第14話 クァール
飛び掛かってきたクァールの巨体に押しつぶされ、強烈な痛みと骨が折れる感触に顔を歪める。
「グルルルルッ…………!!」
当のクァールはくぐもった唸り声とも鳴き声とも取れない音を発しながら、前足で顔にへばり付いたクリプト・ウィーバーの糸を必死に剥がそうとしている。
糸を剥がそうとして体に魔力を込めたのか、まだ固まり切っていなかった糸が顔面だけでなく糸に触れていた前足すらも巻き込んで硬質化した。
クァールがまだ自由の利く後方の2対の脚で後ずさりしながら暴れてくれたおかげで、ようやく体の自由を取り戻せた。
――ポーション……を……
震える手で収納鞄からカテリナが持っていたポーションを一つ取り出し、中身を飲み干した。
何度飲んでもこの感覚には慣れない。折れた骨がぎりぎりと音を立てながら正しい位置へと戻り、損傷した臓器も治っていくのが分かる。
――人としては最低だったが、さすがのマサトもポーションの質をケチるようなことはしなかったみたいだな。グラードフ領軍が備蓄してるポーションよりも治りが早い。
いわゆる高級ポーションなのだろう。四肢の欠損や呪い、重病などを除いて大抵の傷をポーションの数倍の速さで直せる秘薬。
――こんなものが手元にあったのに、ヴィセンテを救えなかったカテリナを思うとやるせないな……
「グルゥ……!」
先ほどよりも幾分か弱った鳴き声を発しながら、地面をのたうち回っているクァールに視線を移す。
――感傷に浸ってる場合じゃない。
長剣を鞘から引き抜き、クァールとの距離を詰める。そもそもクァールはクリプト・ウィーバーを狩るような魔獣だ、糸から抜け出せない保証がない。
――今のうちに止めを刺す!
通常時のクァールであれば勝ち目はなかった。
視界だけでなく前足まで封じられ、呼吸も満足にできずパニックに陥っているクァールは隙だらけだった。万全の状態であれば容易に刃を通さなかったであろう厚い毛皮も、クァールの魔力が乱れているせいか本来の強靭さが無かった。
身体強化を乗せた渾身の突きがクァールの首に吸い込まれていく。脊椎を引き裂かれたクァールは一瞬身震いをしたかと思えば、ズシャリとその場に倒れこんだ。
――何かに使えるかもしれないと思って、糸を多めに回収して本当に良かった……
クァールが完全にこと切れたのを確認して、大きなため息を吐きながらその場にへたり込んだ。
――――――――
クァールと戦った場所から数十キロ、五日間の強行軍の末辿り着いた川辺で焚火をじっと見つめる。
あれから幸いなことにグラードフ領軍の捜索隊にも、危険な魔物や魔獣に出くわすこともなく移動することができた。
今いる位置は正確には分からないが、森林の中心部に丁度差し掛かった辺りだろうと推測している。
――ここまで来れば、ある程度追手については心配しなくてもいいな。
グラードフ領寄りの森林浅地の探索ならまだしも、森林の中心部まで来てしまえばいくらグラードフ領軍の探索隊であっても自分を見つけるのは難しいだろう。魔物や魔獣の脅威が増すだけでなく、単純に探索範囲が広すぎる。
――やっと、一息付ける。
クァールとの戦闘後、高級ポーションの影響で気力がある程度回復したのを良いことに無理を押して逃亡を続けた。たった一人の移動は一瞬の油断も許されず、ほぼほぼ不眠不休の状態でここまで来た。
――ひどい顔だ。
川から汲んだ水を入れておいた鍋の中に映る顔は、自分が記憶しているよりも更に痩せこけ、目は深い隈に縁取られていた。
――今日はちゃんと寝よう。
森林の中なので絶対に安全とは言い切れないが、極度の緊張の中強行軍を続けたおかげかこの五日間で仮眠中も魔力を制御するコツを掴めた。周囲に魔物や魔獣の巣がないのも確認したし、気を付けていれば就寝中に襲われることもないだろう。
――短いようで、本当に長かった。
逃亡を開始してから正確にどれぐらいの時間が経ったのかは分からないが、約一週間で色々と起きすぎた。
脱走、兄の追跡、前世の記憶の復活、奈落の底で透明化する化け物との遭遇、他にも転生者がいることの発覚、クァールとの戦闘に無謀な単独での森林横断……
――色々とありすぎて、情報を処理する暇もなければ正常に判断できるような精神状態でも無かった。一旦状況を整理しよう。