Regiofol ③
どこからか焦げた臭いがする。タバコと違って嫌な感じはしない。懐かしくて、落ち着く。
心地良さに身を任せていると、こくこくと自分の頭が動いていることに気づく。ハッとするもまたこくこく。このまどろみには逆らうことはできない。心の中で、ちょっとだけと呟き、顎が胸にぴたっと止まる。
バシン!――
と、後頭部に衝撃が走った。ポン、ポン、とノートを手に叩いているマリナの姿があった。
「なに寝てんの? 眠たいなら、この問題でも解いてみる?」
彼女が口元に笑みを浮かべながら、丸めたノートを差し出してきた。
「……遠慮しておきます」
「たるんでる」
「これは居眠りというルーチンワーク。人類の英知だよ」
「寝言は寝て言って」
「じゃ、おやすみ」
再びポンと後頭を叩かれ、ジト目を向けられた。
彼女は小さくため息をつくと、立ち上がり、机脇に寄せてあった椅子を引き、スッと腰を下ろした。 今度はそのまま目の前のテーブルに白紙を広げ、ペン先を走らせる。
「今何時?」
彼女は時計を見ずに、線を描いていく。
「三時」
「おやつは?」
「自分で用意して」
うーんと、背を伸ばしながら立ち上がった。戸棚へと向かうと、ナプキンの下に小皿が見えた。手作りらしきクッキー。いいのあるじゃん。ひとつまみ。
うん美味しい。ほのかにくるみの香ばしさがって、珈琲と合いそうだ。お? 色違いがある。
もう一個……。
「あ、それ。一個試しに作ったのがあってさ」
勢いよくかじった瞬間、鼻の奥にツンとした刺激が走った。
「ゲホッ! なんだこれ、ワサビか!?」
彼女は意外そうに小首をかしげる。
「ワサビクッキー、美味しいでしょ?」
「ゲホッ……おまえ、何を考えてんだよ」
「うちの地下水、綺麗だからワサビ育ててみたの。温度も一定にできるし、意外と合うかなって思って――やるしかないでしょ?」
満足げにノートをポンポンと叩き、マリナは淡々と次の線を引いた。
この子おかしいね。料理できるからか、試作品もたくさんつくる。これまでに何度犠牲になったことか。
「あ、二人ともずるいなぁ。僕にお遣い頼んでいる間に小休憩なんて」
「アルディ、おかえりー」
「ロゴシア北区の資料もってきましたよ」
「北区の異変について、セカンドアースからも救援要請がくるなんてね」
「ただのオカルトじゃないのか……」
「先輩は信じてくれませんでしたけどね」
ルイスには、その手の話には興味ないだろう。ただの遊び人だ。
「明後日、要請に従い、調査にいくよ」
マリナの声に引き締められ、アルディは書類を丁寧に広げる。
「こちらが目撃情報があった場所です。被害も出始めています」
地図に赤いペンで丸が描かれていた。珈琲を少しずつすする。
「ユトスはどう思う?」
「発生間隔はおよそ一週間。しかも、どこも同じ時間帯だ」
マリナが腕組みして首をかしげる。
「単独か……」
ユトスは赤い丸を指でなぞりながら頷いた。
「複数なら、時間も場所もズレが出るはずだ。居合わせたのはいつも一人だけ」
アルディがテーブル脇で腕組みし、資料のページをめくる。
「ここには廃地下鉄もあるそうですよ。そこに潜伏してる可能性もあります」
「構造は?」
「かなり複雑です」
彼は地図を広げ、廃地下鉄の路線図を指し示した。
「一本の本線が東西に走り、途中で南北に伸びる支線が二本。駅舎は三つ、うち二つは完全に封鎖されているらしい。メンテナンス用の小部屋や通風ダクトもあちこちに残っている」
アルディが身を乗り出し、資料の写真を拡大する。
「ここの換気扇がまだ動くなら、ルートのひとつとして使えそうです。水没区間はないけど、湿度が高くて滑りやすいって」
マリナが指で支線をなぞる。
「封鎖された駅舎の扉は強固だけど、地下水路ほどではないね。侵入口は三カ所、うち二カ所は点検用のハッチ。残る一カ所はホームの端──元々、トンネル貫通用に掘られた緊急避難経路よ」
俺はコーヒーを置き、ペンを手に取った。
「じゃあこの緊急避難経路が怪しい。ハッチをこじ開けられる奴なら、ここからでも簡単に侵入できるはずだ」
俺は頷き、赤ペンで緊急避難経路を丸で囲む。
「よし。ここに振動センサーと赤外線カメラを仕掛けよう。アルディは探知機でハッチのネジ山を調べてくれ。マリナは構内図をもとに、支線マップを再確認して」
すると、アルディがリュックから小型探知機を取り出し、準備を始める。
「アルディはお留守番」
マリナは最短ルートが書かれた地図を折りたたんでバッグにしまう。
「フフフ。マリナさん。これを見てください」
得意げに腕を突き出すと、琥珀に輝くエンブレムがあった。
「この前、ウィルさんから合格もらいました」
「おー」
俺は感心していると、アルディは胸を張ったまま続ける。
「これで、エーテルも合わせて、万全ですね」
「そうだな……新人は荷物持ちな。サポーターからスタートだ」
「任せください」
「頼りにしてるぞ?」
「ハイ!」
「めんどくさいことばっかり押し付けて」
俺は期待に目を輝かせるアルディに、差し出してみた。
「お祝いにこれ食え」
俺たちはクッキーを頬張り――すぐに顔色を変えた。
「う、うえっ……な、何すかこれ!?」
アルディは口を抑えながら尋ねると、マリナがにやりと笑う。
「バナナとからしを混ぜてみたの。色も味もクセあるでしょ?」
思わず吹き出し、むせ返りながらも、次の作戦に向けて気合いを新たにしたのだった。