表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/15

ざわめく心

 アメリアが愛里としての記憶を取り戻してから、三ヶ月が経った。


 春は終わりを迎え、学園のガーデンには夏の花々が小さな蕾をほころばせ始めている。


 婚約破棄の日の翌日からずっと、アメリアはある令嬢を根気強く説得し続けていた。

 ——“いじめはエイベルのやったことではない。あなたが真実を認めてくれるなら、罪には問わない”と。


 だが、肝心のエイベル本人が彼女を庇うように沈黙を貫いたせいで、令嬢は罪を告白する決心をつけられずにいた。

 エイベルの沈黙は、彼女にとっては『最後の逃げ道』でもあったのだろう。


 しかし、その沈黙はある日突然破られた。


 アメリアの話を聞く令嬢は、いつも俯いたまま何も話さない。しかし、その日は違った。

 唇を噛みしめ——ぽとり、と涙を一滴こぼしたのだ。


「……もう、無理なの……」


 小さな声だった。続いて、せきを切ったように涙があふれる。


「私なの……! エイベル様じゃなくて……私が……!

 本当は、アメリアさんのことが羨ましくて仕方なくて……!」


 彼女は両手で顔を覆い、震えていた。

 嫉妬、後悔、エイベルに対する申し訳なさ——その全部を抱え込んできた。

 その重さは、若い少女には耐えられなかったのだ。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 泣きながらアメリアとエイベルに向かって謝罪を続ける彼女に、エイベルは何も言わなかった。

 ただ静かに歩み寄り、そっとハンカチを差し出すだけだった。


 こうして、婚約破棄騒動の真相はついにクラスメイト全員に明らかになった。


 アメリアの“奇行”——突如の性格変化や、エイベルへの過剰な好意表明——は、当初こそ噂の的だった。

 だがこの一件以降、彼女の行動は次第に自然と受け入れられるようになっていった。


 また、愛里としての記憶が戻るまでのアメリアは、いじめをしていた令嬢だけでなく、一部の女子学生から距離を置かれていた。

 転校生という立場に加え、その天真爛漫さが癇に障る者もいたからである。


 だが、他人の婚約者との距離感を意識的に守るようになったことで、あからさまな警戒心は薄れ、話しかけてくれる人の数も増えていった。


 ちなみに、エイベルに気を遣ってマクスウェルと距離を置こうとしたものの、それは当の二人から強く止められた。


 エイベルとの関係も、さらに深まった。


 最初のうちこそ、エイベルは初めてできる”友達”に戸惑っていた。

 けれど、ランチを共にし、勉強会をして(もちろんアメリアが生徒役だ)、小さな日常を積み上げていくうちに、エイベルの表情は自然と柔らかくなっていった。


 アメリアが褒めると、耳を赤くしながらも「そんなの当然でしょ」と強がるエイベル。


 アメリアが渡した小さな花を、押し花にして大切に本へ挟むエイベル。


「貴女って変な人ね」と呟きながら、どこか優しい視線を向けるエイベル。


 そんな彼女を見て、クラスメイトたちの態度も少しずつ変わっていった。


 ある日の放課後、アメリアが勉強を教わっていると、数人の女生徒が緊張した様子で声を掛けてきた。


「エイベルさん、今度のテストが不安で……私たちにも、教えていただけませんか?」


 かつて“恐れられる悪役令嬢”だったエイベルだが、誤解が解けた結果、“少し気難しいけれど面倒見のいいお姉さん”のような存在として見られ始めていた。


 エイベルの取り巻きたちも、変わった。


 彼女たち自身にも“権力に媚びていた”という後ろめたさがあったのだろう。

 アメリアをいじめていた令嬢を、エイベルが身を賭して庇う姿を見て、胸の奥に罪悪感が芽生えた。


 そして彼女たちは、少しずつ——これまで“権力”としてしか見てこなかったエイベルという人物そのものに、目を向け始めた。


 努力家で、責任感が強く、実は誰より仲間想いな少女。


 いつしか、エイベルの周囲には笑顔が増えていた。


 また、かつてエイベルとはほとんど話さず、アメリアにばかり絡んでいたマクスウェルは、最近はエイベルとも普通に会話するようになっていた。


 アメリアを除いて二人きりで話すことも増えた。

 アメリアが近づくと自然に話題を切り替える様子が見えるたび、胸の奥がざわつく。


 少し疎外感を覚えながらも、アメリアは “婚約者として愛を育むふたりを邪魔してはいけない” と、二人が話している時はそっと距離を置くように心がけた。


 一度は婚約破棄まで宣言した二人だが、今ではまるで確執などなかったかのように穏やかな関係に見える。


(エイベル様の良さに、やっと気づいたのね……これで婚約も継続になるはず!)


 アメリアは、エイベルがマクスウェルと並んで話している姿を見ると、胸の奥が温かくなる。


 ——ああ、推しが幸せそうだ。それだけで十分。


 そう思うのに、どうしてだろう。


 その横に立つマクスウェルの横顔を見ると、胸がきゅっと痛むのだ。


 エイベルを取られるのが嫌で嫉妬しているだけ——そう自分を納得させたのだが。


 エイベルと過ごす時間は幸福そのものだ。


 けれど、マクスウェルと過ごす時間は——なぜか心がざわついた。


 その気持ちが怖くて、アメリアはほんの少しずつ彼から距離を置いていた。


 *


 ある放課後のこと。


 図書室で課題に使う本を探していたアメリアは、ふと棚の影から現れたマクスウェルと鉢合わせた。


「やあ、奇遇だね」


「殿下……こんにちは」


 アメリアが手を伸ばしていた高い位置の本を、マクスウェルは何の苦もなく片手で取った。


 それはまるで後ろからアメリアを抱き寄せるような体勢で——すぐ近くに感じる体温に、アメリアの心臓がどくん、と跳ねる。


 その空気に耐えられずにパッと振り向き、何でもないことかのように笑顔を作った。


「ありがとう、ございます」


「気にしなくていいよ。……アメリア」


 名を呼ぶ声が、いつもより低く、そしてやわらかい。


「最近、君は俺を避けているように思う。……何かしてしまっただろうか?」


 逃げ場のない距離で、切なげに囁かれる。


 アメリアは、思わず息を呑んだ。


 その胸のざわめきは、エイベルを取られたことに対する”嫉妬”だけでは説明できないことに、アメリアは気づきつつあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ