消されゆく令嬢
『ep.9 忍び寄る暗い影』の続きなので、そちらを読んでいただけると分かりやすいです。
アメリアが下校途中に行方不明になった——その知らせは、血相を変えて屋敷へ駆け込んできた従者によってもたらされた。
護衛として不甲斐ない、と肩を震わせ涙をこぼす従者をなだめながらも、ヴィスカルノ家当主アルバスは驚くほど冷静だった。
その傍らでは、アメリアの母マリアが、落ち着かぬ様子で自分の腕をさすっている。
「マリア、少しお茶でも飲んで落ち着こう」
「あなた……。もし誰かに連れ去られたのだとしたら、今頃どんな目に遭っているか……」
「おそらく、アメリアを攫ったのはロゼティーナ家だ。あの子が姿を消した花屋の付近で、彼らの家紋を掲げた馬車が目撃されたらしい」
「ロゼティーナ家が……? あそこのご令嬢とは仲が良いのでしょう?」
「子供同士の関係と、家同士の権力争いは別物だよ」
アルバスは、わずかに寂しさの混ざる声でつぶやいた。
「アメリアを攫ったのがロゼティーナ家なら、あの子に手荒な真似はしないはずだ。彼らもそこまで愚かではない。
しかし、彼らの目的が『龍の誓い』である場合は厄介だ……フランドル、頼みがある」
アルバスは、横に控えていた執事を呼びつけると、何かを耳打ちした。
執事が足早に部屋を去ると、アルバスは口角を上げた。
「ヴィスカルノ家だけでは足をすくわれかねない。助っ人を呼ぶとしよう」
*
その頃、ロゼティーナ家本邸では、エイベルが一人静かに夕食をとっていた。両親のいない食卓には、もうすっかり慣れてしまった。
(……今日は、いつにも増して屋敷の人数が少ない気がするわね)
「ねぇ、あなた」
「は、はいっ! 何でしょうか、お嬢様」
控えていたメイドがびくりと肩を震わせる。
「普段より人が少ないように見えるけれど……皆、お休みでも取ったのかしら?」
「あ、いえ。その……別邸の方に、とても大切なお客様がいらっしゃるようで、多くの者がそちらへ向かっております」
「そう……教えてくれてありがとう」
郊外の別邸は昔からロゼティーナ家が所有しているものだが、普段はほとんど使われない。ましてや、あんな辺鄙な場所に客人を招いたことなど、今まで一度もなかった。
不自然な動きに胸騒ぎがして、エイベルは食事を早々に切り上げ、席を立った。
*
『龍の誓い』——それは、シュタイン王国の歴史の底で脈打ち続ける、絶対的な契約である。
誓いの証人になることを許されるのは、聖職者の中でもごく一握りの選ばれし者だけだ。
彼らは代々、“龍の声を聞く者”として扱われ、決して表舞台に姿を見せない影の守り人でもあった。
誓いは、教会の奥にひっそりと鎮座する龍像の前で行われる。その龍は石でありながら、まるで生きもののような威圧感を放っている。
証人と当事者たちが向き合い、互いの意思が真に一致したときのみ、龍の目に光が宿る。
その後、誓いの文言を口にし、互いの血を盃に垂らす。
盃に落ちた二筋の血は混ざり合い、どろりと沈んでゆくという。
——その瞬間、契約は“運命”に変わる。
龍の前で交わされた約束を破れば、破った者には“相応の代償”が降りかかる。
市井では迷信だと笑う者も多いが、真実を知る者たちは決してそれを疑わなかった。
実際、先々代の国王はこの誓いを破り、謎の死を遂げている。
その事実は厳重な封印のもとに伏せられ、知るのは王家と僅かな上位貴族のみである。
そして、ロゼティーナ家は——この“特権”を行使できる数少ない家系だった。
長い年月、教会に多大な援助を続けてきたおかげで、彼らは証人を呼び出す権利を握っている。
アルバスが危惧していたのはまさにそこだ。
もしロゼティーナ家がアメリアを“人質”ではなく“契約の相手”として利用するつもりなら——結ばれた誓いは、王ですらも、解くことはできない。
そして誓いは、未来を強制的に形作る呪いとなる。
ライナーがその力を用いる気でいるなら、アメリアの人生は今日、この瞬間を境に決定づけられてしまうかもしれない。
そして今——
ロゼティーナ家別邸から、ひっそりと黒い馬車が動き出した。
馬車が向かうのは、冷たい石像と淡い蝋燭の光に照らされた盃のもと。
“誓い”は、静かに始まろうとしていた。




