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39.神罰を願う。


「あら、久しぶりねエディット殿」

 毎朝の掃除の時間に友人がそのような事を言ってきたものだから、エディットは目を丸くしたのである。可笑しな物言いだった。大体毎日顔を合わす相手である。久しくも何ともない。

「一昨日会いましたよね」

「でも昨日は会ってないわ」

 つっけんどんな口調である。いや別に、毎日会うわけじゃないですよね、と、言おうとして止めた。どうにも拗ねている顔だったからである。そう言えば、昨日は座学だったな、と、思い至った。別行動はそれなりにあるが、座学と聖水作りは一緒である。恐らく、昨日一人だったことが気に食わないのだろう。それに、詰まらなかったに違いないのだ。クレマンスは貴族の子女である。最低限の教育は受けてきている。世間知らず、常識知らずのエディットとは訳が違うのだ。だから、授業そのものが詰まらないのである。対するエディットは、計算だけは人並に出来た。前世の知識のお陰である。四則演算など、教えずとも出来たのだ。

「あなた、商家にでも入った方がいいんじゃなくて?」

 エディットの計算能力を見たクレマンスが言った台詞である。嫌味に近い冗談だったが、エディットは目を丸くして言ったのだ。

「本当ですか!? やっていけますかね!?」

 これを聞いたクレマンスは大いに呆れた。神官が何を言い出すのかという話である。別に一生を神に捧げる必要はないが、これでエディットは死ぬまで神に祈りを捧げると誓った身である。それが、これ。金になると分かると、正常な判断力が瞬時に死ぬのだ。未だに食っていく道を密かに模索しているわけである。神官と同時進行で。

「それで、昨日何処へ行っていたの?」

 多少の嫌味など全く気にしないエディット相手だからか、とうとうクレマンスは普通に問うた。通じないわけではなく、気にしないのだ。同い年の癖に、どこかエディットは内心で、クレマンスを子供だと思っている。無論、大人びてはいるが。

「王立劇場です」

「一昨日無くなったじゃないの」

「はい、その跡地を見に行きました」

「一緒に行けばよかったわ」

「そんな、駄目ですよ、危ないんだから」

「でもあなたは行ったんでしょ」

「神殿騎士の方と一緒です」

「ズルいわ。わたくしも座学よりそちらが良かった」

 結局、一人だし、授業そのものが詰まらなかったという事である。

「次はお誘いしますよ」

「また行く予定があるの?」

「ないですね。二度と行きません」

「なに、それ」

 ハッキリと言い切ったエディットに呆れてみせた。二度と行かないのに、次は誘うというのだ。成り立たない文句である。その上で、クレマンスは見逃さなかったのだ。エディットの表情である。二度と行かない、と、そう言った時僅かに顔を顰めたのだった。何より、口調が刺々しかったのだ。

「嫌な事があったの?」

 クレマンスの言葉は真っ直ぐだった。同い年でありながら、年上に見える友人をエディットはまじまじと見たのだ。その通りだったからである。

「あの、劇場の支配人、知ってますか?」

「多分、知ってるわ。小太りで偉そうな方でしょう? わたくしの話をちっとも信じてくれなかったわ」

 つい先日の話だ。劇場の崩落が始まった時、エディットに頼まれクレマンスは、劇場の上役だろう人間相手に訴えたのだ。友人が一人残り、劇場が崩壊するのを食い止めていると必死に伝えたのに、袖にされたのである。思い出すと、腹立たしかった。

「きっとその人ですね。昨日会ったんですよ。貴族の方と一緒に現れて、劇場を壊したのは私だって言いがかり付けてきて」

「なんですって!?」

 突然クレマンスが大きな声を出したものだから、エディットは呆気にとられた。まさかこんなに感情を露わにするとは思わなかったのだ。そう、己が侮られたことに対し、クレマンスがここまで怒るとは思わなかったのである。

「いえ、勿論否定しましたし、貴族の方も私の所為だとは言わなかったんですけど」

「当然よ! 最低の行為だわ!」

 クレマンスは怒っている。分かりやすく苛立ちを今此処にいない人物へと向けていた。 

「あなたは、劇場が壊れるのを止めていただけじゃない」

「そう、そうなんですけど、だったら崩壊を止める力を持っているのかと貴族の方に問われて、いえ、物を浮かす力ですって正直に答えたんですよ」

 少なくとも、雑巾二枚を浮かせて自由に動かせる力ではなかったわけである。今の使い道はそれだが。現に今、雑巾はすいすいと掃除を続けているのだ。完全に慣れたもので、視線を外し、会話を続けていても雑巾は動き続けていた。

「それで見せてみろって言われたので、取り敢えず瓦礫を浮かせたんです。そしたら、支配人の方が、私に片付けろって言い出して」

「は?」

 眉根を寄せたクレマンスを見て、正に昨日の己をエディットは思い出したのだった。言わなかったものの、同じ言葉が脳裏に浮かんだのだ。

「勿論断りましたけど」

「当たり前よ! 何様なの一体!」

「便利だから使ってやろうくらいの気持ちだったんでしょうね」

「平民の癖に偉そうに!」

 咄嗟にクレマンスの口から出た言葉に、エディットは驚いた。平民の癖に、と、そう言ったのだ。勿論、エディットも平民である。選民思想のようなものが事実としてあるのだな、と、しみじみ思ったのだった。特にショックは受けていなかった。クレマンスが貴族の子女であることは、これで重々承知していたからである。

「いえ、私も平民なんですが」

「あなたは神官じゃないの。神官に身分制度はないわよ」

「そんなもんですか」

「そうでしょうよ。実際あなたは私の友人でしょ」

 それは、裏を返せば、同じ神官でなければ絶対に友人にはなれなかったという事である。神官とは一体何なのか、と、今更ながら疑問に思う。世俗とは隔たれているという事だろうか。その割に、世と密接に関わっている。スキルの対価は金である。不図エディットは、もしかして昨日貴族相手に堂々とし過ぎていたのではないかと不安になった。もっと遜るべきではなかっただろうかと。だが、神官に身分は関係ないとするなら問題ないのかも知れない。現にその事を咎められはしなかったのだ。ただ、態度は大きかったが、別段礼は欠いていないから見逃されたのかもしれない。もしくは、子供だから、大目に見たのかもしれない。真実の程は不明である。

 教会の外で貴族と接する事など金輪際ないだろうが、気を付けようと一応エディットは思ったのだった。

 尚、本日の予定は、冒険者ギルドでの治癒業務である。つまり今日も、クレマンスとは別だったのだ。ただそれは何時もの事なので、今日についての文句はなかったのである。

 エディットと別れた後、クレマンスは一先ず自室に戻った。召集の時間にはまだ余裕がある。与えられた自室の扉を開けるなり、言った。

「聞いて頂戴、アミシー!」

「まあお嬢様、どうなさったのですか?」

 エディットの前では落ち着いたように振舞っていたものの、まだ憤っていたのだった。突然主人が大声を出して戻ってきたものだから、侍女は驚いたのだ。

「王立劇場の支配人、覚えている?」

「支配人、ですか?」

「あの、わたくしの話を無視した男よ」

 言われ、アミシーは思い出していた。一昨日、主人の訴えに耳を貸さなかった人物の事である。それについては、半ばアミシーは当然だとすら思っていた。幾らしっかりして居ようとも、クレマンスは十歳である。両親が一緒であれば話は別だっただろうが、幾ら貴族の子女とは言え、話を聞くはずなど無かったのだ。しかも内容が、内容である。俄かに信じられるものではなかった。だからあの時アミシーは困っていたのだ。どのように口を挟むべきか、模索していたのである。結果として第三者が現れ有耶無耶になったが、今後同じ事があった場合、どのように対応すべきかという問題が残ってしまったのだ。最悪家名を出す手もあるが、そう簡単に振りかざして良いものではなかった。だからクレマンスも名乗らなかった。何より此処は、王都である。領地程の知名度はないのだ。

「昨日、エディット殿がまたあの男に会ったそうなのよ。その時、劇場を崩壊させたと言いがかりをつけられたみたいで」

「まあ……」

 これにはアミシーも眉を顰めた。とんでもない言いがかりである。成程、これは主人が気分を害するはずだと、理解した。少なくともエディットはそのような少女ではない。アミシーにもそれくらいは分かる。クレマンスにとっては、絶対にしないと言い切れた。エディットは善人である。金には多少五月蠅いが、それだけで基本的に人は良かった。まかり間違っても、劇場を意図的に壊す等と言う真似をするはずがないと言い切れたのだ。大体、その理由もない。しかも、誘ったのはクレマンスである。それまでエディットは、王立劇場に行った事すらなかったのだ。ただ劇を見に行っただけでこの仕打ち。今や本人以上にクレマンスは腹を立てていたのである。

「しかも、崩壊した劇場の片付けまでしろと言ったらしいのよ!」   

「まあ……」

 しかも怒りに追い打ちをかけるような真似をしたと聞き、どうしようもないな、と、アミシーは思ったのである。確かに、酷い言動である。

「許せないわ、平民の癖に。どうにか出来ないかしら」

 そうして、エディットに言ったように、平民だからと下に見たのである。実際支配人が平民かどうかは知らないのだ。ただ、エディットが貴族と現れた、と、言ったので平民だろうと思っているのである。確かにルボシュ・チャペックは支配人である。だが、総支配人ではなかった。王立劇場は、一人の人間に権限を与え過ぎない構造だったのだ。その上で、劇場が崩壊したあの日、現場にいた支配人がルボシュ・チャペックだったものだから、こうなっているのである。勿論、総支配人は貴族である。だが、その下の人間が貴族である必要はなかった。

「お嬢様、私情で身分を振りかざしてはいけませんよ」

「分かっているわ。神罰でも当たらないかしら」

「お嬢様」

 嗜めるようアミシーが呼んだ。だが、半ば本心だった。例え平民が相手であったとして、貴族の子供であるクレマンスに出来る事は何もない。精々、親の権威を振りかざすくらいである。しかもやったが最後、叱られることは目に見えていた。だが、神からの罰なら話は別である。現にエディットは特別な神官なのであるし、それくらいあってもいいのでは? 良くない方の神頼みを始める始末だった。

 神様、あの平民に罰をお与えください。

 普通の見習い神官の祈りを、神が聞き入れるかどうかは別である。



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