Reunion ➀
ピキッピキと、吊り下がった鉄骨が風に揺れ、鈍い音を立てていた。湿った空気に混じるのは、鉄と油、それに焼け焦げた匂い。
足元で瓦礫を踏むたび、じゃり、と音が響き、廃駅の静けさを一層際立たせる。
「来たか」
待ち受けていたのは、セカンドアース軍の小隊だった。迷彩服は煤に汚れ、兵士たちの顔には疲弊と恐怖の色が濃い。
「何があった?」
ウィルが問うと、上官らしき男が険しい顔でうなずいた。
「……奴らは靄のように形を変えている」
兵士の声はかすれていた。
「仲間の一人が触れた瞬間、溶けるみたいに……消えた」
「……消えた?」
ユトスは思わず聞き返す。
「お前たち、感染者なら何かわかるんじゃないのか?」
その一言に、空気が凍った。
「……何だと?」
ユトスの目が鋭く光る。
「アンダーネストの人間は、ヴァジュタスに浸食されて生きている。いつ暴走するか……」
兵士は銃を握り直し、わずかに距離を取る。
「どういう意味だ?」
軍の指揮官と睨み合うユトスをウィルは静止する。
「やめろ……」
ユトスは目を伏せ、悔しげに拳を握る。
「我々は退避路を確保する。お前たちはホームを調べていろ」
そう言い残し、小隊は通路の奥へと消えていった。
『警告。通信障害率、上昇中。……先遣小隊の信号、断続的に消失』
耳にE.Aの声が響く。
「ったく……嫌な予感しかしねぇ」
ユトスは腰のヴェールアゼルに触れた。重い金属の帯が、心臓の鼓動と同じリズムで脈打っている気がした。
◆
セカンドアース軍と分かれ、ユトスたちは別ルートで廃駅の奥へと進んでいた。
瓦礫に囲まれた狭い通路。休息が必要と判断し、わずかな開けた空間で足を止める。
鉄骨の滴る水音が響く中、アルディが口を開いた。
「合同作戦なのになんですか? さっきの軍人。なんか……嫌な感じでしたね」
「感染者か……」
マリナが険しい顔で応じる。
「まるで、私たちがヴァジュタスの仲間みたいに」
「……」
ユトスは答えず、壁に背を預けたまま視線を落とした。しばらくして、重い声で言葉をこぼす。
「奴らから見れば、俺たちは、半分向こう側の人間なんだろう」
「ユトス……」
アルディが不安げに彼を見た。
「けどさ!」
マリナが一歩踏み出し、声を強める。
「私たちがここまで戦ってきたのは何のため? 人を守るためでしょ? それなのに……あんな目で見られるなんて、理不尽だよ」
「理屈じゃねえんだ」
ユトスの拳が、無意識に震えていた。
「誰かが仲間を喰われた。その恐怖が、俺たちに向くんだよ」
沈黙が落ちる。滴る水音だけが響いた。
「気にするな」
静かに声を発したのはウィルだった。
「恐怖は視界を曇らせる。だが、俺たちが任務を果たし続ければ、曇りは晴れる。……それだけの話だ」
「簡単なことじゃないよ」
マリナが小さく笑みを歪める。
「でも、私は諦めない。私たちは怪物なんかじゃないって、証明してやる」
「うん……そうですよ!」
アルディも小さくうなずいた。
「僕も……証明したいです」
ユトスは黙ったまま、腰のヴェールアゼルに触れた。
冷たいはずの金属が、妙に熱を帯びている気がした。
その鼓動が、彼自身の心臓と同じリズムで脈打っていた。
◆
――数時間後。
一行がホームにたどり着いた時、そこに兵士たちの姿はなかった。
散らばる弾薬。壁に残された銃痕。黒く焼け焦げた装甲片。
徽章は、ついさきほどまで言葉を交わしたセカンドアース軍のものだった。
「そんな……さっきまで確かに……」
アルディが青ざめた顔で呟く。
『補足。識別コード:第七先遣小隊。現在、隊員バイタル反応は――ゼロ』
「ゼ、ゼロ……? 全滅……だと?」
ユトスの声が震える。
マリナは壁をなぞり、険しい表情をした。
「腐食反応……錬成痕ね。ここでイノベルムを使った痕跡がある」
ウィルは短く命じる。
「俺とユトスが前に出る。マリナは後方支援。アルディは観測を継続」
「りょ、了解!」
アルディは探知機を抱え、懸命に頷いた。
――がしゃり。
闇の奥で、転がった小銃が踏み砕かれる音が響く。
「っ……聞こえたか?」
「やばいですやばいです! 見たことない熱反応!」
「落ち着け、アルディ!」
瓦礫を裂いて三体の小型ヴァジュタスが飛び出した。
黒い靄を纏い、節足が床を抉る。
『警告。ヴァジュタス分体、数――三』
「散開!」
ウィルの号令で、一斉に動いた。
ユトスは剣を抜き、正面から斬り込む。
「来い!」
刃が影を裂く――が、手応えはなく、刀身は瞬時に黒く錆びていく。
「……数が多すぎる!」
マリナが光弾を放つが、靄に触れた途端に掻き消えた。
「群生種か……!」
「わ、わああっ!」
アルディが飛び退く。小型の一体が探知機を叩き落とした。
「追加警告――大型反応、急速接近』
通路の奥から、六脚の巨影が姿を現す。
崩れた仮面のような頭部。空気そのものを腐食させる靄。
「ヴァジュタス本体……!」
マリナが顔色を変えた。
「下がれ!」
ウィルが前に飛び出す。
銀の指輪が輝きを放つ。そして、ヴェールアゼルが音を立てて展開する。厚みある銀の装甲板が盾となり、振り下ろされた脚を受け止める。
轟音が廃駅を揺るがし、火花が散った。
「これが……ウィルさんのイノベルム!」
ユトスは息を呑む。
ウィルを中心に幾重もの術式陣が浮かび上がり、闇を切り裂いていた。
――その時、闇の奥から嘲る声が響いた。
「ふぅん。そんなもので感心するんだねぇ……君が」
低く、楽しげに。
その声は、確かにこちらを知っている響きを持っていた。
次の瞬間、廃駅の空気がざわめいた。
腐食の靄が震え、ヴァジュタスすら動きを止める。
「人間じゃ、ない……?」
マリナが小さくつぶやく。目の前の人物に違和感に気付く。影がないのだ。
「誰だ?」
ユトスの問いに答えない。ただ、嗤うように囁いた。
「――やっと、会えたね」
ぞわりと背筋を凍らせる気配が広がった。
『イノベルム』
待機状態では、指先に嵌められた細身のリングにすぎない。淡く金属光沢を帯びるその指輪は、まるでただの装飾品のように見える。しかし、錬金術式が発動した瞬間、リングが震え、エイジスコアの閃光とともに空間を裂く。分解・再構築を繰り返す金属片が宙を舞い、瞬く間展開される。
『ヴェールアゼル』
イノベルムの生成や武器錬成に不可欠な元素資源を、圧縮・安定化して保持する特殊な鞘状構造体である。その形状や材質は使用者ごとに異なり、金属の帯、剣型の鞘、腕輪状のものなど多岐にわたるが、共通して「物質の再構成を担う触媒域」として機能する。
元素とは、火・水・風・土・光・闇など、自然界の根源情報を錬金術式により抽出・加工したものであり、それ自体が極めて不安定かつ危険なエネルギー体である。ヴェールアゼルはそれを「封じ、眠らせ、再び呼び起こす」ための鍵であり、使用者の術式との親和性を反映して形と重みを変化させる。これを「分解と再構築の法則」と呼ぶ。
ときにそれは武器の鞘として存在し、錬成前の素材そのものを孕んだ空間断層となり、戦闘中の再錬成による連続攻撃や、元素の過剰展開=オーバードライブを可能とする。
そのため、ヴェールアゼルの質は、錬金術師の力量や精神状態を映す鏡ともされる。兵装と精神構造が直結するこの世界では、信頼できるヴェールアゼルを持つ者こそ、一流の術士と呼ばれる。