誓いの代償
ロゼティーナ家の紋章が描かれた黒い馬車が、ガタン、と鈍い音を立てて止まった。俯いたままのアメリアの肩に、ライナーはそっと手を置き、外に出るよう促す。
馬車を降りて真っ先に目に入ったのは、漆黒の森の中にぽつりと佇む古びた礼拝堂。
闇の中にぼんやりと浮かぶその姿は、どこか恐ろしい。
アメリアは、思わずぶるりと身を震わせた。
「アメリア嬢、こちらへ」
万が一にでも逃げ出さぬためだろう。二人の護衛に両脇を固められたまま、アメリアは礼拝堂の中へと足を踏み入れた。
礼拝堂の中には、今にも動き出しそうなほど精巧な龍像が鎮座している。その背後に控える、黒いマントで顔を隠した男が、ロゼティーナ家が呼び出した証人だ。
ライナーはすでに龍像の正面右側に立ち、静かにこちらを見つめていた。
「もう良い、下がれ」
ライナーは護衛を端へ下がらせると、アメリアを手招きする。
導かれるように龍像へ近づき、アメリアはライナーと向かい合った。
(なんだろう、礼拝堂に入った時から、頭にもやがかかったような感じがする……私、何か大切なことを見逃しているような)
「恐れることはありません。先ほど馬車の中で確認した誓いの内容を、正式な形にするだけです」
その言葉に、アメリアはわずかに眉をひそめる。
「先ほどの内容、少し気になる部分があったような……なんだっけ……」
「申し訳ありませんが、事態は一刻を争います。それに、あの誓いの内容にあなたが気にしなければいけないことなんて、何一つありませんよ」
こくりとアメリアが頷いたのを確認したライナーは、証人に目配せした。
張り詰めた冷気の中、誓いを読み上げる低い声が響き渡る。
「ただいまより、ライナー・ロゼティーナ及びアメリア・ヴィスカルノを誓者とし、龍の誓いを行う。
アメリア・ヴィスカルノは以下の内容を誓う。
一つ、アメリア・ヴィスカルノは、マクスウェル王太子とエイベル・ロゼティーナの婚約が再度結ばれるよう、それを目的としたライナー・ロゼティーナの指示に全て従う
二つ、アメリア・ヴィスカルノはこの誓いを結んだことをこの場にいる者を除き、誰にも言ってはならない」
「はい……誓います」
「ライナー・ロゼティーナは、以下の内容を誓う。
一つ、ライナー・ロゼティーナは、ヴィスカルノ家及びエイベル・ロゼティーナを”救う”ために尽力する
二つ、ライナー・ロゼティーナは、この誓いを結んだことをこの場にいる者を除き、誰にも言ってはならない」
「はい、誓います」
2人が誓いの言葉を口にしたことを確認し、証人は頷いた。
「では、こちらを」
取り出したのは、月の光を受けて鈍く輝く銀色のナイフ。
ライナーは一切表情を変えぬまま、自らの腕に浅く刃を走らせた。
その腕には、これまで幾度も誓いを重ねてきた証として、細かな傷跡がいくつも残っている。
一方アメリアは、どこか夢の中にいるような感覚のまま、指先に刃を当てた。
ぽたり、と血の雫が盃へ落ちる。
二人の血が混ざり合い、龍の目に白い光が満ち始めた——その時。
ガタン、と大きな音がして礼拝堂の扉が開かれた。
そこに立っていたのは、肩で息をするエイベルだった。
「アメリア!!」
目を見開き、祭壇へ駆け寄ろうとしたその瞬間、
「捕らえておけ!」
ライナーの鋭い声が響く。
我に返った護衛たちが、一斉にエイベルへと向かった。
「ちょっと!離しなさいよ!!」
腕を掴まれ、エイベルが必死にもがく。
「エイベル、少しそこで待っていなさい。もうすぐお前のための誓いがなされるのだから」
「お父様!一体アメリアに何をさせようとしているの?アメリアも早く離れて!!」
「無駄だよ。龍の誓いが始まってしまえば、慣れていない者はその空間に呑まれてしまう。私のように何度も誓いを交わしたことがある者は、耐性があるのだがね」
その言葉に応えるかのように、龍像の目に宿った白光が脈打つ。
その光は床に広がると、アメリアとライナーの足元に龍をかたどった印を刻んだ。
礼拝堂の空気が、いっそう重さを増す。
「……っ」
アメリアは、胸の奥を掴まれるような違和感に、思わず息をつめる。
首元が、じわりと熱を帯びた。
次の瞬間、白い光が皮膚の下からにじみ出るように浮かび上がる。
「な……」
喉元から鎖骨にかけて、床に刻まれたものと同じ印が刻まれていく。
鱗のような曲線が絡み合い、まるで内側から焼き付けられるかのようだった。
「アメリア!!」
エイベルの声に、アメリアはふらりと視線を上げる。
「エイベル?」
彼女が、こんなところにいるはずがない。
そう考えて目を閉じると、頭にかかっていたもやがより濃くなった気がした。
「やめて……!!」
エイベルが叫ぶ声が遠くに聞こえる。
その時、龍像の目の光が一段と強まった。
床に、光が走る。
祭壇から放射状に広がっていた刻印が、更に伸びてエイベルの足元でぴたりと止まった。
「……え?」
次の瞬間、エイベルの足元にも、同じ龍の印が浮かび上がる。
護衛たちが息を呑んだ。
三人の足元にある刻印が繋がり、見えない光の糸が張り巡らされていく。
「……なに、これ……?」
護衛の腕が、ふっと力を失った。
抗う間もなく、見えない力によってエイベルの身体が前へと引き寄せられる。
「……おかしい」
ライナーの声に、わずかな焦りが滲んだ。
「エイベルは誓者ではない。
刻印が浮かび上がるはずがない——」
「いいえ」
証人が、わずかに焦りのにじむ声で遮る。
「誓いの内容に名を刻まれた者は、誓者と同義なのかもしれません。
先ほどの誓いは、最初からエイベル・ロゼティーナを含んでいました」
龍像が、軋むような音を立てた。
「しかし、彼女は儀式の正当な手順——つまり血を捧げるという行為を行ってはいない。それなのに誓いに参加したとみなされた以上……その欠落分は代償として補われます」




