41.冬到来。
冬が訪れた。アルメヴレハ大聖堂に訪れたのは夏の事である。季節は確かに移り変わっていた。エディットは冬を知っていた。前世同様、割とはっきりと四季がある世界だった。但しエディットは知らなかった。冬は冬でも、王都の冬の事である。
実家よりずっと、寒かったのだ。
其処で漸く、北の方にあると分かったのである。
「あなた、冬服持ってるの?」
ある日訝し気にクレマンスが問うた。
「気合で何とかなります」
駄目な答えをエディットは返したのだ。この時点で、何も用意していないと自白したも同様であった。クレマンスは大いに呆れた。大体給金を貰っているのだから、それで用意すればよいのに、頑なに使わないのだ。そうしている間にも、冬は深まっていく。
「これ、使いなさい」
結果、根負けしたのはクレマンスの方だったのである。差し出したのは、黒色のコートだ。クレマンスが着るには小さい、何時ものお下がりだった。
「いえそんな、申し訳ない」
当然エディットは固辞した。だがそれで折れる貴族のお嬢さんではなかったのだ。
「そんな軽装で隣を歩かれて御覧なさい。こっちが寒いわ」
不思議な物言いだったので、エディットはパチパチと瞬きをした。確かに今隣を歩いているが、室内である。流石に中でコートは要らないのではないか。幾ら寒いとは言え、そこまでではないだろう。エディットが疑問を抱いているのが分かったのか、事も無げにクレマンスは続けたのだ。
「市があるのよ」
「はあ」
「王都の市って行った事ある?」
「知りもしないのに行った事あるわけないじゃないですか」
「凄いらしいわよ」
「そうですか」
「行くわよ」
「いえ一寸手持ちが心許ないので」
「見て歩くだけでも楽しいらしいわよ」
クレマンスはエディットの事を理解しつつあった。慣れたとも言う。ここで、十分貰っているでしょう、等と言ったところでエディットは否定するに違いないのだ。あれは、使うお金ではないので、等と言うに決まっていた。そう言う性格である。
見るだけなら、まあ。そうエディットは応えた。クレマンスの掌の上だった。
後日エディットは冒険者ギルドで問うたのだ。
「王都の市って凄いんですか」
これである。相変わらず教会には、クレマンスしか気軽に話せる相手がいなかったのだ。勿論全て目上だからである。見習いは、クレマンスとエディット二人だけだ。相変わらずエディットは冒険者ギルドに言われるがまま来ているが、最早単なる息抜きだった。することが無いのである。しかも、ギルドの職員はエディットに優しかった。顔も物言いも優しくないギルド長ですら、あれはあれで優しかったのだ。
「凄いわよ。初めてなの?」
「はい、今年来たばかりで」
「揃わねえもんはねえってくらいあるぞ」
そのギルド長が口を挟んできたものだから、この人暇なのかしら、と、失礼な事をエディットは思っていた。大抵絡んでくるのだ。
「市って七日続くから、大抵王都に住んでいる人間は行くわね」
「えっ、そんなに?」
「おう、貴族も平民も関係なく、皆行くな。お嬢ちゃんも行くんだろ?」
「ええ、友人に誘われたので」
「精々ブーツでも新調しな」
「ブーツ?」
何故、ブーツ? ギルド長の言葉の意味が分からず、きょとんと目を丸くした子供を見て大人が顔を顰めた。どうにも伝わってない事が察せられたのだ。
「雪が降るぞ」
「えっ、雪!?」
今世で初めて直に聞いた言葉かも知れなかった。雪、雪と言ったのだ。エディットの実家では降らなかった。だから、冬でも前世よりは暖かいのだな、と、勝手に思い込んでいたのである。だがそうではなかった。単純に、場所の問題だった模様である。
漸くエディットはクレマンスが口を酸っぱくして冬服の話をした理由を知ったのだった。これよりもっと寒くなるからである。どうやらまだ、冬の入り口にいるらしい。生きていけるだろうか。途端に心配になった。
「市では、悪い奴に気を付けろよ」
「悪い奴?」
「人が多けりゃ、犯罪も増えんだよ。特にお前さんみたいな田舎者は絶好のカモだ」
それを聞いて、成程、スリがいるんだな、と、思ったのだ。子供相手の犯罪者なんて、他には考え難い。だが、子供が金を持っているなんて、思うものだろうか。普通に考えれば、金を持っていそうな大人、それも貴族がターゲットではないだろうか。だが、貴族の場合、本人が財布を持って歩き回っている可能性は低い。考えれば考える程、分からなかった。エディットは未だ、この世界に馴染み切っていなかった。どうしても前世の知識が邪魔をするのだ。
「でもちゃんと騎士が巡回してるから大丈夫よ。困ったら、駆け込むのよ」
「騎士がいるんですか!?」
騎士の言葉に驚いた。エディットにとって騎士とは神殿騎士である。だが、態々神殿騎士が市の警備をするとは考えにくい。つまり、別の騎士である。とは言え、別の騎士が分からないのだが。知らないとも言う。
「そんだけ犯罪が多いんだよ。諍い、小競り合いなんぞそこらじゅうで起きるぞ。酒も入れば尚だ」
「もう、あんまり脅さないでやって下さいよ。可哀相でしょ。そんなに心配しなくても、普通に見ている分には大丈夫よ」
果たしてどちらの言う事が正しいのか。受付の女性とギルド長は睨み合っている。ただ、警戒するに越したことはないのだろう。そうでなければこんなにもギルド長が念を押してくる理由がない。ただエディットは何処かで楽観視もしていた。一人ではないからである。頼れる貴族のお嬢さん、クレマンスが一緒だからだ。しかも貴族のお嬢さんには、更に頼れる侍女がついているのである。これで大抵の事は何とでもなる。エディットは己を過信していなかった。自分が世間知らずの田舎者だという事は、己が一番理解していたのだ。




