40.持つべきものは頼りになる味方。
二人掛け用の馬車に乗りながら、このサイズが一番だな、と、エディットは思っていた。昨日の馬車は大きすぎた。ただ、一緒に乗った相手も大きかったので然程に広くも感じなかったが。今エディットは一人で、冒険者ギルドへと向かっている。今日も暇だろうな、と、思いながら。何せ治癒業務と言いながら、頼んでくる人間がいないのである。一人いたが、完治してしまった。喜ばしい事だが、同時に仕事がなくなったのである。エディットの元へ来るという事は負傷者なので来ない方がいいのだが、己がギルドへと行く意味もなくなるので難しい所だった。次の人、来るかな。心配しながら、向かったのである。
冒険者ギルドは程々の賑わいだった。
「おはようございます」
小声で言いながら中へと入り、席に着いた。相変わらず、カウンターの一番端である。
「おはようございます」
隣に座る受付の女性にも挨拶する。すると、にこやかに挨拶が返って来た。受け入れられているようで、ホッとする。今日も頑張れそう。例え仕事がなくとも。そんな風に思っていると、隣の女性が近付いてきた。
「残念だったわね」
「えっ?」
言葉の意味が分からず、問い返す声が出た。
「知らない? 王立劇場よ。行く予定だったんでしょう?」
言われ、思い出す。王立劇場に観劇に行く予定だと、此処で話したのだった。その時、服装の心配をされたのである。手持ちの服で何とでもする予定だったが、結果としてクレマンスにまた施され難を逃れたのだった。夏物を秋に着たっていいのに。エディットはそう思っているが、並んで歩く方が嫌である。
「いえ、行ったんですよ」
「あら? 間に合ったの? 良かったわね。急に崩壊したって聞いて驚いたわよね」
「そうなんですよ。観てたら急に壊れて来て驚きました」
「えっ?」
「えっ?」
女性が素っ頓狂な声を出したので、つられてエディットも発してしまった。見れば目を丸くしている。相手の表情から、何やら可笑しなこと言ったようだと、読み取れた。
「オイ、聞きたい事がある」
すると、顔を見合わせて黙っていた二人の間を縫うよう、別の人間が口を挟んできたのだ。
「おはようございます」
一先ずエディットは挨拶をした。今日も人相が悪い。冒険者ギルドの長、オスニエル・ランドン・ベイトソンだ。エディットからの挨拶を、頷き一つで交わした。
「お前さん昨日、王立劇場跡にいたらしいな」
「何でご存じなんですか?」
それは肯定だった。実際エディットはいたのである。ただ、ギルド長の姿はなかったな、と、思っているのだ。気付かなかっただけかもしれないが。
「冒険者ってな、切った張ったばっかやってるわけじゃねえんだわ。頼まれりゃ、雑用もすんだよ」
「あ、瓦礫の片付け」
「そうだ。そしたら昨日、嬢ちゃんを見たってやつがいてな。しかも詰め寄られてたみてぇじゃねえか。厄介事か?」
もしかしてこの人、心配してくれてるんだろうか。明らかに問い詰めているようにしか見えない顔であるが、言葉はそうではなかった。エディットは心が軽くなった。嬉しかったのだ。何だか、急に認められた気になった。この、冒険者ギルドにおいての自分の立ち位置である。全然仕事らしい仕事もしていないのに。それとも、子供だから優しいのだろうか。
「ギルド長、この子、劇場が崩壊した時現場にいたらしくって」
「は?」
答えたのはエディットではなく、隣の受付の女性だった。ベイトソンが訝しげな声を出した。
「いただと? 何ともなかったのか? いや、なかったんだろうが」
もし何事かあれば、今日ここには来ていない筈だからである。エディットは考えた。何をどう言おうかである。ただ、自分を案じてくれる人に、嘘を吐くのは良くない。それだけは、確かである。
「私、物を浮かせる力を持ってまして」
元々持っていたわけではなく、神より授かった力である。スキルとはまた違う力だ。だが、聞いた相手は、スキルだと思うだろう。
「それで、劇を観ていたら柱が倒れてきたものですから、咄嗟に浮かせたんです。でも、ずっと其処で浮かせているわけにもいかないじゃないですか。だから、支配人の方に話して、全員出たかなってタイミングで落としたんです」
「そんで、最終的に全部壊れたってわけか」
「一本倒れたら後は済し崩しでした」
「何が問題なんだ?」
昨日詰め寄られていた件を尋ねている。思い出して、エディットは息を吐いた。詰め寄られている。傍から見てもそうだったのだ、当事者はもっと嫌だった。
「私が、劇場を崩壊させたと言いがかりをつけられたんです」
受付の女性もギルド長も口を閉ざし、目を丸くしたのだった。
「いや、急に崩れねえよう、時間稼ぎをしたんだろ?」
「そうなんですけど、崩壊を予知したとか言われて」
「そんなことできるの?」
「出来るわけじゃないじゃないですか。出来たらそもそも行きませんよ」
それはそうである。態々壊れると分かっている劇場に等、行く意味がない。子供の言い分に、大人二人は呆気に取られている。そんな馬鹿な事が、と、そう表情が物語っていた。確かに、とんでもない言いがかりである。
「何故嬢ちゃんの所為に?」
「多分、責任負いたくなかったんじゃないですか。昨日、貴族の方と一緒でしたし、私の所為にしちゃえばいいって思ったんじゃないですかね」
「酷い話ね」
「否定したんだろ?」
「勿論です。そんな力はないと示すために、物を浮かせましたよ」
「ああ、そんで、瓦礫の山が浮いたのを見たって言ったんだな。それが嬢ちゃんの力か」
「ええ、そしたら今度は、私に力を使って片付けろって言い出して」
「なんて恥知らず!」
女性が声を上げれば、視線が向いた。思うよりも大きな声が出たのだ。反してベイトソンは、静かに声を発したのだった。
「何て野郎だ」
「ルボシュ・チャペックさんて方ですね」
「もしまた何か言ってきたら、俺の名を出せ」
「えっ」
「何とでもしてやる」
「おお……」
エディットは感動してしまった。完全に悪役の物言いだったが、頼りがいがあり、何より格好良かったからだ。俺の名前を出せ、何とでもしてやる。人生で言ってみたい台詞である。残念ながら、何も持っていないエディットには無縁の台詞であった。
「そういや、物を浮かすって制限はあるのか」
「さあ……柱がいけるくらいなので、大抵のものは大丈夫なんじゃないですか」
制限も何も、つい一昨日迄、雑巾しか浮かせたことは無かったのだ。寧ろ他の物に活用しようという頭すらなかった。日頃から使いこなしていたならば、神様に直談判する必要など無かったのだ。未だに悔やんでいる。
「俺を浮かせてみろ」
「人に試したことはないんですけど」
「だから今やれって言ってんだろ」
滅茶苦茶である。どうなっても知りませんからね。内心で零して溜息を一つ。そうして、オスニエル・ランドン・ベイトソンをじっと見た。大柄な男である。柱程の重さはないだろうが、それなりだろう。エディットは内心で呟いた。
浮いて!
エディットが物を浮かせるのに必要な事は、ただ、心の中で命じるそれだけである。呪文も何もないのだ。もしかしたら浮かないかも知れない。エディットが授かったのは、物を浮かせ自在に動かす力である。果たして人は、対象であろうか。
「ギルド長!」
誰かが焦って声を発した。どうやら、人は物に分類されるらしい。恐らく、神基準である。浮いたな、と、思いながら、エディットは男を下から見上げていた。今やベイトソンの頭は天井擦れ擦れである。ギルドの天井は高い。人以外の物を持ち込む場合があるからである。武器の類が長い場合もある。だから、高めに設計されていた。
「下ろせ!」
ベイトソンの声が、ギルド内に響いた。浮かせと言ったり下ろせと言ったり、忙しい人だな。そんな事を思いながら、下りろと念じたのである。落ちるのではなく、ゆっくりと下りたのだった。急にギルド長が空に浮いたので、室内は騒めいている。基本人は浮かないのだ。
「人も大丈夫みたいですね」
他人事の顔でエディットが言った。
「お前さん、これで食っていけるぞ」
思い切り顔を顰めてベイトソンは答えた。余りいい体験ではなかったようである。
「本当ですか!?」
食っていけるの言葉にエディットは大いに反応した。好きな言葉だった。安定した将来を常に欲しているのだ。神官は神官として、他の道に足を突っ込んでもそれはそれで、等と考えているのである。実際物を浮かせて自在に動かせる力、と、言うのは便利であった。しかも人も運べるとならば尚である。緊急時にも平時にも使える力であった。
「教会首になったら来いよ」
果たして教会に首の概念はあるのか。いや、されても困るのだが。それこそ神様に叱られてしまう。但し現時点でもう、呆れられてはいそうだった。エディットの知る神は、意外と人間味があるのである。
結果としてこの日も、本来の業務である癒しに関してはゼロ件であった。最早、何のために赴いているのか分からない始末。帰りの馬車の中で、ギルドに後始末を依頼したという事は、金銭が発生しているのだな、と、そのような事をエディットは考えていた。つまり、金で人を雇っていながら、自分の事は無料で使おうとしたのだな、と、再確認していた。そして密かにまた腹を立てたのである。
「お帰りなさいエディット殿」
教会に戻れば、待ち構えていたのか非常に顔面が整った神官が出迎えてくれたものだから、エディットは頭を下げた。一時的に視界から消すことで、心を落ち着かせる方法である。但し、一瞬しか持たない。
「た、只今戻りました……」
何故態々此処にいるのだろう。話があるなら食堂でもいいのでは。度々遭遇するので思ったのだ。何より食堂だと、食事に専念すれば気が紛れる事も理由であった。中々向かい合って座ったりもしないから、余計にそうである。
「エディット殿、劇場の件で、言いがかりをつけられているそうですね」
「えっ、アッハイ」
咄嗟に返事をした。返事をしてから、何故知っているのだろうと疑問に思った。もしかすると本当に、教会に物申してきたのかも知れない。だとしたらどうしよう。急に不安に襲われたのである。
「あなたが、劇場を崩壊させた犯人だと」
「勿論違います。私にはそのような力はありません」
美形に怯んでいる場合ではなかった。絶対に言い淀んではいけなかった。だから珍しくエディットは、真っ向からルシアンを見たのだ。相変わらず光っていた。眩しくて目を細めそうになるが、エディットは更に上である。自身の事は分からないのだ。
「無論、教会はあなたの事を信じています。これはただの確認ですエディット殿。神に誓って、あなたではありませんね?」
「はい、神に誓って」
「よろしい。では、あなたは何も心配する必要はありません」
エディットの言葉に満足したのか、ルシアンが微笑んだ。アッ、死ぬ。軽率にエディットは死を覚悟した。美形の微笑みはエディットにとって致死量であった。
「しかし、災難でしたね」
「ええ、本当に。やはり昨日行くべきではありませんでした。神様への誓いを破ってしまいました」
「神への誓い?」
「はい。神に誓って、二度とこんな所には来ません、と、宣言したんです」
「それはまたどうして」
「だって、私の所為にするから」
其処にいたのは、本当にただの十歳の子供だった。気に食わないと顔を顰めるその様は、拗ねているようにも見えた。ルシアンは、不思議にすら思ったのだ。先程までずっと対等に話していたかと思えば、この形である。時折、少女の事が分からなくなる。ただ、確かな事は、この少女は三度も神の園へと招かれた特別な存在である。ルシアンがどれ程祈りを捧げようとも呼ばれぬ場所であった。
エディットと別れ、ルシアンは教会の上層へと向かっていた。大聖堂と冠するだけあり、大きな建物である。上階もあるのだ。普通の神官が立ち入れぬ階がある。見習いであるエディットには縁がない場所であった。神官に身分はない。だが便宜上、階級はあるのだ。そうでなければ、組織として立ち行かない。
人通りのない廊下を行く。物音は、ルシアンの足音だけだ。重厚な扉の前で立ち止る。
「ルシアンです」
ノックではなく、声をかけた。
「どうぞ、お入りなさい」
嗄れた声が扉の向こうから返って来た。ルシアンは扉に手をかけた。部屋へ立ち入る。中には老人が一人いた。神官服を身に付けている。そう、広い部屋ではなかった。質素な室内だった。クレマンスの部屋よりも、エディットの部屋に近い。無論、そこまで酷くはないが。
老人の前で、ルシアンは一礼した。それこそ、神を相手にするような丁寧な仕草であった。現にこの老人は、百年を超えて生きているのだ。神官には時折こういう人物が現れる。真に神に祈りを捧げたものは、寿命が延びるのだ。この老人は今も尚、神への祈りを忘れていない。神官としてのあるべき姿、そのものであった。但し発する光はルシアンを上回れど、エディットには敵わなかった。祈りだけでは到達できぬ境地に、あの見習いは既にいるのだ。
「お嬢さんはどうでしたか」
「神に誓ってそのような真似はしていないとの事です」
「でしょうな」
お嬢さんと呼ぶその相手は、エディットであった。見習いでありながら、何とも規格外の少女である。神官として教会に上がり、一年もしない内に三度も神の園へと呼ばれた人間等、前例がなかったのだ。教会にしても扱いには苦慮していた。特別扱いも出来ず、だが、無下にも出来ない。あくまで普通の見習いとして接しているのだ。
「ただ、一つ気になることを言っていました」
「ほお」
「神に誓い、二度とこんな所には来ないと宣言したそうです」
ルシアンの言葉に老人は口を閉ざし、だが、一拍の後、笑い出したのだ。余りにも快活に笑いだしたものだから、ルシアンは呆気に取られている。そのように面白い事を言った覚えはなかったのだ。
「成程成程。ルシアン殿、劇場は普通の壊れ方をしなかったと聞きましたが?」
「ええ、最初こそ普通に崩れたそうなのですが、途中から砂のように端から無くなっていったそうです」
「神の仕業かもしれませぬな」
「何ですって?」
「お嬢さんが二度と来ないと言った。ならば、二度と来れないようにしてやろうと、動いた可能性があります」
「神が? そのような事を?」
「ルシアン殿、あのお嬢さんは特別です。我々の常識では測れない。何より、建物はそのような崩れ方をしない。そうでしょう?」
言われてみればそうである。だからこそ支配人も疑ったのだ。普通の壊れ方ではなかった。誰かの見えない手が入っている。一番疑わしいのはエディットだった。強ち荒唐無稽の話ではなかったのだ。
楽しそうにする老人とは裏腹に、ルシアンは困惑していた。ルシアンにとって神とはもっと遠い存在だったのだ。例え神官相手とは言え、そんなにも人に介入してくる存在ではなかった。否、果たして人だろうか。
ふとルシアンはそのような事を思ってしまった。
三度も神の園へと招かれたエディットは、最早普通ではなかった。あくまで、神官の目から見て、である。先程もそうだった。当たり前のように、神の色を纏っているのだ。果たしてあれは人であろうか。既に、人ではない何かになりつつあるのではないだろうか。
「ルシアン殿、見習いですよ」
まるで、心の中を読まれたかのようなタイミングであった。エディットの存在に疑問を抱いた事を察したかのような物言いだったのだ。
「もしかするとあの場所に建物が建つことは二度とないかもしれませんな」
目を細めて言う老人に返す言葉をルシアンは持たなかった。分かるのは、もっと先の話である。尚、全てを見透かすように話すこの老人とて、神の園へと招かれた事は無いのだ。




