。私にとってはあまり意味ないけど。
「クレーニア・ゾイファです」
「クレーニアさんね、バッチリ覚えました!」
この妙なノリに、私はたじろぐ。
なんなのこの人。貴族らしくない。悪い意味で。
こんなにグイグイ来るタイプは初めてだ。
「いやー、夜会ってのはいつ来ても楽しいよねえ!」
「……そうですね」
「あれ? あまり楽しくない?」
「まあ、あんまり」
「なるほどなるほどー!」
普通の人なら、このあたりで私に見切りをつける。この女と話しても時間を浪費するだけだと。
だけど、この人はさらに踏み込んできた。
「もしかして、君ってめんどくさがりなタイプ?」
「……ええ、まあ」
「当たった! やったー!」
子供のように喜んでいる。全く反応が読めない。
それに自覚してるとはいえ、なんだか腹が立ってきた。
私もつい言い返したくなる。
「あなたはあなたで、かなりめんどくさい人ですね」
……言ってしまった。
口にした瞬間、後悔した。相手は私より家格が上。この人がもし私を無礼だと罵れば、家族にまで迷惑をかけてしまう。
私もそれぐらいの責任感はあるし、なにより面倒なことになってしまう。
だけど、そうはならなかった。
「そう! その通り! 社交界一めんどくさい令息とは、この僕リュッセン・ブライトのことさ!」
「……はぁ」
「こんな性格だから、なかなか会話に付き合ってくれる女性もいなくって!」
「でしょうね……」
家柄は申し分ないけど、こんなめんどくさい人、大抵の女性はお断りだろう。
「めんどくさがり令嬢とめんどくさい令息、仲良くできそうだね!」
「できないと思います」
私はリュッセン様とこんな具合に会話を交わす。
あまり噛み合ってはいなかったけど、小一時間ぐらいは話したと思う。
あれほどめんどくさがりな私が、こんなことは初めてだった。
「よかったらまた会おう!」
「……ええ」
目を付けられてしまった。めんどくさいなと思ったけど、心のどこかで「また会いたい」と思ったのも事実だった。
***
毎回ではないけれど、私たちはよく夜会で会うようになった。
「どうも! クレーニアさん!」
「……どうも」
「今日も楽しくお喋りしよう」
「あまり楽しくないですけどね」
「こりゃ参った! 楽しくできるよう頑張るよ!」
リアクションがいちいちめんどくさい。
めんどくさいのに、このめんどくさい人を心から嫌いになれない自分がいる。
上手く言えないけど、ずっとベッドで寝ている私にみんなが呆れる中、一人だけしつこく叩き起こそうとしてくれる人がいるという感じ。
うっとうしい反面、構ってもらえて嬉しいような、そんな心持ちになっていた。
不意に、こんなことを言われる。
「君はいつも落ち着いた色合いのドレスを着ているね」
「侍女任せですから。きっと私の雰囲気に合わせてくれてるのでしょう」
「たまには真っ赤なドレスでも着てみたら? 似合うと思うよ」
「私みたいな地味な女では、ドレスの派手さに負けてしまうだけですよ」
だけど――私の中で挑戦してみたいという気持ちが芽生えた。
次の夜会の時、私は侍女にこう言ってみた。
「今日はね、赤いドレスを着てみたいのだけど。それも真っ赤なのを」
「……!」
侍女は目を丸くしていた。
「お嬢様が……ドレスのご希望を!?」
「そんなに驚かなくても……」
「実は私も、お嬢様には赤いドレスが似合うなって思っていたんですよ! だけど嫌がられるかな、と思ってつい……」
確かに私だったら、侍女が赤いドレスを着せようとしたら「派手すぎよ」と断っていたかもしれない。この子にも苦労をかけてしまっている。
さっそく着付けを行う。
「うん、ピッタリ! よくお似合いですよ!」
「ありがとう」
朗らかに笑う侍女に、私も微笑みを返す。
真紅のドレスを身にまとい、私は夜会に出席する。
すると、みんなが注目した。声を上げている人もいる。もっとも、よく似合っているからというより、私にしては珍しいファッションだからだろうけど。
まもなくリュッセン様と出くわす。
「あれ!? クレーニアさん、今日は赤いドレスを!?」
「……ええ」
「素晴らしい! とても似合ってるよ!」
「……どうも」
こう言われるとやはり悪い気はしない。
極度のめんどくさがりだと思っていた私も一人の女なのだなと実感する。
「ひょっとして、僕の意見を取り入れてくれた!?」
当然こう言われる。素直に肯定したくはないけど、嘘をつくのもよくないと思った。
「ええ、まあ」
「ありがとう! 嬉しいよ! 君は女神様だ!」
予想と違う反応が来て、私も戸惑う。
もし「どうやら君も僕を意識しているようだね」のような反応だったら、私も悔しいというかそれに近い気持ちになっていただろう。赤いドレスを着たことを後悔したかもしれない。
なんだか、すごく楽……。
リュッセン様はこんなにめんどくさい人なのに、一緒にいると楽に感じてしまう。
静かな海の上。私は小さな船の上でぼんやりしている。ずっとそうしていたいのに、リュッセン様という波が現れる。
私は波に運ばれ、あちこちに流されるけど、決して苦にはならない。むしろ、ほんの少しだけ楽しい。
そんな気持ちになっていた。
***
また夜会で会った時、私は思い切って自分の本性を打ち明けてみた。
私は極度のめんどくさがりで、幼い頃から貴族のしきたりを理解できなくて、山で隠遁生活したいと願うような人間だと。
すると、リュッセン様はこう言った。
「だったらさ、二人で山に行かない?」
「は?」
あまりに予想外すぎて、こんな声を出してしまう。
「伝説の隠者の生活がどんなものか、体験してみようよ! で、もしやれそうだったら二人で隠者になろう!」
「本気で言ってるんですか?」
「もちろん!」
リュッセン様はこういう人だ。グイグイ来るし、思い立ったら即決行する。まさに大波。
だけど、この波に身を委ねるのは悪くないと考える自分もいた。
私が登山に行くと言うと、両親は驚いていた。
「お前が登山に……!? どういう風の吹き回しだ!?」
「大雪が降るんじゃないかしら……」
登山なんていうめんどくささの極みのようなレジャーに出かける私を信じられなかったのだろう。
その後に「くれぐれも気を付けて」と言ってくれた両親に、私は「普通そっちを先に言うでしょ」と苦笑した。
そして、私とリュッセン様は登山用の服装で、山登りを始めた。
さすがに標高は低く、道が舗装された山を選んだのだけど、それでも私にとっては大変だった。
「ゆっくり一歩ずつね」
「はい……!」
リュッセン様はこんな私をしっかりエスコートしてくれる。
「座るのにちょうどいい石があるから、少し休もうか」
「いえ、歩きましょう」
めんどくさがりのはずなのに、こんな意地を張ってしまう。
リュッセン様も笑みを見せる。
「分かった。もう少し歩こうか」
「はい!」
なんで私はこんなに頑張っているんだろう。自分でも分からなかった。
山道は困難だらけ。険しい箇所はあるし、蛇は出てくるし、ぬかるみだってある。それでも「こんなことしなきゃよかった」とは思わなかった。
程なくして、私たちは無事頂上にたどり着いた。
「やったね!」
「……はい」
景色は美しかった。地上に広がる街並みや街道を見渡せる。
登山の玄人からすると初心者用ともされる山だけど、こんな達成感を覚えたのは生まれて初めてかもしれない。
二人でサンドイッチを食べながら、私はささやく。
「どうやら私は隠者にはなれませんね」
「どうして?」
「山登りがこんなに大変だとは思いませんでしたから」
私の言葉にリュッセン様は笑った。
「でもよく登り切ったよ」
「どうも」
リュッセン様は向き直る。
「今日ではっきり分かった。君は自分をめんどくさがりだと言ってるけど、決してそれだけの女性ではないよ」
私はきょとんとする。
「どうしてです?」
「君が貴族のしきたりを面倒に感じるのは、確固たる自分を持っていることの裏返しだと思う。私は余計なことをせず生きていきたい人間なのに、どうしてこんなことをしなくちゃいけないんだろう……ってね。大半の人間は流されて、何の疑問も持たず受け入れてしまうから」
「そうでしょうか……」
「そうだよ。もしかしたら僕も、君が内に秘めたそんなところに心惹かれて、声をかけたのかもしれない」
私は胸の奥深くがうずくのを感じた。
「それに本当に君がめんどくさがりなだけの人間だったら、僕なんかにこうまで付き合ってくれないって!」
リュッセン様はいつもの調子でジョークを飛ばす。
だけど私は、真剣にリュッセン様を見つめ返した。
どうしても言いたいことができてしまったから。
「私も……リュッセン様がめんどくさいだけの令息だとは思いません」
「クレーニアさん……?」
「私みたいなめんどくさがりにも寄り添ってくれる……とても優しい人です。あなたに出会えてよかった……」
咄嗟に出た、心からの本音だった。
その途端、私たちの距離が急速に縮んでいくのを感じた。
胸のうずきが、“うずき以上”のものに変わる。
「……クレーニアさん」
「……リュッセン様」
私の目がリュッセン様を見る。リュッセン様の目が私を見ている。
遮るものは何もない。この胸の奥から生じる衝動を抑える必要はない。
私たちは唇を重ね合わせた。
***
それからいくらかの時間が経ち、私たちはある公園で待ち合わせをした。
リュッセン様からの用件は――
「君に婚約を申し込みたい」
「……!」
頬がにわかに熱を帯びる。
心の準備はしていたけど、いざ言葉にされると、こういう時の準備はどんなにしても足りないものだなと思い知らされる。
そして、きっとリュッセン様も同じだっただろう。
「僕はこんなめんどくさい男だけど、こんな僕でよかったら、どうか一緒になって欲しい」
私はうなずく。
「私もこんなめんどくさがりな女ですけど、こんな私でよかったら、どうかご一緒させて下さい」
これからやるべきことは沢山ある。
婚約式や結婚式を挙げなきゃいけないし、夫人になれば社交にももっと力を入れなければいけないし、よその家に嫁ぐのなら新たなしきたりを学ぶ必要もある。
考えれば考えるほど、めんどくさいことだらけだ。
だけど、それでも私は伝説の隠者のようにはなれそうにない。なりたくもない。
だってもう、リュッセン様のいない人生なんて考えられないから――
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




