三人の過去 前編
エイベルとマクスウェルが初めて出会ったのは、二人が八歳の春だった。
国内の公爵家の中で、当時もっとも王家との結びつきが弱かったのが、教会派に属するロゼティーナ家だ。そのため、自らの権力をさらに盤石なものにしたかった国王は、ロゼティーナ家のひとり娘であるエイベルと、第一王子マクスウェルとの婚約を提案した。
王家との婚約は、貴族にとってこの上ない名誉である。ロゼティーナ家は二つ返事で了承し、顔合わせの日程はあっという間に決まった。
春の花々が咲き誇る中、王城の華やかな応接間で、両家の子どもたちは初めて対面した。
エイベルは婚約の話を前々から知らされていたが、マクスウェルがその事実を知ったのは当日の朝だった。結婚に本人の意志は必要ないと考える国王は、余計な反発を避けるため、ぎりぎりで告げたのだ。
軽い挨拶を終えたあと、「大人同士で話がある」と言われ、なかば追い出されるように部屋を出たエイベルとマクスウェルは、庭園へ向かった。
途中、家庭教師の授業を終えたばかりのレオンがついてきたため、三人で庭園のベンチに並んで腰掛ける。
気まずい沈黙が流れる。
最初に口を開いたのは、エイベルだった。
「ねぇ、黙っていてもつまらないわ。あなたたち、普段からこんな調子なのですか?」
金の巻き髪を揺らし、勝気な光を宿すエメラルドの瞳。堂々としたその物言いに、マクスウェルは小さくため息をつき、レオンはびくりと肩を震わせた。
「申し訳ない……。いきなりのことで、俺もまだ頭が整理できていないのです。弟も、人見知りなもので……」
「ぼ、僕は……っ、ただ……」
しどろもどろになるレオンを、エイベルは真っ直ぐに見つめる。
「すごく綺麗な髪の色だと思って……見惚れていただけです」
顔を真っ赤にして褒めるレオンに、エイベルはぷいと顔をそむけた。しかし、耳はほんのり赤く染まっている。
「あ、ありがとうございます……」
なんともいえない空気が流れた。数分後、マクスウェルがぽつりと漏らす。
「不躾な質問で恐縮ですが……あなたは、この婚約に納得しているのですか?」
「もちろんよ。お母様もお父様も、とても喜んでいたわ。明日から妃教育が始まるのだけれど、すごく楽しみなの」
予想以上に明るく語るエイベルに、マクスウェルはそっと胸をなで下ろした。
自分は、誰が妃になろうとも不幸にしたくない。父が外に愛人を作ろうと、献身的に育ててくれている母のように、不幸には。
この少女なら大丈夫だろう——そう思えた。
「そうですか。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いしますわ、殿下」
*
それからというもの、三人は会えば自然と集まるようになった。
遊びも勉強も、気づけばいつも一緒だ。
エイベルは思ったことをズバズバ言い、間違いを堂々と指摘する。
レオンは毎度怯えつつも、なぜか彼女のそばにい続けた。
マクスウェルは二人のやり取りを眺めながら、ときどき穏やかに笑った。
「レオン、ここ間違ってるわ。さっきと同じように考えれば簡単でしょう?」
「そ、そっか……っ! じゃあ、これはこうかな?」
「違うわよ! この問題は、ここがひっかけなの」
「……エイベル。ほどほどにな」
マクスウェルの柔らかな声に、エイベルは仕方なさそうにため息をついた。
「殿下がそう言うなら……今日はこれくらいにしてあげる」
レオンはほっと息を吐きながらも、エイベルの背を目で追っていた。
(……やっぱり、すごい人だ)
怖いのに、目が離せない。
胸がきゅっと痛むのは、生まれて初めての感覚だった。
*
そんな日々は一年ほど続いた。
初対面の緊張が嘘のように、三人はまるで仲の良い家族のように見えるほど親しくなっていた。
それでもマクスウェルがエイベルに恋をすることはなかった。婚約者というより、おてんばな妹を見守る気持ちに近い。
おそらく、エイベルとレオンがお互いにうっすらと抱く淡い想い——当人たちすら気づいていないその感情に、無意識のうちに気づいていたのだろう。
だが、自分が婚約者である限り、二人が結ばれることはない。
望まぬ婚約にエイベルを巻き込んでしまったという罪悪感が、マクスウェルの胸には常にあった。
穏やかな日常が揺らぎ始めたのは、さらに半年ほど経った頃。
エイベルの妃教育が厳しさを増したのだ。
毎週のように王城へ来ていたのが、今ではふた月に一度顔を合わせるかどうか。マクスウェルは寂しさを覚えつつも、仕方のないことだと自分に言い聞かせていた。
「今日はゆっくりできる」と久々にエイベルが城を訪れた日の午後。王城の図書室で思い思いに本を読んでいた時、エイベルが独り言のようにぽつりと漏らした。
「わたくし、自由になりたいわ……こんな息苦しい毎日、嫌になっちゃう」
彼女が読んでいたのは、遠い砂漠の国を舞台にした恋愛小説だった。
マクスウェルもレオンも、かける言葉が見つからずに沈黙する。
最近のエイベルは、誰から見ても完璧な令嬢だ。所作も言葉遣いも美しく、まさに妃教育の成果といえた。
けれど——それが苦しい。
エイベルがどれほど努力し、どれほど自分を押し殺してきたか、マクスウェルには痛いほど分かる。
初めて会ったときのような、未来への期待を明るく語る少女はもういない。
それが寂しいような、やるせないような気持ちになり、マクスウェルは静かに唇を噛んだ。




