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前世からの願いと恋

 図書室から逃げるように出たアメリアは、無意識のうちに屋上へ向かっていた。


 階段を上って最後の扉を押し開けると、風がふわりと頬を撫でる。


 ここは、前世の記憶を取り戻す前から、アメリアが静かに息をつける場所だった。

 眼下には夕日に照らされたシュタイン王国の街並みが広がり、屋根のひとつひとつが金色に輝いている。


 けれど今日は、その美しい景色を見ても心は揺れたままだった。


『君が俺の側から離れていくのは……正直、嫌なんだ』


 先ほどのマクスウェルの言葉が、耳に張り付いて離れない。


 低くて甘い、どこか切なげな声色。

 熱を帯びた瞳。

 伸ばせば触れられる距離で、彼は確かに“アメリアというひとりの少女”を見つめていた。


 思い出すだけで、心臓が強く脈打つ。


 (……私、彼に惹かれてる)


 その事実が、胸の奥にストンと落ちた。

 否定できなかった。むしろ、認めた瞬間に今までの自分の心の揺れが全て説明できる気がした。

た。


 ——きっかけは、おそらくあの日。


 忘れ物をして教室に戻った時、一人ポツンと佇むマクスウェルの横顔を見たときだ。

 いつもは堂々としている彼が、誰も見ていないと思っている瞬間だけ、まるで迷子の子どものように寂しげな表情をしていた。


 それを見た瞬間、胸がぎゅうっと締めつけられた。

 「助けて」と言えずに生きてきた、エイベルを見てきたからこそ、彼にも同じような経験があるのだと分かった。


それからというもの、マクスウェルを目で追ってしまうことが増えた。彼がふいに見せる静かな孤独が、気づけば心に刺さっていた。


 王太子としての完璧な振る舞い。その奥に隠れた、全てを諦めているかのような暗い目。

 それは、前世でずっと推してきたエイベルとはまた別の、放っておけない脆さだった。


 けれど——。


「ダメだよ、そんなの……」


 風にかき消されそうな声で、アメリアはつぶやいた。


 私はこの世界で、エイベルを幸せにするために生きている。

 前世からの強い願い——誰よりも美しく、誰よりも孤独な悪役令嬢エイベルに幸せになってほしいという願いに、嘘はない。


 きっと、そう強く願っていたからこそ、私はアメリアに転生できたのだから。


 だから、マクスウェルを好きになるなんて、許されるはずがない。

 前世からの”エイベルを幸せにする”という誓いを果たすには、邪魔でしかない想い。


 (どうして……こんなに、苦しいの?)


 胸に刺さる痛みは、罪悪感だけではなかった。

 あの時近くで感じたマクスウェルの温度、視線の強さ、息遣い——そのすべてが、まるで彼も自分を求めているかのように思わせてしまう。


 そして、それを嬉しいと感じてしまった自分がいる。

 その喜びこそが、何よりも恐ろしかった。


「主人公だからって、ずるいよ……」


 エイベルは、もうただの小説の中の推しではない。

 この世界で出会った大切な友人だ。


 彼女の幸福を願って転生したはずなのに、気づけば自分の方が恋に揺れている。


 アメリアは柵にもたれ、深く息を吐いた。

 夕日は少しずつ沈み、代わりに白い月がうっすら顔を出している。


 (それに……この感情は、シナリオの強制力かもしれない)


 この世界には、物語を正しい方向へ戻そうとする“見えない力”がある。もしこの恋心がその力によるものだとしたら——マクスウェルへの想いは偽りで、シナリオに操られたものなのかもしれない。


 それに、本来の筋書き通りマクスウェルとアメリアの距離が縮まれば、エイベルの破滅ルートが加速する可能性もある。

 事実、なんとか保留になっていた婚約破棄も、マクスウェルは進めようとしていた。


 (私はどうしたら……エイベルも、殿下も、誰も傷つけずに済むの?)


 ひとりぼっちの屋上で、アメリアは自分の心を抱きしめるようにうつむいた。


 (いだ)いてはいけない恋心。

 守りたい友達。

 抗わなければならない物語の強制力。


 どれを取っても苦しくて、どれが正しいのかもわからない。


「私が2人に近づかなければ……そうすればみんな幸せになれるのかな」


 ぽつりとこぼれた言葉が、夕闇の中に消えていった。


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