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第2話 デミトリ・グラードフ

 ガナディア王国の最北端に位置するグラードフ辺境伯領は、お世辞にも住みやすい土地とは言えない。


 領の西、北、東の三方角にはストラーク大森林と呼ばれる魔物が跋扈する森に囲まれ、隣領への貿易路は領の南に位置するストラヴァ山脈の険しい山岳地帯を縦断する難路のみ。


 グラードフ辺境伯領は、読んで字の如く陸の孤島なのだ。


 そんな危険地帯に囲まれた陸の孤島を辺境伯領土たらしめるのは国防における重要性。北方に位置するヴィーダ王国の脅威からガナディア王国を守る盾としての役割だ。


 ガナディア王国とヴィーダ王国の国境はストラーク大森林に隔てられているものの、大陸戦争時代ヴィーダ王国はガナディア王国へ侵略戦争を仕掛けた。

 南方諸国の連合軍と争っていたガナディア王国は、ストラヴァ山脈からヴィーダ王国軍の侵攻を許してしまえば南北を敵陣に挟まれ過酷な二面戦争を強いられるのが明らかだった。


 侵略戦争開始直後、ヴィーダ王国がガナディア王国侵略の足掛かりとしてストラヴァ山脈の麓に砦を建設している事が発覚した。その砦を当時騎士爵だったグラードフ辺境伯家の初代当主、アンドレイ・グラードフが決死の奇襲攻撃を仕掛ける事により占領する事に成功したのだ。


 砦を占領しても状況は決して良くはなかった。危険なストラーク大森林に囲まれ、増援や物資の補給もストラヴァ山脈に阻まれながらの過酷な防衛戦。絶望的な北の最前線で戦争終結までの三年間、アンドレイは騎士爵とは思えないほど強力な魔法と剣の腕前で敵兵を薙ぎ払い獅子奮迅の活躍で砦を守り切った。


 ヴィーダ王国の侵攻を塞き止めたアンドレイの活躍もあり、ガナディア王国は南方諸国との抗争に兵力を集中することができ無事国を守り切ることに成功した。


 アンドレイはガナディア王国を救った北の英雄と称えられ、戦後騎士爵から辺境伯への異例の陞爵を果たした。戦地となった砦の周辺、現辺境伯領の領地はアンドレイの陞爵と合わせて褒美として下賜されたもの。


 大陸戦争が終結しヴィーダ王国と不戦条約を結んだ今もなお隣国との関係はお世辞にも良いとは言えず、国防の観点からグラードフ辺境伯領は今もなお重要視されており王国内での辺境伯家の影響力も大きい。


 そんな辺境伯領内では辺境伯家の成り立ちは半ば神聖視されている。王国の盾であることに絶対的な誇りを持ち、武を重んじる事への異常なこだわりが当たり前となっていた。


 武を重んじるあまり強さのみが評価され、国防の務めを果たせない弱者は罪と断定する程過激な考えが蔓延しているガナディア王国内でも異色の地。


 そんな強者にとっては天国のようで、弱者にとっては地獄のような場所でデミトリ・グラードフは生を受けた。





――――――――






 ――寒い……足首も……折れているな。


 既に日が落ち切った修練場で、倒れたままゆっくりと目を開く。


 ――なんとか……姿勢を変えなければ……


 うつ伏せの状態では息苦しく、少しでも楽になるために姿勢を整えようとする。


 なけなしの力をふり絞って比較的軽傷だった右腕を地面に突き出す。額に脂汗を浮かべながら数秒格闘した結果、体を回転すること成功し仰向けの状態になった。


 大して勢いがあった訳でもないのに背中が地面に振れた直後、雷に打たれた様な激痛が全身に走る。


「がっ……! うっ……」


 呼吸が乱れ、痛みで意識が朦朧とする。


 歯を食いしばりながらなんとか耐え、少しずつ息を整えていく。痛みで涙が滲んだ視界の先には、星一つ見えない暗闇だけが広がっていた。


 ――兄上が余計な事さえ言わなければ……


 今日の稽古という名の折檻は、父が次期後継者として溺愛している兄……イゴールの発言が発端だった。


『可愛い弟がいつまでも周囲に認められないのが心苦しいのです。父上、私の目から見てもデミトリは日々特訓に打ち込み成長しています。どうか、どうかその成長を見届けるためにも稽古をつけて頂けないでしょうか?』


 芝居掛かった兄の訴えも、父の贔屓目には不出来な弟を思う兄の鑑に見えたようだ。


 結果稽古と称した暴力を振るわれ、立ち上がれなくなった後は「兄の気持を踏みにじった」と激高した父に半殺しにされた。


 ――何が可愛い弟だ……修練場の影から嗤っていたくせに……


 グラードフ領の人間、ことさらに貴族家の人間には強さが求められる。自分は優秀な兄と比較され、栄えあるグラードフ家に泥を塗る出来損ないの烙印を押されている。


 ――一応辺境伯家の次男なんだが……治療もされず修練場に放置か。


 強さこそ正義を信条にしている父が、恥も外聞も無く息子の不出来を喧伝しているため自分の最低な評価は領内に知れ渡っている。


 使用人を含めて味方は皆無、誰も助けてくれはしない。


 領地を出たことがなく、他の貴族家の内情は知らないものの……さすがにこの扱いが異常なのは理解している。


 打ちのめされて、体中が痛くて、寒くて惨めで情けない。


 悔しい。


 痛みで目に滲んでいた涙が、勢いを増して頬を濡らしていく。


 ――しっかりしろ! 何時まで経ってもここに居るのをあの異常者達に見られたら今度こそ殺されるかもしれない……


 自分を鼓舞しながら目を閉じて、心の中を渦巻く負の感情に無理やり蓋をする。意識を魔力に集中させ、全身に巡らせながら使い慣れた自己治癒を発動していく。


 ――誰にでも使える身体強化と自己治癒だけではなく、せめて治癒の魔法が使えたら……


「はぁ……」


 気合を入れ直してすぐに弱音を吐いてしまう自分に嫌気がさす。


 自分が扱える魔法は貴族家の人間とは思えないほど限られている。厳密に言うとガナディア王国で魔法と定義されているものは、一切使えないと言った方が正しい。


 体内で魔力を練り上げ制御する事によって発現する身体強化と、体内に循環させた魔力を生命力に変換する自己治癒はあくまで魔力操作の範疇とされている。


 魔法と定義されるのは魔力を操作して世界に影響を与える行為……例えば今日の稽古で父が放ち、俺の足首を砕いた土球の様な物を指す。


 ――せめてもう少し回復力があれば……


 自己治癒は体の自然治癒力を活性化することによって傷の直りが早くするが、治せる怪我には限度がある。骨折の様な重症は直せない。


 幸いにも骨折した左足首と強打された背中以外は、身体強化で必死に身を守っていたため軽傷ではないが重症でもなくなんとか命を繋ぐことができた。


 早く移動しなくてはと焦りながら自己治癒を施し続け、一時間が過ぎる頃には完治とまでは行かずともある程度動けるまでには回復した。


 ――みっともないが、離れまで這って行くしかないな……


 グラードフ家の恥さらしとして屋敷の本館はおろか別館にすら踏み入れることを許されていない俺は、敷地の隅の離れに住んでいる。


 魔法が使えないだけでも致命的なのに、貴族としては平均よりも少ない魔力量が扱いの悪さに更に拍車を掛けていた。


 魔力量が少ないため身体強化も節約しながらでしか使えない。節約しながらだと領軍に所属する一般兵士程度の戦力は発揮できるものの……戦いを重んじるグラードフ家に連なるものが、一兵卒と同程度の能力では話にならないらしい。


 それでも強くなるための努力は惜しまなかったつもりだ。


 少ない魔力で少しでも継戦能力を上げるため、常時発動するのではなく攻撃や回避に合わせて瞬間的に身体強化を発動できる様魔力制御の訓練をした。


 魔力を節約するため、身体強化を発動する際常に全開で発動させず必要に応じて強弱を付けられるような繊細な魔力制御も身に着けた。


 必要最低限の魔力消費で最大限の効果を得られるように、自分なりに必死に考えて工夫を凝らした。


 そもそも身体強化で強化される身体の強度が増せばより強くなれると信じて、基礎鍛錬も怠らなかった。


 ――それでも、結局何も変わらなかった。


 十歳の時に受けた鑑定の儀で魔法が使えない事、加護を授かっていないこと、そして魔力量が平均的な貴族よりも少ないことが判明した日から十七歳になる今日までの七年間、自分に対する周囲の評価は良くなるどころか悪くなる一方。


 ――そういえば誕生日か……敢えて今日父上を嗾けてくるのは兄上らしい嫌がらせだな……今の今まで忘れていたが。


 そんな事を考えながらようやく離れに到着し、左足を庇いながらでは上手く扉を開けずバランスを崩して離れに転がり込んだ。


 自己治癒である程度回復したものの、体力は限界を迎えつつある。悲鳴を上げる身体に鞭打って非常時用に取り置いていたポーションまで何とか辿り着く。


 ――飲んだだけで骨折が治るのは、未だに信じられないな。


 生活の過酷さは生傷が絶えないの一言で片づけられない。今日みたいな一方的な暴力、ストラーク大森林への遠征時の無茶な命令、領軍兵士からの嫌がらせ。色々な意味で死と隣り合わせな人生を歩んでいるため、離れにはポーションを数本備蓄している。


 もちろん骨折を治せるような高価なポーションを買う資金も伝手もない。褒められた事ではないが、領軍の物資から色々と拝借している。


 盗みがバレたらただでは済まされないだろう。それでも回復手段の入手だけではなく、満足に与えられない食料を補うため。生きるためには仕方がないと割り切っている。


 ――戦士としては落第評価のまま、盗賊まがいの技量だけ順調に成長しているのは我ながら呆れるな……


 魔力操作訓練の影響で次第に無意識に体から漏れ出る魔力さえも抑えられるようになり、索敵に引っかかりにくくなった。物資保管庫や食糧庫の見張りに気づかれずに盗みを続けた結果、盗人の技術だけが無駄に洗練されてしまった。


 ――順当に訓練しただけ強くなれれば……扱いも多少良くなって、盗み自体する必要ないのにな……


 そんな身も蓋も無い事を考えながらポーションを飲み干し、疲労に抗えず冷たい床の上で眠りについた。

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― 新着の感想 ―
是非とも強くなって、兄と父親に利子を付けて、しっかりお返しをして頂きたい。
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